投稿者: osamu

  • デジタル化の波 Signal-4

    デジタル化の波 ~目次~

    とうとう我が家にも MP3再生可能な機器が導入され、手持ちの CDをすべてデータ変換してメモリに保存した。

    今更ではあるが、その利便性の高さにあらためておどろかされるのと同時にデジタルデータ化による恩恵を思う存分に味わってみたりしているところだ。

    そうだ、そうなのである。

    以前から人が要望していたのはこういうことであり、単に音楽データがデジタル化されただけではなく、そのデータを蓄積して自由に扱えるようになると格段に利便性が向上するというものだ。

    まずはダビング。

    レコードからカセットテープに録音していた頃は、それなりの大きさの機器が必要であったし、60分間の録音には 60分という同じ時間が必要だった。

    CDからカセットテープの場合は機器がコンパクトになったものの、録音時間は同じ。

    CDから MDへは 4倍速での録音が限度。

    CDから CD-Rへは 24倍速くらいで約 10分間くらいだが、CDのドライブが 2台なければ、まずは CDの内容を記憶して、それを CD-Rに焼くという手順になるため 10分では終わらない。

    ところが CDからメモリへのデータコピーは、ものの 3分もあれば終わってしまう。

    そして、音質は劣化してしまうものの MP3形式にするとデータ容量が小さくなり、8MB程度のメモリに約 2000曲ほど蓄えることができる。

    これからがデジタル機器の特筆すべき点だが、以前から抱いていた欲求が高い確率で満たされるのが嬉しい。

    レコード、CDの時代からの願望、それは曲の連続再生だ。

    レコードの時代は盤を多量にストックしておけるジュークボックス、CDの時代は複数枚を格納して連続再生が可能 CDチェンジャーというものがあったが、それらの機器には限界があった。

    レコードや CDを大量に格納しようとすれば、それに比例して機器も大きくなるが、メモリに蓄積させるのであれば大きさはさして必要ない。

    長距離のドライブをしている時、長時間に渡る徹夜マージャンをしている時など、何度も CDを交換するのは面倒だが、約 2000曲も格納されているのであれば 1曲 4分として 130時間以上も交換の必要がないし、メモリ容量を 16GBとかにすれば約 4000曲、260時間、つまりは 10日間以上も聴き続けられる訳だ。

    便利なことこの上なく、とっても満足しているので保有していた CDだけでは飽き足らずに中古 CDを買ってきてはせっせとデータ保存していた。

    その際、CDの売り場面積が驚くほど縮小されている事実を目の当たりにして愕然とした。

    大手のチェーン店で、書籍からテレビゲーム、レンタル、中古販売を含めた CD、DVD、BDなどを扱っているが、新品、中古CDの販売コーナーは当初の 4分の 1程度になってしまい、その陳列棚すらスカスカした感じがする。

    数年前から音楽 CDの出荷数が減り始めて歯止めがかからないと言われ、違法コピー、ダウンロード販売の影響が取り沙汰されていたが、そのダウンロード販売も減少傾向をたどり始めたということは、趣味が多様化したことと、お金を出してまで手に入れたい魅力的な楽曲が減少してしまったということだろう。

    様々な思いに浸りながら気に入った中古 CDを手に入れてはデータの蓄積にはげんでいたのだが、何度か店に足を運んだ際にやっと気がついた。

    レンタルすれば最新のものまですぐに入手でき、購入するよりも圧倒的に割安であると。

    何とか時代に追いついた気になっていたが、頭の中は超アナログレコード 33回転のままで、骨董品に近づきつつあるため少々壊れかけているらしい・・・。

  • ワンプの話

    独り言に何度も書いている狸顔の犬、名をワンプという。

    ワンプのほし』 という絵本に描かれている平和な星に暮らす草食動物であり、犬を指す名前ではないのだが家にやってきた当時はまだ小学生だった息子さんが命名したのか、奥さん、または他の家族が命名したのか、犬は謎の生物と同じ名を持つことになってしまった訳である。

    奥さんの知り合いの家で飼われている犬が子を産み、貰い手を探していたので生後間もない子犬を引き取ったらしい。

    血統書などなく、単なる雑種なのだが実に可愛らしい顔をしている。

    その容姿、ワンプという名の響きからオスだと思われがちなのだが、実のところは家族に愛される箱入り娘なのである。

    普段は家の庭にある小屋で飼われているが、冬の寒い時期になると家の玄関に入れてもらい、下に使い捨てカイロ入れてもらったポカポカと暖かいマットの上で丸まっている。

    ワンプはとても大人しい犬で、ここに住んで二年以上になるが、数えるほどしか吠えたのを聞いたことがない。

    誰に対しても激しく吠えたり威嚇するような吠え方をしないので、きっと番犬という役は務まっていないだろう。

    最初は隣の家の敷地ギリギリの所から犬の姿を探し、目が合うと手を振ったりして交友を深めていたのだが、奥さんから敷地への立ち入りと犬との交流を許可されたので、今は散歩から帰ってくるたび、毎朝のように庭の犬小屋まで行って声をかけている。

    旅行などで家を留守にするときは、奥さんの実家に犬を預けて出かけるのだが、
    「散歩くらいなら連れて行ってあげるのに」
    と、いつも 『お買い物日記』 担当者と話しをしていた。

    それを奥さんに告げると
    「それじゃあ」
    ということになり、まずは慣れさせるために日課の散歩に同行させてもらうことになった。

    触れたり散歩するようになって気づいたのだが、このワンプ、犬としては実に変わっている。

    吠えないのは人に対してだけではなく、他の犬に吠えまくられてもツンとしており、まったく我関せずといった感じで無視するのである。

    何度目かの散歩ではワンプが急に立ち止まり、一箇所をジーッと見ているので何かと思ったら、その視線の先で子猫が固まっていた。

    犬と猫といえば仲が悪い代表格のような存在だと思うのだが、子猫はまだ犬の怖さを知らないのか、怯えて動けなくなったのか、身じろぎもせず目を見開いて見ており、ワンプも猫を追う訳でもなく、吠えかかる訳でもなくジーッと見つめていた。

    そしてこのワンプ、犬だというのに尻尾をふって甘えるようなこともしない。

    普通、これだけ仲良くなれば顔を見かけたりした際に尻尾を振って吠えるなり、愛想をふりまくなりするのが犬というものだが、ワンプはそばまで行っても横目でこちらをチラ見する程度で尻尾はユラリともしない。

    そして、それは飼い主に対しても同様で、奥さんが近づいても声をかけても尻尾をふって甘えるようなことをしないのである。

    散歩から帰ってきて少し遊ぶこともあれば、プイッと小屋に入ってしまうこともあり、奥さんは
    「本当に気まぐれなんだから」
    と困った顔をしている。

    その性格や行動は、犬というよりも猫のように気まぐれだ。

    何度か一緒に散歩してお互いにかなり慣れた昨日の 7月23日、隣は奥さんが遠くまで出かけ、ご主人は酒宴があって帰宅が遅くなるとのことで、夕方の散歩を任されることになった。

    『お買い物日記』 担当者と自分は朝から楽しみにしていたのだが、問題は、そんな気まぐれワンプが一緒に散歩してくれるかどうかだ。

    小さな雨粒がポツリポツリと落ちる決して良くないコンディションの中、恐る恐るワンプの首輪にリードを付け、少しだけ引いてみたところ、実にあっさりと小屋から出てトコトコと歩き出した。

    いつもは真っ直ぐ散歩に行くのに、少しだけ家の玄関に立ち寄って奥さんが来ないのか確認していたが、人の気配がないことが分かると何かを吹っ切ったようにスタスタと歩き出した。

    そしていつもより 500メートルほど短く近所を回って帰宅した。

    我が家とワンプの飼い主ぬきでの初散歩。

    これからも帰りが遅くなる日や一泊程度の外泊の際にはワンプを散歩に連れて行き、ちょっとだけ飼い主気分を味あわせてもらえそうである。

  • 記憶 Memory-03

    過去の記憶

    あれはいくつくらいの時の記憶だろう。

    その日は午後から雪が降り、夜にはすっかり雪景色となって道路には幾筋もの自動車のタイヤの跡が伸びて大蛇のように見える。

    両親が共稼ぎをしていたため仕事中に面倒を見てくれていた老夫婦の家からの帰りだろうか。

    ひどく母親は不機嫌だった。

    自転車の後ろの荷台から話しかけても返事はなく、ただガシガシとペダルを踏み、雪の中を少しよろけながら自転車は進む。

    自分が何かやらかしてしまったので怒っているのか、職場で嫌なことがあって機嫌が悪いのか理由は分からないが、とにかく怒りのオーラが背中から立ちのぼっているように見える。

    幼いながらも、こんな日は何を言っても無駄であり、まともに会話などしてくれないことを十分に思い知らされていた自分は、老夫婦の家から持ち帰ったオモチャを手に気を紛らわせていた。

    自転車が揺れたのか手を滑らせたのか定かではないが、遊んでいたオモチャが手から離れて落下し、白く積もる雪に穴をあけた。

    母親にとまってほしいと言ったが聞き入れられず、自転車は先へ先へと進んで雪にできた穴はどんどん遠くなる。

    もう一度とまってくれるように言ったが母親は返事もしない。

    たぶんお気に入りのオモチャだったのだろう、動いている自転車の荷台からズリズリと滑り落ちるように着地し、よろけてお尻をしこたま打った。

    お尻が痛いやら、オモチャがなくなって悔しいやら、母親が口を聞いてくれないのが悲しいやらで大泣きしながら、それでも這いつくばって落としたオモチャを必死に探した。

    異変に気づいて母親が引き返して来たが、一緒に探してくれる訳ではなく鬼のような顔をしたまま無言で腕をつかんで自転車に乗せようとする。

    どうしてもオモチャを探したかったので必死に抵抗すると、母親の目がますます吊り上がり、それまでの倍以上の力で腕を引っ張って幼い体を振り回す。

    そんな母親と家に帰るのが嫌だったのか、どうしてもオモチャを探したかったのか覚えていないが、自分も負けじと抵抗していた記憶がある。

    その後、オモチャを探すことができたのか、どうやって帰ったのかまでの記憶はなく、ただ悲しくて泣きながら抵抗しているまでの記憶だ。

    あれはいくつの時の記憶だろう。

    そしてあの日、なぜ母親は機嫌が悪かったのだろう。

  • 投票前日

    いよいよ明日は参議院議員選挙の投開票日だ。

    夜はテレビ各局とも速報番組を放送するので見事なくらいラテ欄がスッカスカになっている。

    選挙の時は毎回であるが、自分が立候補している訳でもなく、また各党の選対責任者でも党本部の役員でもないのに、なぜだか結果が気になって深夜まで観てしまい、翌日は寝不足になるということを繰り返してしまう。

    今回はそうならないよう、早めに切り上げて就寝するつもりではいるが、民主党にせよ自民党にせよ各党が掲げている勝敗ラインに届くか届かないかスレスレの状態で推移すれば、やはり気になって仕方ないので深い時間までテレビに付き合ってしまうかも知れない。

    それにしても、今回の争点がすっかり消費税となってしまい、沖縄普天間基地の件や八ッ場ダムの件が小惑星イトカワよりも遠くに行ってしまった感が否めず、地元の人の心中を察すれば怒髪天を衝くのを通り越して落胆だけが残っているのではないかと思われる。

    八ッ場ダムの件に関しては、民主党としても今さら工事再開とは言い難いだろうし、あくまでも計画中止という線で推し進めて地元住民の感情を逆なでするのも得策ではないだろうから、それを争点にすることは極力は避けたいだろう。

    自民党にしても事業仕分けで無駄遣いの内容が一分とは言え国民の目にさらされ、今までの自民党政治がいかに無力で議員が無能だったか気づいた国民の前で、大きな意味を持たないことが明らかになって凍結状態にある巨大公共工事を再開させるとは大きな声で言い難いだろうし、自分たちが推し進めた計画であるからこそ、今さら無駄を省くために 「中止します」 とも言えないというジレンマを抱える。

    普天間基地の件に関しても民主党は腫れ物に触るような扱いしかできないし、自民党は今さら県外・国外移転など主張できるはずもなく、その話題には触れない方が得策というものだ。

    世の中を変える、仕組みを変えるというフレーズだと、こんな世の中にした自民党よりまだ民主党の方がマシと言われるのがオチだ。

    では今の時代、何を争点として選挙戦に挑むのか。

    ここで、格好の攻撃対象となる消費税に関することを菅総理がポロッと口走ってくれたものだから、一気に選挙の争点を消費税問題にロックオンしたに過ぎない。

    ズルズルと自民党を始めとする野党のペースに引き込まれてしまった感のある民主党だが、実は今回の選挙で消費税など論点にすべきではないだろう。

    民主党は無駄の削減が第一、実際に消費税率を変更するのは最短でも 3年後、ただし、その税率と税収の配分に関しては 1日や 2日で決められるものではないので今から議論を進めるべき、実効税率がどうなるか分からないが、まずはたたき台として 10%だったらどうなるかというところから話し合いを始めたいと言っているに過ぎない。

    何も明日から消費税率が上がるとか、来年から上げるとかという話しではないのに、野党はあたかも今回の選挙で消費税の行方が決まるような口ぶりで選挙戦に挑み、頭の悪いマスコミはそれに乗せられてワーワー騒いでいる。

    実に情けなく、実に幼稚な選挙戦。

    少し前の雑感に書いたように、日本の危機的状況を救うのは、揚げ足取りで重箱の隅をつつくような消費税の話しではなく、この日本をどうやって再構築し、日本はどこに向かうべきなのかを明示することである。

    日本を崩壊の危機から救ってくれそうな党はどこなのか、明るい未来を提示してくれる党はどこなのか、それをしっかりと見極めたいところだが、どの党も消費税のことばかり。

    そんなことはどうでもいいと思っているので、どの党も将来について主張しないのであれば投票などしたくない。

    いや、そんな中でも一番まともそうな政党を応援してやることにしようと思うので、やはり投票場に行って一票を投じてこよう。

    どの党も信用できなければ白票でも入れるとするか。

  • マサルノコト scene 27

    2008年2月の大阪から北海道への引越しの際に惜しみつつも捨てることになってしまったが、我が家にはずっとマサルの布団があった。

    マサルの所有物でも何でもないのだが、いつもマサルが泊まっていくときに使っていた布団だったので、いつの間にか 『マサルの布団』 と命名されてしまったものだ。

    過去に何度も書いたように、独身の頃から何度となく遊びにきては宿泊していくことを繰り返していたので、ついにはマサル専用の布団、専用のシーツ、枕カバーなど、寝具セットが出来あがってしまい、マサルが突然やってきても宿泊の準備は万端に整っている状態で常備されることとなった。

    何の目的もなく、ただブラっと遊びに来ては泊まっていき、ロックのライブを二人で見に行っては泊まっていき、仕事の研修があるからと一週間ほど泊まっていったりを繰り返していたものだ。

    当時はまだ若く、体力もヒマもあり、お互いの住む町が遠いとは言え車での移動が可能だったこともあって、そんな無謀とも言えることが出来ていたのだろうが、あれから何年もの時を経て若さも体力も失い、なんだかんだと忙しくしていてヒマもなく、決定的な要素としては互いの生活拠点に安易に移動不可能なほどの距離が生じてしまったため、もう何年も顔を合わすことなく、年賀状もこちらからの一方通行という状態になっている。

    北海道に帰ってきたのだから、大阪、東京と離れて暮らしているより地元が近い分だけ少しは会いやすくなったとも思えるが、マサルは仕事が不規則だったり世間と同じタイミングで休んだりもできないので、お盆だから、正月だからと帰省できる訳でもなく、また、自分もそうだったように物理的な距離が遠くなるとなかなか帰省する気にもなれず、5年も 10年も実家に顔を出さないなどというのは当たり前になってしまうので、さっぱり北海道に帰ってくる気配がない。

    さらに自分も気楽な仕事をしているがゆえに、交通機関や道路が混雑しているのを覚悟してまで、わざわざ盆や正月に帰省することもなく、『お買い物日記』 担当者の定期検査のついでとかに合わせて帰るようにしているので世間一般の行動パターンとは明らかに異なる。

    それだけ余計に互いのタイミングが合わず、なかなか地元で合流することもできずにいるが、よく考えてみれば自由気ままに休むことのできる自分がマサルに合わせれば良いのではないかという思いに至り、マサルに帰省する気があるのであれば、それに同調して里帰りするのも悪くないのではないかと思う。

    で、話を元に戻してマサルの布団だが、大阪で荷物の整理をしているときに捨てるべきか持ち帰るべきか大いに悩んだ。

    しかし、『お買い物日記』 担当者の生まれ故郷に住むことになれば、そこはマサルと縁もゆかりもない土地であるため訪ねてくることもないだろうし、自分の生まれ故郷に住むことになれば、そこはマサルの生まれ故郷でもあり、実家もあるため専用の寝具を用意する必要はないだろう。

    大阪の暑い夏を一度だけでもマサルに体験させてやろうと目論んでいたが、それが実現しないまま大阪を離れることになり、マサルの布団を捨ててしまうことになるのは心残りであったものの、可能な限り引越し荷物を圧縮するのを目標にしていたので心を鬼にして捨てることにした。

    あれから 2年と 5カ月、捨てた布団は埋め立てられて朽ち果て、土へと返る過程にあるだろうか。

    それとも焼却処分されて煙となり、偏西風に乗ってアメリカ大陸まで行っただろうか。

    もしかすると地球を一周し、今、この空を漂っているだろうか。

  • デジタル化の波 Signal-3

    デジタル化の波 ~目次~

    まだテレビを買い換えておらずアナログ電波を受信し続けている訳であるが、放送が終了するのが 2011年の 7月であるから、いよいよタイムリミットまで 1年余りとなってしまったということであり、いいかげんにデジタル薄型テレビの購入を真剣に検討せねばならない時期になってきているのだが、今はそれほどテレビを見るわけでもなく、録画しておくにしても HDD/DVDレコーダはデジタル放送を受信しているので大きな問題を抱えておらず、ついつい先延ばしになっているのが現状である。

    この街に二軒ある家電量販店のうちの一軒が不採算店の整理統合を進めていることから撤退が決定し、7月の末日で閉店になるので現在はセール期間となっており、もしビックリするくらいの在庫処分価格になっているのであればそれを機会に買ってしまうのも悪くないと店内を見回してみたが、店頭価格から 5-10%の値引きがされている程度であり、もう一軒の量販店の方が安かったりするのを目の当たりにすると、競争に負けて撤退を余儀なくされるのも致し方ないと深く納得させられたりした。

    タイムリミットが近づいてはいるものの、まだ一年以上も先であるし、年末には新製品の入れ替えがあってまた価格に大きな変動がある元の予想されるので焦って購入する必要はない。

    それにしても、アナログ放送が終了してしまうことに関しては感慨も一入で、生まれてからずっとお世話になっていた方式が終わりを告げることに一抹の寂しさも感じたりする。

    白黒でテレビ放送が開始され、カラー化、ステレオ化、二か国語放送、文字放送と進化してきたが、デジタル化に関しては進化ではなく生まれ変わりに等しいほどの変革だ。

    デジタル化によって映像と音声だけではなく、様々な情報まで送受信可能になるし、電波の届かない地域であっても電話回線さえあればインターネット経由で視聴できるようになる。

    アナログ電波で起こっていたノイズもなく、画面が乱れたりガサガサの映像になったり、映像が二重に見えるゴースト現象もないクリアな映像を見ることができるなどメリットも多い。

    ただし、メリットだけではなくデメリットもあり、なんとかギリギリで電波を受信できていたような場所ではまったく映らなくなってしまうので、山間部やビルに囲まれた場所で映像が悪いながらも何とか見ていた家では受信することができなくなってしまう。

    大阪で暮らしていた頃は阪神タイガースの試合がみたくて目が痛くなるのをこらえながらサンテレビをなんとか見たりしていたが、デジタル放送になると基地局を設けなくては受信できなくなる可能性が高い。

    受信可能な電波であればノイズのないクリアな映像を楽しめるが、ノイズが多すぎる微弱な電波は受け付けることができず、単に真っ黒な画面が映し出されて「受信できない」旨のメッセージが表示されるだけになってしまうだろう。

    それは何とも味気ないことか。

    アナログ電波のようにザーッと砂の嵐にならず、真っ黒な画面。

    中学生の頃、真夜中に放送されている 『砂の嵐』 という番組は、あんなコトやこんなコトがナニでアレで、子どもなどに見せられないようなもの凄い放送だと噂され、眠い目をこすりながら必死に睡魔と戦って夜中の 1時 2時まで起きていたことを思い出す。

    これからの時代、そんなアナログな話しが子どもたちの間で噂されることもなくなるのだろう。

    時代の流れとは言え、それはそれで何だかちょっと寂しい気がしてしまう。

  • 何もしたくない日

    今日は午前中から法事のための来客があり、愛想笑いなんぞをしてみたり、とりとめのない話に耳を傾けたりしている段階で多少の疲れを覚えていたのだが、共にした昼食の席で同じ話しを何度も聞かされたり、さらなる愛想笑いで疲れが蓄積されたのに加え、日の高いうちからビールを勧められて飲んだりしたものだから雑感を書く気にならず、ボーっとパソコンの前に座ったりしていたが、せめて一行でも二行でも書いておこうと、やっとキーボードに手を置いたところである。

    ここまで何もしたくないというのも珍しく、せめてテレビを見るとかゲームをするとか何かしらの暇つぶしにも興味は向かず、今はただ、床のジュウタンの模様の一箇所をただひたすら見つめながら思考のおもむくままにボーっとしていたい気分であり、何かを順序立てて考えたり構成を考えながら文章など書く能力も意志も完全に欠落している状態で、パソコン画面を見てはいるものの焦点が合っているんだか合っていないんだか、ときおり意識が 『はやぶさくん』 が行って来たイトカワの浮かぶ 23万km の彼方まですっ飛んでしまう。

    おまけに昼に食べた蕎麦のつゆが家で食べるものより塩辛かったのが原因なのか、それともアルコールを摂取したからなのか、やたらとノドが乾くので何度も水を飲むのに立ち上がり、キッチンで料理の下準備をしている 『お買い物日記』 担当者と話をしてみたりするので余計に考えがまとまらず、さらには天ぷら蕎麦にしたのが悪かったらしく、なんだか胃もたれというか胸やけというかモヤモヤした状態が続いており、数年前だったらとっても美味しく食べていたはずなのに、一人前の天ぷらを口にしただけで胸やけしてしまうとは何とも情けないなどと意気消沈したりする。

    そして今日は気温が上がって部屋の温度は 27度を超えており、北海道にしては暑いという領域に達しているので余計に思考が鈍っているものと思われ、普段であれば 『はやぶさくん』 とか 『参院選』 という 『お題』 さえ浮べば、人から 「長い!!」 と言われるほどダラダラと文章を書くことができるのに今日は考えるのすら面倒で、キッチンから香ってくるニンニクの臭いに胸やけも忘れて食欲をそそられたり、開け放った窓の外から聞こえてくる鳥の声に耳を傾けたりしてしまう。

    という訳で、今日は何もしたくないので何を書こうかなぁ~と考えるまでを文章化してみたが、たまにはこんな日があっても良いのではないかと、相変わらずボーっとした頭で思ったりしているところである。

  • 日本の終わり

    05/08の雑感にも書いた通り、経済学者によれば日本はこのままの状況が続くとあと 4-5年で破綻するであろうことは現実的であり、そんなことは政治家も官僚も知っていることであるにもかかわらず、政治家は選挙が怖くて消費税の値上げを声高に主張できないし、官僚は保身のために無駄遣いを減らすことができずにいるため最悪のシナリオは着々と進んで破滅へのカウントダウンは確実に進んでいる。

    菅総理大臣が誕生して多少なりとも軌道修正されることを願ってはいるが、日本の産業も衰退して技術力も失われ、韓国や中国、そのうちにインドやベトナムにも追い越されてグローバル経済下で競争力を失ったら法人税も目減りするのであるから国の予算は大量の赤字国債を発行しなければ成立しないと言うことになる。

    そうなったら破綻までの時間はますます短くなり、延命の手段すらないだろう。

    それにしても、なぜ日本はこのような状況になってしまったのか不思議でならず、どう考えても納得、理解できないことの一つとして毎年の国家予算が挙げられる。

    無駄遣いが多いとかいうのはもちろんのことだが、それ以外にどうしても理解出来ないのはもっと低レベルな足し算、引き算の話しで単純化すれば小学生にでも分かりそうなことである。

    車の販売台数は激減し、経済規模は 30年くらい前の水準まで縮小し、デフレで物価が上がらないどころか下がってしまい、人口も減り始めた今、なぜ国家予算だけは増え続けなければいけないのか。

    今の日本が 30年前程度のものであれば、単純には予算だって 30年前と同額で差し支えないはずだと思うのは自分だけだろうか。

    1980年の一般会計予算は 21兆円、特別会計予算 90兆円で合計 111兆円くらいであり、2010年度の一般92兆円、特別122兆円を合わせた 214兆円の半分くらいで済んでいる。

    当時から無駄遣いはアホほどあっただろうから、なんだかんだで 100兆円もあれば足りるのではないかと思われる。

    当時とは異なり、少子高齢化、格差が進んでいるので福祉や医療、社会保障などは予算が膨らんでも仕方がないとしても 120とか 130兆円で何とかしてもらいたい気分だ。

    前述した通り車の数が減っているのだから、これ以上は道路拡張する必要性は低いだろうし、高速道路などは百年の計で考えなければならないと偉そうに言っても 100年後に自動車がタイヤを転がしながらアスファルトの上を走っている保証などどこにもなく、スイスイと空を飛んでいるかも知れないので必要性の判断は難しい。

    とにかく徹底的に無駄を省いて必要最低限のことをやれば予算を半分くらいに出来そうだと思うのだがどうだろう。

    このまま無能な政治家と志の低い官僚に国の将来を任せていたら日本が破綻するのは間違いなさそうだ。

    だとしたら海外に脱出しようかとも思うが、日々の糧を日本に依存しているので自分だけ脱出してもクライアントが破綻したら報酬を得ることができなくなる。

    円が紙くずになっても困らないようにユーロとかドルの外貨預金をしておくべきかも知れないとも思うし、今はユーロに対してもドルに対しても円が強く、安く外貨が買えるのでチャンスと言えばチャンスなのだが、経験がないのでちょっと不安だ。

    おまけにアメリカの先行きだって安泰ではないだろうし、ヨーロッパ圏はもっとガタガタしている。

    ここは中国の元かとも思うがバブルが弾けるのも時間の問題だろうから今は手を出しにくい。

    何となく、ずっと落ち着いているオーストラリアドルなんか良さそうだが、全世界が不況になったら観光客も畜産、穀物の輸出量も減るだろうから安泰ではいられないだろう。

    つまり、ネガティブに考えると何をしてても一緒ということになるし、そもそも外貨預金するほどの資産も持ち合わせていないという悲しい事実もあったりする。

    来月には確実にあるであろう参議院選、普天間も政治とカネの問題も大事だとは思うが、日本経済を立て直してくれる政策を打ち出し、実行力のありそうな政党を支持しようかと考えている。

  • 先祖返り

    SPA(Speciality Store Retailer of Private Label Apparel)とは、ユニクロにみられるような日本語では 『製造小売業』 と呼ばれるビジネスモデルであり、元々はアメリカの衣料品小売大手 GAPが開発した手法であるため、ファッション、アパレル業界に向けた用語だったが、企画から製造、販売までを垂直統合させることによってムダを省き、消費者のニーズに迅速に対応できるということから、多くの業態にその手法が取り入れられ、今では家具のニトリ、靴のABCマートなど多岐に渡っている。

    大手スーパーが自主企画商品として発売しているPB(プライベートブランド)商品だって大きく広い目で見ると企画、製造、販売までしているのだから SPAの一種なのではないかと思われる。

    庶民にとって品質の良いものを安く提供して頂けるのであればどんな手法のビジネスであれ、これほど嬉しいことはないし、事実として今のところは消費者も支持して商品が選ばれ、企業も利益を得られているのだから双方にとってプラスの結果をもたらしていると言えよう。

    しかし、それはそれとして不思議に思うこともある。

    企画、製造、販売をすべて手がけるというのはニュービジネスでも最先端のビジネスモデルでもなく、消費者に喜ばれるものを作りたいと思い、原材料の仕入れから製造、そして販売までを手がける昔ながらの豆腐屋さん、わらび餅屋さんなどと何ら変りなく、商売の先祖返りに他ならないのではないだろうか。

    もっと原点に立ち返れば漁師さんが捕ってきた魚を自分で売る、農家の人が育てて採った野菜を自分で売るというのも同じことのように思う。

    昔はそういうビジネス、商売ばかりだったのが効率を求めて分業化し、作る人、仕入れる人、それを運ぶ人、運ばれたものを売る人など、それぞれがビジネスとして独立していったはずだ。

    そして、その小売がバラバラに存在するよりまとまっていた方が買う側にとって効率的であることから、百貨店やスーパーという形態が生まれ、様々な売り場を誘致したことから巨大化していったのだろう。

    それが今、再び分裂した訳だが、それぞれの小売がひとつの商業施設に誘致され、例えばユニクロ、ニトリ、ABCマートが軒を連ねるようになり、ヤマダ電機とかビックカメラなどの家電量販店も、ドラッグストアもホームセンターまでもまとまったら再び巨大な百貨店とかスーパーとかが誕生することになるのだろうか。

    食事にしてもそうだが、ラーメン店、寿司屋、洋食屋などバラバラに存在するより家族で行って、何でも好きなものを注文できたほうが便利だということでファミリーレストランが誕生したのだろうが、今は絶滅危惧種に向かってまっしぐらなのではないかと不安視されるほど業績が低迷しており、むしろ中華なら中華、牛丼なら牛丼、カレーならカレーの専門店に消費者が流れている。

    この業態を SPAとは呼ばないが、客に好まれるであろう料理を考案し、それを作って販売する流れは製造小売業と同質のものであるような気がする。

    この飲食店業界も数年先になると、やっぱり一箇所で様々なのものを食べられたほうが便利だということになり、再びファミリーレストランのような業態が脚光をあびたりするのだろうか。

    離散集合を繰り返して組織やビジネスというのは大きくなっていくものであるが、はたしてこれから先、どんなビジネスが生まれてくるのだろう。

  • 大は小をかねるか?-2

    何かの知識や技術があると神のように崇められ、まるで万能であるかのように思われることがあるものだ。

    学校の先生もそうであり、人にものを教えるくらいだから何でも知っているであろうし、何でも知っていなければいけないような雰囲気にすらなる。

    しかし、実際には教師といえども得意科目はあるだろうし、実は体育が苦手だとか音楽が苦手だとか美術などセンスのカケラもないという人だっているだろう。

    毎日のように子どもと接しているのだから、当然のごとく子どもの扱いに慣れているだろうと思われているだろうし、さぞかし躾(しつけ)や教育に関しても完璧なのではないかと思われるだろうが、実際には教師の家庭に生まれた子のすべてが人格者になり、高度な知識を身に付けるかといえば決してそんなことはなく、不良になる子もいれば犯罪者になってしまう子どもだっている。

    医者なども同様で専門分野以外の知識に乏しく、分野の異なる疾患に関しては手も足も出ないというケースはざらにある。

    もちろん一般人よりも豊富な知識はあり、一通りの教育は受けているはずなので専門外のことに対して無知ではないだろうが、医者だからと言ってすべての病気を治してくれる訳ではない。

    弁護士にしても得意分野というものがあり、夫婦間のトラブルに強かったり事件、事故関係が得意だったり IT分野ならお任せあれという人もいるだろう。

    逆に苦手な分野もあるのは事実で、とくに IT分野は著作権が絡んだり専門用語、技術用語のハードルが高く敬遠されがちで、何年か前までは案件を引き受けてくれる優秀な弁護士というのは少なかった。

    今は時代の流れからパソコンも普及し、一般の人でも用語を理解できるので若い弁護士であれば問題ないと思われるが、十数年前ともなると音楽の CDとパソコンで使う CD-ROMの違いから説明しなければいけなかったので大変だったのである。

    ここまで挙げてきたのは俗に“先生”と呼ばれる職業だが、我々コンピュータ関連でも同じようなことが言える。

    例えばこの雑感に何度も登場しているマサル、今は内勤になっているが数年前まではコンピュータ端末の修理のため現場を飛び回る仕事をしていた。

    かかえる顧客が高齢であり、さらに離島に暮らしている場合もあったりするが、そんな技術者をめったに目にすることのない人たちは、ここぞとばかりに関係のないことまで依頼してくるらしい。

    テレビの映りが悪い、CDで音飛びがする、やれ炊飯器だ冷蔵庫だと、様々な不満をぶちまけては修理してほしいと言ってくるのだそうだ。

    彼らにしてみたらコンピュータみないな精密で複雑なものを修理できるのだから、テレビや冷蔵庫を直すなど造作もないことであると思い込んでいる。

    しかし、構造から何からまったく異なる機器をチョチョイと修理できるはずもなく、断るのに一苦労するということだった。

    ひるがえって自分。

    パソコンを使う仕事をしていると、それに関わることは何でも知っていると思われているようだ。

    その相談内容はパソコン本体が起動しなくなったということから急に動作が遅くなったという相談、アプリケーションの使い方からウイルスの駆除まで多岐に渡る。

    この業界で何年も仕事をしているので一般の人より若干の知識はあるが、いままで述べてきたように決して万能ではない。

    とくに初めて見るソフトウェアの使い方を聞かれても答えられるはずもなく、さらには画面を目にすることすらできない電話相談されても質問内容自体を理解することができないではないか。

    設計などで使用される CADとか医療系のものなど、専門色の強いもの以外、パソコンのソフトなどというのは操作方法から使用される用語まで似たり寄ったりのものが多いので、ちょっと考えれば何とかなったりするものではあるが。

    とりあえず、一緒に考えながら操作してみて使い方を導き出せてはいるので、何とか役には立てているものと思われるが、何でも知っていて当然とばかりに安易な質問をしてくるのだけはやめていただきたいものである。

    人は決して万能になどなれはしないのだから。