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  • 想い出の居酒屋 其の拾壱

    想い出の居酒屋 おしながき

    北海道に帰ってきてからまた通うようになった居酒屋。

    今まで一年に一度、実家への帰省の際に札幌に一泊して夜は店で過ごしていたが、今後は店に顔を出す機会が極端に少なくなってしまうものと思われる。

    第一に、母親がギブアップしたので実家での一人暮らしではなくなる日も近く、そうなれば帰省することもなくなるので札幌に宿泊する必要性が失われてしまう。

    第二に、宿泊する可能性があるのは 『お買い物日記』 担当者の通院に付き合って札幌に行くときくらいなものだが、札幌に限らず外国人観光客が日本に大挙して押しかけている状況下にある昨今、何カ月も前でなければ宿泊先の予約をとるのが難しいため、たまには札幌で一泊して買い物や食事など・・・と、安易にできないようになってしまった。

    そんなこんなで店への足は遠のいてしまうだろうが、これからも可能であれば一年に一度くらいは行ってみたいと思っている。

    昨年、居酒屋のママがくも膜下出血で倒れ、緊急入院したのは前回の雑感に書いたとおりだが、そんな生きるか死ぬかの状況だったのにも関わらず、退院した帰りの車の中でマスターに向かって
    「タバコちょうだい」
    と言ったというのだから大したものだ。

    しかし、体力はすっかり落ちてしまい、もう店に出るのは辛いということで今は半隠居生活を送っていて、店が極端に忙しい時にのみ手伝っているという。

    それでも去年も今年も店に行けば住まいである二階から降りてきて話しをしてくれる。

    実はママ、昔からガリガリに痩せており、体は丈夫そうじゃないと思っていたが、『お買い物日記』 担当者が大病をする少し前には大腸がんで生死の境をさまよい、子どものころには骨髄炎で苦しんだのだそうだ。

    今でこそ抗生物質が発達しているが、昔は骨髄炎を発症すると死亡リスクも高く、後遺障害が大きな問題でもあったらしいのだが、その時もママは後遺症を残すことなく完治したというのだから運は強いのだろう。

    そんな訳で、たとえ店には出ていなくても年に一度くらいはママの様子も見てみたいと思っている。

    かなり以前に書いたように、ママとマスターは部屋で猫を飼っていたのだが、その猫は 18年生きて、つい最近まで飼っていたというから驚きだ。

    猫の死があまりにも辛かったので、もう飼うまいと思っていたらしいのだが、最近になってまた猫を飼ったという。

    以前に飼っていた猫は人見知りが激しく、以前に何人かで交代しながら 3時間以上も猫じゃらしを振り続けたものの、まったく近寄って来なかったという筋金入りだったが、今度の猫は人懐っこくて警戒心も薄く、手に乗せたエサを食べる。

    店の近所で建て壊しになったアパートで飼われていたらしいのだが、飼い主が猫をおいて行ってしまったらしく、野良となったその猫に何度かエサを与えていたところ、定時にやってくるようになったという。

    猫も賢いもので、何時頃にあの店に行けば食べ物をくれると学習したのだろう。

    そして、猫好きな夫婦にもう一押しすれば飼ってもらえると考えたのかもしれない。

    とにかく夕方 5時頃、夏に開け放っていた店の入口できちんとお座りをして、食べ物が貰えるまで待つようになったのだそうだ。

    前の飼い主のしつけが良かったのか、良い子にしていれば家族の一員にしてもらえると踏んだのか、猫は勝手に店に入るようなことをせず、ただじっと座って待っている。

    その姿が可愛かったり健気に思えたりして、ついつい脂ののった刺し身だの季節の魚だのを焼いて食べさせているうちに毛艶が良くなり、どんどん情も移ってきてしまい、とうとう飼うことになってしまったのだそうだ。

    今年の 9月に行った時には猫も店に顔をだし、カウンターのお客さんから刺し身をもらって食べていた。

    やはり教育が行き届いているのか、決して小上がりの畳の上に上がったりしない。

    そんな猫、病気がちのママ、いつも明るくしているマスター。

    やはりたまには会って様子を見たいし話もしたい。

    母親が故郷を出たあと、何の名目で札幌での夜を過ごすことができるだろうか。

  • 想い出の居酒屋 其の拾

    想い出の居酒屋 おしながき

    2月 25日、いつもの居酒屋で飲んで食べて話して来た。

    実は店のママも過去にガンを患っており、親身に話を聞いてくれていたのである。

    ところが、そのママがくも膜下出血で倒れたのが先月のことだとマスターは言う。

    記憶に新しいところでは料理研究家の小林カツ代さんが、その病気で亡くなったばかりだ。

    それでママの姿が見えないのかと、目の前が暗くなりかけた時、
    「いやぁ~命は助かったんだけどさぁ」
    とマスターが言う。

    手遅れになれば命は助からず、助かったとしても上下、または左右や言語が麻痺するという後遺症に苦しむ人が多い。

    ママが店に出ていないということは、体のどこかに異常をきたしてしまったのではないだろうかと再び暗くなりかけた時、
    「それがどこもマヒしなかったんだよねぇ」
    と、マスターが言葉を続ける。

    「い、いっぺんに言わんかいっ!」
    と突っ込んでやりたくなったが、命にも体にも異常ないのは幸いである。

    仕事中に倒れたということだったが、それは突然の頭痛に始まったらしい。

    店は昼も営業しており、近所の会社員が昼ごはんを食べに来るのだが、それの準備中にママが座敷に座り込んで頭痛を訴えた。

    マスターが様子を見ると、顔色を失い真っ青になって倒れてしまったので慌てて救急車を呼ぶことになったという。

    マスターも心配のあまりに顔色を失い、病院に同行して救急治療を終えるのを待ったが、今後のことを考えると目の前が暗くなり、重い後遺症を抱えるくらいなら命が助からないほうが良いのではないかという究極の考えまで頭をよぎったと素直に話してくれた。

    しかし、ママは医者も驚くほど奇跡的に後遺症もなく、身体的にも脳も言語にもまったく支障をきたさず 2週間ほどで退院に至ったということで、マスターは
    「あいつは化け物だ」
    とか、
    「殺しても死なん」
    などと言っていたが実のところは幸運を喜んでいる。

    そんな話しをしていると、退院間もないのにママが顔を見せてくれた。

    確かに元気そうではあったが、その言葉は弱々しい。

    あんなに大きな声で話し、快活に笑う人だったのに、すぐそばで会話しているにも関わらず聞き取るのがやっとという感じだった。

    実はマスターとママの夫婦は年齢差 25という年の差婚だ。

    しかも歳上なのはママであって、すでに70歳を超えている。

    25歳差と言えば友達のお母さんと結婚して世間を騒がせた元ヤクルトスワローズでベネズエラ出身のペタジーニ選手と同じであり、親子ほども年の違う二人が結婚して前に勤めていた焼き鳥屋チェーンから独立したとき、実のところママが若い男にダマされて金を注ぎ込み、店を持たせてやったのではないかと思わないでもなかったが、二人はいつまでも仲良く店も開店 20周年を超えたところだった。

    大きな病気を二度もしたし、すでに体がシンドイと感じていたので今回の病を機に店に出るのを止めようと考えているらしく、マスターもママに無理はさせられないと分かっているので一人で何とか切り盛りしようとしている。

    忘新年会シーズンや歓送迎会が重なる時などは一人だと大変だが、人を雇うほど店は儲かっていないと、いろいろ考えることがあって大変そうだ。

    札幌に住んでいれば、自分には水商売でのバイト経験もあるので忙しい時だけ店を手伝ってあげることもできるのだが、離れた場所に住んでいるのでそうもいかない。

    年に何度も行くことはできないが、また今年の夏の終わりに店を訪れるつもりだ。

    無理はしてほしくないが、できれば店で元気に働くママに会いたいものである。

  • 想い出の居酒屋 其の玖

    想い出の居酒屋 おしながき

    その店に最後に行ったのは 1995年、実に 14年もの時が経過してしまっていたが、今まで数々の思い出を残したその店はどうなってしまったのか。

    昨年の今日、つまり、2008年の 8月 22日は 『お買い物日記』 担当者の入院二日目で外泊許可がでた日で入院した場所は札幌、あの居酒屋のある町なので、晩御飯をかねて行ってみようと二人で話し合い、地下鉄に乗って最寄り駅に向かった。

    その駅は通勤で使っていた駅なので通い慣れているし、駅構内も変わっておらず、出口から外に出て向かうべき方向も体が覚えている。

    ところが目の前に広がっているのは記憶にない風景であり、離れていた 14年間で建物がすっかり建て替わって高層化が進んだようで、見える空の面積が極端に狭くなっている。

    進んでいる方向に間違いはないはずなのだが、あまりにも町並みが変わってしまったので曲がるべき道が分からない。

    店に行くには今進んでいる方向から右に曲がらなくてはいけないのだが、どこの角を曲がるべきか目標がないのである。

    それでもそこは通いなれた道、目視に頼ることなく勘と感覚だけを頼りに先に進む。

    ビル群を抜け、少し歩くと見慣れた光景が目の前に広がる。

    そう、間違いなくあの店がある道だ。

    この道をあと数百メートル進むと決して綺麗でもない小さな店があるはずだ。

    しかし、ここまで来て急激に不安が胸いっぱいに広がる。

    さんざん世話になった店とは言え、その業種は水商売、10年も 15年も続いている保証などあるはずがないし、加えてマスターとママは 『其の肆』 でも触れたようにママが 10歳以上も年上という夫婦であり、二人仲良く暮らしているとも限らない。

    まして、この 15年の間にはバブル崩壊、ITバブル崩壊という未曾有の経済危機が日本を飲み込み、飲食店も大きなダメージを受けているので、それらを総合して勘案すれば、むしろ店が残っている確率のほうが極端に低いのではないかとさえ思える。

    店に行くのが楽しみなので速く歩きたい気持ちと、もしものことを考えると気が重くて足取りまでも重く感じるような感覚とが入り交じった不思議な状態のまま歩を進める。

    店の周りは変わっておらず、昔からあった建物や商店に明かりが灯っているが、目を凝らしてみても店があるはずの建物は薄暗く、看板に明かりが灯っておらず、赤提灯の明かりも見えない。

    『お買い物日記』 担当者と二人、「やっぱり・・・」 と言いながら、それでも店がどうなっているのか確認だけはしておこうと近づいて行った。

    すると暗い店の前でしゃがみこみ、鉢植えの花に水をやっている人の姿があり、なんとそれはママだった。

    ほぼ同時にママもこちらに気づき、ただ呆然とこちらの顔をながめている。

    「こんばんは」 と言うと、ママは店に飛び込み、大声で 「めずらしい人が来たよ~」 と叫んだ。

    店が暗かったのは、まだ時間が早く仕込みの途中であったことと、折からの不況で少しでも節電しようという意識の表れだと言う。

    店内は何ひとつ変わっておらず、マスターもにこやかに迎え入れてくれた。

    そう、ここが心の故郷、どんなに小さくても決して綺麗ではなくても心から安心できる空間。

    そして、色んな想い出が詰まり、あふれかえりそうな小さな空間だ。

    様々な想い出話に花を咲かせ、久しぶりの味を思う存分に楽しんだ。

    そして、札幌に来た理由を話すと、実はママもガンにかかり、大きな手術と抗がん剤治療を受けたのだと言う。

    「今の医学だったら大丈夫、絶対に治るよ」 と勇気づけられ、「手術だけで済んだら一カ月後くらいにくる。来なかったら抗がん剤治療を受けるんだと思って」 と言い残して店を後にし、それから丸一年が経過した今も顔を出していないので治療を受けたのだと分かっていてくれることだろう。

    来週、遅まきながらの夏休みをとり、帰省した帰りに札幌に寄って一泊する。

    そのとき、一年ぶりに店に寄ってくるつもりだ。

    店とのつながりが現在進行形になったので、もう想い出の居酒屋ではなくなってしまった。

    これの続き、『想い出の居酒屋 其の拾』 を書くのはいつの日になることだろう。

  • 想い出の居酒屋 其の捌

    想い出の居酒屋 おしながき

    以前の店から数えると、ママと知り合って 7年くらいは経過しただろうか。

    貪欲な胃袋を満たし、金のないときは安い料金でたらふく食べさせてもらい(其の参照)、会社を辞めるために辞表を書いたのもその店だった(其の参照)。

    仕事の話は一切せず、いつも楽しく酒を飲んだ(其の参照)。

    店が変わってからも毎週のように通い続け(其の参照)、注文していないものやメニューにないものまで食べさせてもらった(其の参照)。

    訳の分からない話で盛り上がり(其の参照)、時には謎の歌を歌ったり店主の自室で飲んだりもした(其の参照)。

    まだ若かったこともあるが、その時はこれから先も何も変わらず、いつまでも似たような時間が流れるように思っており、それが終わりを告げることになろうとは夢にも思っていなかった。

    そう、会社から大阪本社への転勤を命ぜられるまでは。

    前の会社から通して 10年も付き合っている仕事仲間たちと別れるのは辛く、長年に渡って通い慣れたその店で、食べ慣れたものを味わえなくなるのも辛かった。

    しかし、そこは悲しきサラリーマン。

    会社の命令には逆らえず、途中まで進んでいた歯の治療も突貫工事で終わらせて、転勤の準備を開始した。

    そして、気の合う仲間と最後の食事をしたのはもちろんこの店だ。

    他部署の人間も集まって開いてくれた送別会は別の店だったが、やっぱり最後に本当に心から楽しめるのは、いつもの仲間といつもの店だ。

    自分も店の大将もママも、しんみりするのは好きじゃないので相変わらずの大笑い、大騒ぎしながらその店で最後の夜を過ごした。

    そしてそれから数日後、楽しかった店、愉快な仲間、住みなれた町に別れを告げて乗り込んだ飛行機の機首は西へ。

    翌年、出張で元の職場を訪れて二泊目の夜に店に顔を出したが、仲間のみんなとではなかったのでイマイチ盛り上がりに欠けた。

    その翌年、さらに次の年と、帰省の途中で寄っては見たものの、いつもタイミングが悪くて定休日の曜日ばかり。

    店の前まで行ってはみたが、店の戸は固く閉ざされ中には灯りもない。

    とりあえずは寄ったという証にメモを入れておいた。

    そのうちに帰省に利用する空港を変えたため、その店のある昔住み慣れた町を通過することさえなくなってしまった。

    そして、店は記憶の中で当時のまま時が止まり、想い出の居酒屋となってしまったのである。

  • 想い出の居酒屋 其の漆

    想い出の居酒屋 おしながき

    そこは 20人も入れば満席となり、人を掻き分けなければトイレにも行けないという本当に狭くて小さい店だった。

    当時、すでにバブル経済は崩壊していたものの人はまだ華やかなりし頃の余韻に浸っており、消費もひどくは落ち込んでおらず、毎週末のように訪れる店はいつも満員御礼状態で、ただでさえ狭くて息苦しい店内は絶え間なく焼かれる肉や魚の香りと煙、揚げ物の油とタバコの匂いと煙、我々を含めた酔っ払いが放出する酒臭い息で充満し、窒息しかねない状況だった。

    それが証拠に数十分に一度は外に出て、新鮮な空気を吸いながら再び飲み食いするというのがその店では常識となっており、夏は休憩を兼ねて花火などを楽しむといった誠に風情のある遊びに興じていたものである。

    それでも狭いながらもカウンターや小上がりで飲食できるのはまだマシなほうで、店の奥の奥にある通称 『座敷』 と呼ばれる場所ではもっと大変ことになった。

    座敷とは名ばかりの物置を改造して作られたような空間に 10人近くも押し込められ、身動きすらとれない状態で手だけを動かして飲んだり食べたりしなければならず、誰かがトイレに行こうとしようものなら約半数の 5-6人は立ち上がって通路を確保しなければならないほどだ。

    ある日、店に行くことを事前に電話で知らせておいたにも関わらず満員で入れなかったことがあり、店の外でブーブー文句を言っていたならば、ママが鍵を持って出てきたかと思うと店の入り口の横にあるドアを開けて 「入って入って」 と勧められ、何ごとかと不審に思いながらも中に入ると通された先は何と大将とママが暮らす部屋だった。

    猫が飼われているその部屋に 5-6人が通され、所帯くささが溢れる部屋でコタツに入りながらテレビを観たり猫にちょっかいを出したりしながら、まるで自宅にでもいるような時間を過ごし、腹一杯になるまで食べて飲んだりしたが、料金だけはキッチリと正規の値段で請求された。

    いつもいつも賑やかで、お客さんで一杯だったその店も、ごく稀に何かのタイミングで誰もおらず、我々の貸切り状態になることがあったのだが、そんな時はいつもと雰囲気が異なるので逆に落ち着かなかったりするもので、会話が途切れると店内の静けさが妙に際立って寂しくなるので適当に歌など歌って紛らわしていた。

    酔ったからといってカラオケ以外で歌を歌うことなどないので何をどうしていいのか分からず、洋楽を適当な英語もどきで歌って笑いを誘ったりしていたがネタが続かなくなり、何だか意味不明ではあるが全員で日立グループのCMソングである 『この木なんの木』 を歌ってみたりしたが、「この~木なんの木、気になる木になる木ぃ~~~~~~・・・・・」 ・・・・・。 ・・・・・。 誰もメインを歌わなかった。

    「全員でコーラスしてどうするっ!」「だれかメインを歌わんかいっ!」 という怒号が飛び交う中、グラスをひっくり返してテーブルを濡らす奴がいたり、トイレに行こうと立ち上がってよろける奴がいたりと酔っ払いたちの狂宴は深夜近くの閉店時間まで延々と続くのであった。

  • 想い出の居酒屋 其の陸

    想い出の居酒屋 おしながき

    例の通り、仕事の話禁止令が発動される中、ただひたすらにくだらない話で盛り上がり、酒と料理で胃袋を満たす日々。 それが何年も続くとさすがに話題にも事欠き、同じ話を何度も繰り返す事態に発展してくる場合も多い。

    それは酔いのせいもないことはないが、ほとんどの場合は漫才や落語のネタのように毎度おなじみのパターンであり、水戸黄門でいつも決まった時間帯に助さんや格さんが印籠を出すのにも似た偉大なるマンネリズムのようなものだ。 第一、しらふであっても仕事以外はくだらない話に終始していた。

    グリコ森永事件が世間を震撼させていた頃、店でチョコレートを指差し、「気をつけろ!このチョコに毒が入っているぞ」 とネタをふり、「それイチゴ(苺)って読むんです」 という会話も常態化していたし、「港(みなと)じゃ有名な話だ」 などと巷(ちまた)をわざと読み違えたりもする。 そんなグダグダな仲間が酒を飲むと、もっとグダグダになってしまうのは言うまでもない。

    条件反射の代名詞として 『パブロフの犬』 という実験がある。 必ず犬に餌を与える前に鈴を鳴らしていると、犬は鈴の音を聞いただけで唾液を分泌するようになるというものだが、いつも決まったパターンの会話を続けていると、ツッコミもパターン化しており、「お前はパブロフの人間か」 と攻めると 「あ~、あの犬が餌食っているの見ると鈴鳴らしたくなるやつ」 という返しのボケまでパターンに組み込まれる。

    たまにボケではなく本当に間違えることもある。 月面への第一歩を踏み出したのはアームストロング船長だが、それを 「ルイ・アームストロング船長」 と言って大笑いされたやつがいる。 実に惜しい。 正確にはニール・アームストロング船長であり、ルイ・アームストロングはサッチモと呼ばれた 20世紀のポピュラー音楽における偉大ななミュージシャンである。

    その間違いが縁で彼はルイ・アームストロングの CD を購入し、愛聴することになったが、そこまでを 1セットとして酒を飲みながら長く語り継がれることになった。 『ツーと言えばカー』 という言葉があるが、我々の間では 『ツーと言えばヨヒョウ』 というのが定番だった。 ご存知、『夕鶴(鶴の恩返し)』 という物語の主人公で、鶴の化身である 『つう』 と夫の 『与ひょう』 からきたものだ。

    とにかく一時が万事、まともとは思えず、普段から酔ったような会話を続けており、そこに酒が入ると訳が分からなくなる。 店の大将も呆れ顔で見ていたが、そんな若者たちをよく面倒見てくれたものだ。 店の売り上げにもある程度は貢献していたと思うが、一週間の疲れを笑って吹き飛ばすため、その店では週末の夜に果てしなき狂宴が長く続けられることになったのであった。

  • 想い出の居酒屋 其の伍

    想い出の居酒屋 おしながき

    其の肆を書いてから実に一年半ぶりの続編になるが、これだけ間隔が長いと言うことは実はたいした想い出などないのではないかという疑問も出たり引っ込んだりしており、実のところはいかがなものかと自問自答してみれば、溢れる想い出は確実にあるのだが、いつも同じようなメンバーで同じような料理を食べ、同じ酒を飲んで同じような時間を過ごしていたので大きな場面展開がないのである。

    毎週とまではいかないが、二週間に一回、いや、それ以上のペースで飲んで騒いでいたのは、それが楽しく、自ら進んで店に通っていたのも勿論だが、仕事が忙しくて何週間か行けない日が続くと 「最近どうした?」 などと会社にまで電話がかかってきたり、中元だの歳暮だのを持ってきては 「よろしくね」 と言われてしまうので仕方なしに通っていた部分も大きい。

    いつも代わり映えしない時間を過ごしていたが、たまには小さなイベントもある。 メンバーが 十数人もいれば月に一度や二度は誰かしらの誕生日だったりするもので、当時は大多数が独身であり、なおかつ彼女も彼氏もいないという誠に若者らしからぬ悲しい集団であったため、その居酒屋で祝ってやったりしたものである。

    そんな時に気を利かせて何かサービスするとか料金を安くするとかいうことをすれば、感謝の言葉のひとつもかけて、また来ようという気にもなろうかというものであるが、単に 「おめでとう」 の一言で終わらせるという憎々しさ滲み出る店であり、「二度と来るか!」 という捨てぜりふを投げつけてやりたくはなるものの、とても居心地が良くて安い店だったのでついつい通ってしまう。

    書いていて急に思い出した。 「朝早く市場で仕入れたイカで自家製の塩辛を造ったから食べさせてやる」 とか 「上物のクジラのベーコンが入ったから食べるか?」 などと言いながら店のメニューにない物を出してくれたり、さんざん飲んだ後に 「締めにソウメンでも食べるか?」 などと言っては次から次に自分たちが喜ぶ物を出してくれるのは良いが、きっちり料金をとりやがったのである。

    大半が独身族のこちらも無茶を言って、「普段から野菜不足だからキャベツの千切りが食べたい」 などとメニューにないものを注文し、「えっ!?」 と固まる大将に 「いいから黙ってキャベツの千切り山盛りにマヨネーズをくれ!」 と言い、大皿に溢れんばかりに盛られたキャベツの千切りに、一緒に出された大きな業務用マヨネーズのチューブを思いっきり絞ってワシャワシャと食べたりしていた。

    「お前らはキリギリスか」 などと呆れ顔で見ていた大将だったが、何度も注文するうちに、そのキャベツの千切りにまで値段を付けるようになった。 負けてはならじと、飲み放題の日に注文した冷奴などは 「噛まずに飲むからタダにしろ!」 と無茶な交渉をしては 「ふざけるな」 と一言で玉砕させられていた。

    それでも今から思うと若さと強靭な胃袋を持つ大食漢ばかりのメンバーに気を使い、一品一品の量が多かったのではないだろうか。 それほどの品数は注文していないのに、いつも腹一杯になって店を出た。 何本もの焼酎ビンを空にして、腹も十分に満たされたのに割り勘にすると一人 3千数百円程度で済んでいた。 食道楽の街、大阪の居酒屋の料理が少ないとさえ思った。

    今となっては定かではないが、もし料理を大盛にしていてくれたのであれば、若い胃袋を満たしてくれたことに感謝せねばなるまい。

  • 想い出の居酒屋 其の肆

    想い出の居酒屋 おしながき

    『想い出の居酒屋』 というタイトルで、なぜ 『其の肆(よん)』 かと言えば、過去に 『其の参』 まで進んでいたからであるが、それを書いたのは 2003年 04月 06日のことなので 3年以上も前と言うことになる。 決してネタが尽きた訳ではなかったのだが、何となく書くのを忘れていた。 先日、どういう訳か入浴中に何の脈絡もなく当時のことを思い出し、続きを書くことにした訳である。

      『其の参』 の文末に書いたように、その日は突然やってきた。 いつもの週末のように店に顔を出すと知らない人がカウンターの中で調理をし、知らない人が料理を運んでいる。 顔なじみの従業員の一人が寄ってきて 「実は店長と○○さんが店を辞めてね〜」 と言う。 そして、どうやら自分たちで店を開くらしいということを聞かされた。

      水商売の世界では珍しい話しではなく、どこにでもあるような一件だが、それまで何度も通いつめ、まるで自宅のようにリラックスできる場で起こったその ”事件” は、若い (当時) サラリーマンには少なからずショックを与える出来事だった。 その日は何となく気分も乗らず、テンションも低いまま店で時間を過ごし、酔いも中途半端なまま帰宅することになった。

      数週間後、仕事中に受付の女性が 「お客さんです」 と言うので席を立つと、居酒屋を辞めた店長と従業員が二人揃って来ており、新しく店を開いた挨拶と、二人が結婚した報告を同時に受けた。 店を開くのは聞いていたが、結婚することなど夢にも思っていなかったので、驚きのあまり腰が抜けそうになった。 何せ歳の差が 10歳以上もある。 そして年上なのは女性の方だったので、二人が揃って辞めたと聞いても、店を開くと聞いても、結婚などとは考えも及ばなかったのである。

      当時は 『自分たちにとって大切な店を捨てた人たち』 とか、すぐ近くに店をかまえた 『裏切り者』 などという思いが少なからずあったのだが、結婚して夫婦で店を営むという話を聞けば祝いに行かざるを得なく、その週末に 10人くらいで新しい店に行った。

      ところが、以前の店の常連さんも祝いに駆けつけており、店内は人で溢れている。 さらに、その新しい店というのが以前の店の 1/4 くらいの広さしかなく、20人も入れば一杯だ。 入店をためらっていると、今や大将となった元店長が 「来てくれると思って席を用意してた」 と言うので店の奥に進むと、店で唯一の個室があり、そこには 『予約席』 という手書きの紙が置かれていた。

      しかし、その個室は本来 6人ほどの収容能力しかないため、無理矢理 10人が入ると身動きがとれないほどのギュウギュウ状態である。 それでも料理は以前の店と同様に美味しく、値段も安かったのでピラニアのように食べまくった。 途中、狭い場所に大人数が収容されているものだから、酸素が不足して息苦しさすら覚えたが、腹が割れそうになるくらい食べて飲んだ。

      満足して帰ろうとすると、外まで元店長である大将が出てきて、真剣な目をしながら 「本当にたのむ。これからも来てほしい」 と頭を下げる。 前述したように色々な思いはあったが、基本的に楽しく酒が飲めて、安くて美味しいものを食べさせてもらえれば客としては来店を断わる理由はない。「また来るよ」 と言って店を後にすると以前の居酒屋の前を通過した。

      店内はそれなりに混んでおり、自分たちが店を変えても大きなダメージはなさそうだ。 少し後ろ髪を引かれつつ、その店と決別し、翌週からも新しい店に通うことになった。 その日を境に 『想い出の居酒屋』 は舞台を移すこととなり、新しい想い出が新しい店で刻まれることになっていったのであった。

  • 想い出の居酒屋 其の参

    想い出の居酒屋 おしながき

    想い出の居酒屋シリーズも其の壱其の弐を経て今回で第三弾になった。その店には語り尽くせないほどの想い出が詰まっているのである。其の弐でも触れたが、酒の席で仕事の話はご法度としていた。酒は楽しく飲むものであって、仕事の話などすると 「酒がまずくなる」 というのが第一の理由だ。

      どうしても仕事の話をしなければならない場合、飲み代は経費で落とすか、上司が全額負担すべきである。酒の席で部下を説教し、飲み代は割り勘などというのは ”もってのほか” だと思う。部下にしてみたらマズイ酒を飲み、金を払ってまで説教など聞きたくないはずだ。

      そして第二の理由は酒の席で仕事の話などしても 「どうせ次の日になったら覚えていない」 と思われるからだ。重要な話であれば尚のことシラフで話をするべきである。普段は気が小さいくせに酔った勢いで部下に説教しても、部下は心の中で 「ふんっ!」 と思っているだろうし、酔った勢いで気が大きくなり、「職場の雰囲気や仕事の仕組みを変える!」 などと上司が宣言したところでシラフになると何もできないに決まっている。第一、その席で話したことなど次の日には半分以上は忘れていることだろう。

      以前から何度も書いているように、その店には本当に世話になった。金のない若いサラリーマンの憩いの場所だったのである。仕事の都合で二週間ほど店に行けないと、心配して電話をかけてくる。ある日など 「上等なカニが入ったんだ」 と誘いの電話があった。喜び勇んで店に顔を出すと、出てきた料理は沢蟹の唐揚だった。

      「あのな〜!カニっていうのは毛蟹とかタラバとか松葉とか・・・」 と文句を言うと 「カニには違いないんだから文句言わずに食え!」 などとぬかす。そんなことにも大笑いしたり、文句を言ったりしながら結局はバリバリと音を立てながら味を楽しんでいた。

      ある年には忘年会(会社とは別)で、超低予算にも関わらず 「いつも来てくれるお礼」 だと言って豪華な料理を用意してくれたことがある。店に行くとすっかり準備は整っており、テーブルには店のメニューにはない料理が山のように並べられている。「お〜すごい!」 と一同驚き、我を忘れて貪り食っていると空いた器が片付けられ、次から次へと新しい料理が運ばれてくる。

      「なんと素晴らしい店か」 と店長や従業員を誉め称え、腹がはちきれんばかりに食べて飲んだ。旺盛な食欲を満たし一息ついたところでテーブルを見渡すと ”お造り” の大皿に何かを模ったワサビがある。「これ何?」 と従業員に聞くと 「店長が張り切って造ったんだよ」 と言う。「これは何ぞや」 とみんなで相談したが、なんだかよく分からない。

      どうやら ”鳥” らしいのだが、ずんぐりした東京銘菓 『ひよこ』 まんじゅうのようにも見える。少し立てて見るとペンギンにそっくりだったので 「それに違いない」 という結論に達し、爪楊枝を刺して足をつくり、皿の上に立たせておいた。そこにニコニコと店長が登場。皿の上に立っているワサビを見て 「なんだそりゃ?」 と言うので 「ペンギンはやっぱり立ってなくちゃ」 と答えると、急に不機嫌な顔をして 「それはウグイスだ!」 と怒り出した。

      そこでまた大爆笑となり、「何で年末にウグイスなんだ〜!」 「春告鳥とも呼ばれるくらいだから今は時期じゃないよ」 と口々に罵っていると 「うるさい!」 と言ってどこかに行ってしまった。かなり可笑しかったが、せっかく我々のために造ってくれたのだから少し申し訳ない気分になり、”足” をはずして皿の上に置いておいたが、話の途中でそれが目に入るたびに笑いが込み上げてきたのだった。

      あの頃、どんなに悲しいことや面白くないことがあっても、その店に行ってお腹が痛くなったり涙が出るほど笑っていた。時間がゆっくりと流れ、その時代がいつまでも続くようにも感じていた。しかし、ある日のこと、店長と従業員の一人が店を辞めて独立することになった。そして、その後は店に行くことはなくなってしまった。ここから先の想い出の居酒屋は新しく開いた店に舞台が移っていくことになる。

  • 想い出の居酒屋 其の弐

    想い出の居酒屋 おしながき

     以前の雑感でも触れた居酒屋には様々な思い出がある。楽しいこと、辛い事も含めて、何らかの節目には必ずその店で飲み食いしていた。

     はじめて行ったときも、会社の仲間の相談事を聞くためだった。よく見かけるサラリーマンと同様に、結局は上司に対する愚痴だったのだが、ひとしきり話を聞いた後で店内を見渡すと壁に貼られている品書きの値段がどれも安い。焼酎などボトル 2本で 900円くらいだったと記憶している。

     貧乏サラリーマンにとって強い味方であるその店を偶然にも発見した自分達の功績を二人で誉めたたえ、次の日には他の仲間にも報告したのである。その週末に 10人くらいで押し掛けて狂ったように飲み食いした。魚介類、野菜などどれも新鮮で出てくる料理がどれこれも美味しい。会計すると大量に注文したにも関わらず一人 3,000円にもならなかった。

     これでは貧乏サラリーマンのオアシスにならないはずがない。週末はいつも満席で通常は宴会で使用される二階まで開放しても入りきれないほどだった。それからというもの、週末には必ずと言っていいほど店に通うようになったのである。

     「酒がまずくなる」という理由から、その店では「仕事の話禁止令」を出し、いつもくだらない話をしては涙が出るくらい大笑いしていたのだが、時には恋愛に関する相談事などでしんみりと飲んだりもしていた。女の子が結婚に関して悩んでいたため、二人で酒を酌み交わしたこともある。「なんで他人の彼女と酒を飲まなければならないんだ!」と思いつつも、なぐさめたり、おだてたり、勇気づけたりしていたのである。

     その店でアルバイトをしていた女の子が、会社の不満などを口にすることがなく、いつもゲラゲラ笑っているのを見て、よほど楽しい会社なのだろうと勘違いしたらしく、入社のための面接に来たときには本当に驚いてしまった。

     ふと見ると上司がその子と話をしている。さっそくみんなに報告し、通りすがりに「焼き鳥 3人前、タレでね」などと言ってからかっていると鬼のような顔で睨まれてしまった。その夜、みんなで店に行き「悪い事は言わないから俺達の会社は止めたほうがいい」と必死に説得した。禁止令があるから会社や上司の悪口を言わないだけで、どれほど会社に問題があるかを切々と話して思いとどまるように説得したのである。

     その説得が成功したのか、会社が採用しなかったのかは定かではないが、結局その子が入社する事はなかったので一同ほっと胸をなでたりしていたのである。実際に会社への不満は山ほどあった。それでも楽しく食事をしたり、酒を飲んだりしたかったので、みんな「禁止令」を守っていた。

     全員の胸の中で会社への不満が頂点に達したので一斉に会社を辞めることになり、会社への辞表を書いたのもその店である。書き方が分からなかったため、その筋の本を買い、店の二階を開放してもらってみんなで「あーだ、こーだ」言いながら辞表を書いた。そこには悲壮感や暗さはなく、「字が曲がっている」だの「大きさが揃っていない」だの「そもそも字が下手」だのワイワイと楽しく書き上げた。

     その時は我々一派も含め、20人近くがその会社を辞めた。技術者が大量に辞めたとあっては残された人たちは大変だろうと少し心が痛んだりしたが、経営者は感情論だけで行動するタイプの人だったので”彼”に対しては心が痛むことはなかった。5年以上も勤務した人にさえ退職金を出さなかったような”彼”であるから、「ざま〜みろ!」という感情のほうが強かった。

     辞表を提出して会社を辞めることが決定した日も、その店で飲めや歌えやの大騒ぎをして辞めることを”祝って”いたのであるが、店の人たちは「もうみんなで来ることはないのかね〜」などと言ってさびそうにしていたものである。

     会社を辞めた 20人近くは二派に分かれてまとまったところに再就職することになり、2人ほど減ってしまったが店に通っていたメンバーの大半は同じ会社に行く事が決まった。偶然にもオフィスが店の近くに決まったので店に通うペースは衰えず、その後も週末には店に顔を出して「よかったね〜」とオバチャンに喜ばれたりしていたのである。

     そして、それからも「仕事の話をしない」しきたりを継承しつつ、居酒屋での思い出は増えつづけていった・・・のは言うまでもない。