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  • マサルノコト scene 31

    マサルノコト目次

    それはひどく残暑の厳しい年のことである。

    その日は仕事関係の付き合いで法事に出席するため和歌山県に行っていた。

    一段落して近くの居酒屋で和歌山近海物の魚を食べながら酒を呑み、少し気分を良くしながらのホテルへの帰り路、同行していた 『お買い物日記』 担当者が携帯電話で自宅の電話の留守録を確認する。

    少し怪訝な顔をしながら
    「マサルさんからのメッセージなんだけど」
    と言い、電話機を渡された。

    聞こえてきたのは、いつものおどけた調子と異なり真剣で、どこか暗く沈み、少し震えるように
    「何時になっても構わないから連絡して欲しい」
    というマサルの声だ。

    マサルの身に何か起きたのか、マサルの妹、両親に何かがあったのか、とにかくホテルに帰る時間も惜しみ、その場でマサルに電話した。

    何度目かのコールで電話に出たマサルの声はやはり暗い。

    「どうしたっ?」
    「・・・」
    「何があったっ!?」
    「・・・それがよぉ」
    「・・・」
    「・・・」
    「・・・何だよっ!どうしたんだよ!」

    とても話しづらそうにしているマサルの口から出た言葉を、最初は正確に、いや、まともに理解することができなかった。

    「・・・ノブアキが死んだ」
    「・・・」
    「・・・」
    「・・・」
    「・・・なに言ってるだよ。」
    「ノブアキが・・・」
    「・・・何の冗談だ?」
    「冗談でこんなことが言えるかっ!!」

    昭和ドラマでありがちなセリフだと、妙に醒めた脳の一部で思いながらも、こういう状況になったときは本当にこんなセリフしか口からでないものだと、もう一部だけ機能している脳が納得する。

    それ以外の部分の脳は完全に機能を停止し、何も考えることができないし、次に何を言っていいのかすら分からない。

    『お買い物日記』 担当者に腕をつかまれ、
    「ど、どうしたの!?」
    と声をかけられて、そこが見たこともない土地の路上であること、そして、今はマサルとの通話中であることを思い出した。

    ゆっくりと、そしてやっと再起動した思考でやっと口から出たのは
    「ど、どうして?何が原因で死んだんだ?」
    という気の利かない有りふれたセリフ。
    「心不全としか聞いてないからよく分からん」
    という怒ったようなあきらめたようなマサルの答え。

    それから何を話し、なんと言って電話を切ったのか記憶がない。

    『お買い物日記』 担当者に支えられながらホテルに戻り、ベッドに横たわったが酒が入っているのに目が冴えて眠ることが難しかった。

    実感がなく、悲しみは湧いてこない。

    まだまだ死を意識するような年齢ではなく、社会的には若手と呼ばれる世代であり、人生においても仕事においても、これから先は無限の可能性を秘めた未来が開けているはずだった。

    まだ結婚もしておらず、東京から仙台に転勤になったばかりのノブアキの未来も同じように開けていたはずなのに、それが閉ざされてしまったという事実。

    それから何日後だったのか記憶していないが、遺骨となって故郷に帰ったノブアキを偲ぶ集まりがあったので帰省し、マサルと一緒に出席した。

    「わざわざ遠くから来て頂いて・・・」
    と、ノブアキの伯母上が来てくれたので、以前から知りたかったことを思い切って訪ねてみた。

    「実は知らされていないのですが、ノブアキ君は何が原因で・・・」
    最後まで言い切る前に伯母上の顔色が明らかに変わり、何も聞こえなかったように場を去っていってしまった。

    その夜、母親から聞かされたのは信じがたいウワサ。

    ノブアキの父君は町の盟主であり、一定以上の地位に就いていたので、その子供の死については多くの人が詮索し、様々な話がもれ伝わっていたという。

    そして、その多くはノブアキの死因が自殺であるということ。

    中学生の頃から多くの時間を共に過ごしたのでノブアキのことを少しは分かっているつもりで、とても自殺などするとは思えない。

    翌日、空港まで送ってくれるというマサルの車に同乗し、
    「ノブアキに関する嫌な話しを聞いたぞ」
    と、その話しを切り出した。
    「たぶん同じウワサを俺も聞いたよ」
    とマサルが応じる。

    自分はまだ中学校からの付き合いだが、マサルとノブアキは小学校時代からの友達だ。

    マサルは優しく、人間ができていて器も大きいので、以前の雑感にも書いたとおり、悩みを打ち明ければ毎日でも、何時まででも話しに付き合ってくれる。

    自分など頼りにならないが、死ぬほど辛いことがあったのなら、どうしてマサルにだけは話さなかったのか、悔しさと腹立たしさが込み上げてきてノブアキを攻め立てることを言ってしまいそうだったので、空港に着くまでマサルと交わす言葉は少なかった。

    ノブアキの身に何が起こったのかは今も分からないし、一人で何を苦しんでいたのか今となっては知るすべもない。

    あれから何度の夏が過ぎただろう。

    明日、九月四日はノブアキの命日である。

  • マサルノコト scene 30

    マサルノコト目次

    マサルとの関係は社会人になってからも続いていたが、ノブアキを含めた三人で遊ぶことは盆暮れに帰省した際に会って酒を酌み交わす程度となってしまった。

    それでも年に二回程度は会い、何時間も懇々と話し続けたものである。

    酔った勢いで旧友に電話して呼び出してみたり、中学時代の担任に電話したこともあった。

    そのまま話しの流れで翌日に遊びにいく旨を告げたものの、当日になってみれば面倒だったり会って話すことも思いつかなかったりですっかり気を削がれてしまい、担任に会いに行くのを取りやめたのだが、もともとマサルと自分のだけの担任であってノブアキは最初から関係ないという事実があったりする。

    他の地域では馴染みが薄いだろうが、当時は北海道が発祥のパークゴルフというスポーツがブームとなっていた。

    使用するのはボールの他にクラブ一本と、道具に高額な費用がかかる訳でもなく、短いクラブで低反発のボールを打つため危険が周りに及ばず、子供たちが遊ぶ公園内でも練習や競技が可能、そしてルールが単純であることからゲートボール愛好者、競技者数をあっというまに追い越して、今現在も競技者数が増加し続けている高齢者の人気スポーツだ。

    ノブアキは親に連れられてパークゴルフを経験したらしく、酒を飲みながらそのゲームがどれほど楽しいかを力説したことがある。

    ゲートボールと同様にお年寄りのスポーツという印象が強かったマサルと自分は、ノブアキの話しを右の耳から左耳に流しながら
    「ふんふん」
    とか
    「ほぉ~」
    とか適当に相づちを打っていたが、あまりの力説に屈し、爺さんになる前でも三人が一定以上の年齢に達したら一度集まってプレーしようということで話をおさめておいた。

    とにかく三人で飲む酒は楽しく、言い争いをしたことも自慢話をしたことも苦労話をしたこともなく、最初から最後まで笑いっ放しの明るく健全な時間が流れたものだ。

    しかし、ただ一度だけノブアキが店の人にキレたことがある。

    居酒屋で食事がてらの酒を呑み、良い気分になって二軒目の店を探し、初めて入る小さなスナックに腰を落ち着けた。

    三人とも酒に弱くはないのでチビチビと水割りを頼むよりボトルを入れてしまおうということになり、ボトルキープというよりは飲み干すつもりで一本注文して乾杯などしながら飲み始め、カラオケで一曲歌い終わったところで店のママさんが
    「そろそろ閉店なんですけど」
    と言い出した。

    それまでの所要時間は 20分足らずであり、頭の中が真っ白になってポカーンとしてしまったが、ノブアキの血は瞬間湯沸かし器のように一瞬にして煮えたぎり、怒りをぶちまけ始める。

    ただし、酔ってはいるものの、それは実に理論的で、店に入った際に閉店時間を告げるべきであるということと、残り時間が短いのであれば、ボトル注文を受け付けず、水割りなどを勧めるべきであろうという内容だ。

    そこでママさんが素直に詫びれば良かったのだが、ツンと横を向いてしまったのでノブアキの怒りに拍車がかり、文句を言う内容も言葉遣いも乱暴になってきた。

    一人がキレると周りは不思議なほど冷静になるもので、確かにノブアキの言っていることは筋が通ってはいるが、酒の勢いもあって収まりがつかなくなってきたのも事実であるから
    「また次に来たときにボトルを飲めばいいから」
    とマサルと二人でなだめながら店を出た。

    筋の通らないことが嫌いな性格ではあったものの、人に対してあれほど強く意見をしたり詰め寄ったりするノブアキを初めて見たし、10年以上の付き合いで知らなかった一面を見ることになったことに少なからず驚いたりしたものだ。

    あの日、あの時、ノブアキがどうして激情したのか謎である。

    そしてその後、気分なおしに三軒目の店に向かったのか、空気が悪くなったので解散してしまったのか、記憶が定かではない。

  • マサルノコト scene 29

    マサルノコト目次

    若い頃はとにかく酒を呑んだ。

    以前から何度も書いている通り、子供の頃から真面目一本だったマサルは大人になってからもタバコやバクチには無縁だったが、酒だけはよく呑んだ。

    自分もそうだが酒に飲まれることはなく、かなり量が進んでも乱れず言語明瞭で、人からは飲み方が足りないと言われることもしばしばであり、滅多なことでは記憶をなくしたりしないタイプなのはマサルも同じだった。

    マサルが遊びにきても、帰省して田舎で会っても常に酒を酌み交わし、朝方まで盛り上がったものである。

    自分の住む町にマサルが遊びに来た際、家族のように接してもらっていた行きつけの焼き鳥屋で一升ずつ日本酒を呑んだこともあった。

    夫婦で切り盛りしている店の一角にある小上がりは、普段は使用されずに夫婦の荷物置場になっているのだが、落ち着いて呑みたいと座敷に上がりこんで料理に舌鼓を打ちながら酒を流し込む。

    ひとしきり話をして会話が途切れたところでふと見ると、将棋盤と駒のセットがあった。

    マサルも自分も将棋の駒の動かし方くらいは知っているが、そんなに詳しい訳でも本将棋が好きな訳でもなく、おまけに乱れないとは言え酒に酔った状態でまともに指せるはずもないので、子供の頃を懐かしんで将棋崩しなどをやりはじめた。

    知っての通り、将棋崩しというのは盤の中央に駒を積み、音を立てずに端まで移動させた駒を自分のものとして、どちらがたくさん取れるのかを競うものだ。

    二人とも酔っているので細かな作業をするのが難しく、おまけに酒で三半規管がマヒしかかっているので少しくらいの音がしても聞こえやしない。

    まともな勝負などできる状態ではないが、これも酔った勢いなのか、互いにブツブツと文句を言いながら何度も何度も勝負を続け、時間の経過と共に酒も進むので、どんどん判定があいまいになってくるという訳の分からないことになった。

    そして、気づけば空になった一升びんが二本、畳の上に転がっていたという訳である。

    それが若さのピークであり、それからは体力も下り坂を転げ落ちるように減退してしまったので、朝まで呑み続けるパワーもなく、酔いが回るのも早くなり、酒の量は増えるどころか減っていくという誠に経済的な体になった。

    マサルと最後に酒を呑んだのは、もう10年以上も前のことだろうか。

    いや、もしかすると15年以上前になるかもしれない。

    ここ数年間は電話ですらまともに話しをしていないが、この歳になって酒を酌み交わしたらどうなってしまうのだろう。

    もしかすると、小一時間もすれば料理で腹が満たされ、日本酒でも飲もうものならすぐにベロベロになってしまい、ろくに会話が成立しないかも知れない。

  • マサルノコト scene 28

    マサルノコト目次

    一月最終の土曜日だが、やはり今年もマサルからの年賀状は届かなかった。

    昨年末、年賀状の準備をしていたとき、さすがにもうマサル宛に出すのはやめようかとも思ったが、ここまで来たらこちらも意地になってしまい、こうなったら最後の最後まで出し続けてやろうと思い直して発送してやった。

    宛先不明で帰って来ないところをみると今でも東京に住んでいるのだろうが、何年も会っていないどころか電話すらしていないので正確なところは不明である。

    しかし、『便りのないのは無事の知らせ』 という言葉もある通り、急な連絡がない限りは元気に暮らしていることだろう。

    今は音信不通に近い状態となっているが、今から何年も前、数カ月間に渡って毎日電話で話をしていた時期がある。

    それは互いに話好きで電話していた訳でもマサルから電話してきたわけでもなく、自分の一方的な都合で電話をし、それにマサルが付き合ってくれていたという実に迷惑千万な事情だ。

    その時期、自分は精神的に追い詰められ、かなり大きなダメージを負っていた。

    食事もノドを通らず、夜も眠れず、酒を呑んでも酔えない地獄のような日々だった。

    一人で考え込むと負のスパイラルにはまり込み、冷え冷えとする冬の夜など超マイナス思考に陥って [ 暗い ] → [ 寒い ] → [ ひもじい ] → [ もう死にたい ] という典型的な負の段階論に進みそうになってしまう。

    そんな時、何とか踏みとどまって負のスパイラルを断ち切れたのは、マサルが親身になって話を聞いてくれたおかげである。

    何とも身勝手な話ではあるが、マサルと話をしながら酒を呑んでいると気が紛れて落ち着きを取り戻し、少し酔いが回ってくると食べ物がノドを通るようになり、腹が満たされて酔いが深くなると眠れるようになる。

    くる日もくる日も、夜中の 2時くらいまで話し、酒に酔って寝る毎日。

    マサルだって仕事があるのに毎晩つきあってくれた。

    マサルの仕事も時間が不規則で帰宅していないこともあったが、留守電にメッセージを残しておくと必ず電話をしてくれた。

    タイミング悪く入浴中のこともあったが、それが終わると電話をくれた。

    当時は電話会社間の競争もなく、NTTの独占事業だったので長距離電話の通話料金は今と比較して驚くほど高かったのにマサルの方から電話をしてくれた。

    普通であれば、「いい加減にしろっ!!」 と叱られても仕方ないほどワガママで身勝手なことをして、一方的にマサルに迷惑をかけているのに気が済むまでとことん付き合ってくれた。

    以前に書いた学生時代の恩も合わせ、色々な意味での恩人なのである。

    自分はといえばマサルの恩情と共に時間の経過が傷を癒してくれたおかげですっかり元気なり、そこまでの恩がありながら、せっかく遠くから遊びに来てくれたマサルをなかなか家に入れてやらなかったり、憎まれ口をたたいたりして何事もなかったように勝手なことをしていたりする、実にどうしようもない奴だったりするのである。

  • マサルノコト scene 27

    2008年2月の大阪から北海道への引越しの際に惜しみつつも捨てることになってしまったが、我が家にはずっとマサルの布団があった。

    マサルの所有物でも何でもないのだが、いつもマサルが泊まっていくときに使っていた布団だったので、いつの間にか 『マサルの布団』 と命名されてしまったものだ。

    過去に何度も書いたように、独身の頃から何度となく遊びにきては宿泊していくことを繰り返していたので、ついにはマサル専用の布団、専用のシーツ、枕カバーなど、寝具セットが出来あがってしまい、マサルが突然やってきても宿泊の準備は万端に整っている状態で常備されることとなった。

    何の目的もなく、ただブラっと遊びに来ては泊まっていき、ロックのライブを二人で見に行っては泊まっていき、仕事の研修があるからと一週間ほど泊まっていったりを繰り返していたものだ。

    当時はまだ若く、体力もヒマもあり、お互いの住む町が遠いとは言え車での移動が可能だったこともあって、そんな無謀とも言えることが出来ていたのだろうが、あれから何年もの時を経て若さも体力も失い、なんだかんだと忙しくしていてヒマもなく、決定的な要素としては互いの生活拠点に安易に移動不可能なほどの距離が生じてしまったため、もう何年も顔を合わすことなく、年賀状もこちらからの一方通行という状態になっている。

    北海道に帰ってきたのだから、大阪、東京と離れて暮らしているより地元が近い分だけ少しは会いやすくなったとも思えるが、マサルは仕事が不規則だったり世間と同じタイミングで休んだりもできないので、お盆だから、正月だからと帰省できる訳でもなく、また、自分もそうだったように物理的な距離が遠くなるとなかなか帰省する気にもなれず、5年も 10年も実家に顔を出さないなどというのは当たり前になってしまうので、さっぱり北海道に帰ってくる気配がない。

    さらに自分も気楽な仕事をしているがゆえに、交通機関や道路が混雑しているのを覚悟してまで、わざわざ盆や正月に帰省することもなく、『お買い物日記』 担当者の定期検査のついでとかに合わせて帰るようにしているので世間一般の行動パターンとは明らかに異なる。

    それだけ余計に互いのタイミングが合わず、なかなか地元で合流することもできずにいるが、よく考えてみれば自由気ままに休むことのできる自分がマサルに合わせれば良いのではないかという思いに至り、マサルに帰省する気があるのであれば、それに同調して里帰りするのも悪くないのではないかと思う。

    で、話を元に戻してマサルの布団だが、大阪で荷物の整理をしているときに捨てるべきか持ち帰るべきか大いに悩んだ。

    しかし、『お買い物日記』 担当者の生まれ故郷に住むことになれば、そこはマサルと縁もゆかりもない土地であるため訪ねてくることもないだろうし、自分の生まれ故郷に住むことになれば、そこはマサルの生まれ故郷でもあり、実家もあるため専用の寝具を用意する必要はないだろう。

    大阪の暑い夏を一度だけでもマサルに体験させてやろうと目論んでいたが、それが実現しないまま大阪を離れることになり、マサルの布団を捨ててしまうことになるのは心残りであったものの、可能な限り引越し荷物を圧縮するのを目標にしていたので心を鬼にして捨てることにした。

    あれから 2年と 5カ月、捨てた布団は埋め立てられて朽ち果て、土へと返る過程にあるだろうか。

    それとも焼却処分されて煙となり、偏西風に乗ってアメリカ大陸まで行っただろうか。

    もしかすると地球を一周し、今、この空を漂っているだろうか。

  • マサルノコト scene 26

    北海道に帰ってきたのが原因なのか、このところ良く少年時代のことを思い出す。

    やはり強烈な印象として残っているのはマサルと同じクラスで過ごした中学二年と三年のころで、他のどの時代よりも楽しく、そして虚しく、心も体も子供から大人に変わるその期間、生や性について考えたり悩んだりしたものである。

    自分は生と死に関して深く興味を持ちつつも当然のことながら答えなど見つかるはずもなく、いろいろ考えているくせに命を大切にする訳でもなく、「いつ死んでもいいや」 などとうそぶきながら不良仲間とムチャクチャなことをして遊んだり優等生のマサルと付き合ったりと実に不安定な生活を送っていた。

    徹底的に悪くはならないように自分を引っ張ってくれたり叱ってくれたりしながら見守ってくれたのは以前に書いた通り当時の担任とマサルだった。

    そのマサル自身に悩みがなかったのかと言えば、同じ思春期を過ごす者として一人だけ安穏とした日々を送っていたはずもなく、マサルはマサルなりの悩みがあったに違いない。

    常に自分のお目付け役を演じ、実年齢も精神年齢も上であったマサルに何か相談されることなど数えるくらいしかないが、こと恋愛に関してはとことん臆病で慎重であるがゆえに何度か相談されたことがある。

    修学旅行で行った先の宿、みんなが寝静まってからもマサルと二人、延々と話し続けて空が白々と明るくなってきたこともあった。

    宿についてから食事をとり、就寝前までは恒例のマクラ投げやら何やらでドタバタと暴れまくり、他の同級生たちは疲れきって眠ってしまった。

    何せ担任が火災報知器を指差し、「あれはホコリも感知するんだから暴れたら警報が鳴るぞ」 と脅かされていたのを無視し、天井にある器具にビニール袋をかぶせてテープで固定し、ホコリを遮断してまで騒いでいたのである。

    おまけに深い時間になると電気を消して廊下に見張りを立たせ、有料テレビの硬貨投入口に針金を突っ込んで操作しながらアダルトビデオを鑑賞し、夜遅くまで目をランランと輝かせていたのである。

    深夜の時間帯になると一人、また一人と脱落者が現れはじめ、とうとう起きているのはマサルと自分だけになってしまった。

    そこでボソボソと話しをしていて同級生を起こしてしまうと申し訳ないことと、あまり人に会話の内容を聞かれたくないこともあり、二人でそっと部屋を出て各部屋にある玄関のような狭い場所にあぐらをかいて話し続けた。

    今から思えば実にたわいのない話しだったり悩みだったりするのではあるが、マサルが想う彼女の真意がどこにあるのか、仮に彼女がああ思っていたら、こう思っていたらなどと、現実と想像、妄想の中で遊んでいた。

    当たり前のことではあるが、その会話で答えなど見いだせるはずもなく、鳥のさえずりを聞いてから布団にもぐりこみ、それから泥のように眠った。

    翌日からの移動中や観光地めぐりなど、一切の記憶が残っていないのは言うまでもない。

  • マサルノコト scene 25

    新年になって 9日も経過したが、やっぱりマサルからの年賀状は届かない。

    正月に一通の賀状も届かないのは寂しかろうと今回も出してやったのだが、それの返事すら届かず、メールや電話の一本もないので来年からは放っておこうかという気分になっている。

    知り合った中学生の頃、何度となくマサルの家に遊びに行ったが、部屋もきちんと片付けられており、とても几帳面な性格だったと記憶している。

    授業で使うノートもキレイに書かれていたし、当時は音楽の記録媒体だったカセットテープも見事に管理されていたし、本棚には整然と小説などが並べられていた。

    scene 7 に書いたように、ある日突然、何の前触れもなくアパートを急襲したこともあったが、まるで所帯持ちのように掃除が行き届き、整理整頓されている部屋に住んでいたマサルである。

    筆不精かと言えば決してそんなことはなく、scene 16 に書いたが、まだパソコンもなく手書きするしかない時代に、もの凄い量の演劇用の台本を一人で書き上げたりするマサルだ。

    そんな奴がどうして年賀状を出すのを面倒がるのかイマイチ理解できないのだが、それは面倒とかいうよりポリシーの問題なのかも知れない。

    いつかの電話で
    「新年の挨拶なんてくだらねー」
    とか
    「年賀状のやりとりなんかしてどうなる」
    などと言っていた。

    確かに普段は何の付き合いもなく、年に一度、その賀状でしか近況を知ることがない程度の知り合いと、延々と文字だけの、それも正月だけの関係を継続すべきかと問われれば必要性を疑問視せざるを得ないのは確かだ。

    良く顔を合わせ、付き合いの深い人にこそ年始の挨拶をすべきであって、それも直接訪問しての挨拶が昔の主流で、その訪問ができないからこそ賀状というものが必要だったと推測される。

    その点を考慮すればマサルの言っていることはもっともであり、正しいように思えてくるが、それにしてもわざわざ賀状を出してやっているというのにナシのつぶてというのは何たることか。

    腹立たしいことではあるものの、わざわざ電話したりメールしてまで文句を言うのも面倒だ。

    そう言えばもう 10年もマサルと会っていない。

    電話で会話したのも 2007年の元旦が最後だ。

    いろいろな事情はあったものの、結果的にはせっかく北海道に帰って来たのだから、たぶん今でも東京に住んでいるものと思われるマサルさえ飛行機に乗ってくれば、生まれ育った町で合流するのも以前より容易なはずだ。

    何かのタイミングで久々に会うのも悪くはないと思っているが、何せ我家の場合は筆不精ではなくても出不精ときている。

    余程のことがない限り、これから先もマサルと会う機会は訪れないかも知れない。

  • マサルノコト scene 24

    思い出そうとしても、それがどういう理由だったのか定かではないのだが、マサルとノブアキの二人が自分の住むアパートを訪ねてきたことがあった。

    三人とも暮らす場所はバラバラだったのに、どうしてマサルとノブアキがその町で合流したのか、そして、何の用事があって尋ねてきたのか。

    とにかく何だか良く分からないが久々に三人が集まったのである。

    最初は思い出話や近況など報告しあい、話しに花を咲かせていたのであるが、なにせ男同士なのでペチャクチャと話すこともそれほど続かない。

    ましてや尋ねてきたのが昼間であり、酒が入っているわけでもないので余計に話が盛り上がるはずなどないのである。

    そこで何となく家庭用ゲーム機で遊び始めたのが間違いの始まりだったのかもしれない。

    選んだソフトはプロレスのゲーム。

    無類のプロレス好きであるマサルは目の色を変えて遊びに没頭し始めた。

    自分はゲーム制作会社に身を置いていたのでテレビゲームなど毎日目にしていたが、普段はゲームなどしないマサルとノブアキにとっては新鮮だったようで、どんどんゲームの世界にのめり込み、必死になって戦いを繰り広げている。

    その戦いは終わることを知らず、どちらが勝っても負けても
    「もう一回!」
    と、どんどん深みにはまっていくようだ。

    時間はどんどん経過して、ついにあたりが暗くなり始めた。

    その日、我が家で少し遊んだ後はマサルの運転する車にノブアキを乗せて、三人共通の故郷まで帰省する予定でいたのだが、すっかりゲームに夢中になってしまった二人は予定を変更して泊まっていくと言い出した。

    そのころの我が家には常に誰か彼か友達が遊びに来ており、夜を徹して遊ぶことなどざらだったので二人が泊まっていくのに何の支障もない。

    とりあえず晩御飯がてら居酒屋に行き、しこたま食べて飲んで語り明かした。

    帰宅後は再び戦いが始まり、それは深夜にまで及んだので翌朝早くに出発できるはずがない。

    何となくテレビゲーム機の電源を入れ、戦いが始まるともうだめだ。

    「もう一回!」
    が部屋にこだまし、エンドレスに戦いは続く。

    結局、マサルとノブアキが何泊したのか、どうやって帰省したのか、はたまた本当に帰省したのか今となっては思い出せもしないが、それからしばらくの間、マサルの母親から
    「君と遊んでばかりでさっぱり家に帰ってこない」
    と責められたものだった。

    自分の場合もそうだが、帰省して親の小言を聞いているより友達と遊んでいるほうが楽しいに決まっている。

    そんな訳で帰省のたびに三人で会い、酒を酌み交わす日々はまだまだ続いていくのであった。

  • マサルノコト scene 23

    そして自分とマサル、そしてノブアキは高校生になった。

    マサルと自分は同じ高校だったが、学科が異なるため当然ながら教室も違えば授業も異なってたまに廊下ですれ違う程度となってしまい、ノブアキとは学校も違うのでまったく会う機会がなくなってしまった。

    scene 15 に書いた転校していってしまったセイジ宛の 『声の便り』 も作ることがなくなり、三人で会う機会はまったくなくなってしまったに等しく、それぞれが違う道を歩き始めた。

    自分は生まれ育った町を出て絵の勉強をするためにアルバイトをしながら学校に通い、新たに知り合った仲間と夜な夜な車に乗って遊びまわったりしており、違う町の大学に通う友達から急にセイジの消息を知らされて家を襲撃してみたりしていた。

    学校を卒業後もすぐには定職につかず、厨房でバイトをしながらマージャンやパチンコで生活しているような暮らしぶりだ。

    マサルは卒業と同時に就職し、超有名なその会社の研修中に教官と衝突して日本最北の町に跳ばされて半分ふてくされながら、それでもその土地に溶け込んで生活していた。

    ノブアキは何浪かして大学に入り、何度も留年して卒業したため社会に出るのが遅く、かなり長いこと学生生活を謳歌していた。

    それぞれが生まれ育った町を離れ、それぞれの生活をしていたので三人が顔を合わせるのは盆や正月に帰省したときくらいなものであるし、年賀状のやり取りくらいなものである。

    この 『マサルノコト』 を書き始めることになったのはマサルからの年賀状が届かなかったのがきっかけだが、ノブアキも似たり寄ったりだ。

    ある年、正月に帰省した際に三人で会い、酒を飲んでいるとノブアキがハガキを二枚出してマサルと自分に渡し、宛名を書けという。

    意味が分からずにキョトンとしていると、ハガキの宛名を書く面に自分の郵便番号と住所、名前を書けとペンを取り出しながら偉そうに命令する。

    訳が分からず、渋々ながら書き終えてノブアキにハガキを渡しておいたのだが、それから何日も経ってそのハガキの裏面に新年の挨拶を書いた年賀状が家に届いた。

    ノブアキは宛名を書くのが面倒なものだから、会う機会があればそれぞれ自分自身に対する宛名書きをさせていやがったという、とんでもない奴なのである。

    マサルと二人、「なんてふざけた奴だ」、「あいつだけは許せん」 などとノブアキへ罵詈雑言を浴びせてやったりしていたが、帰省するたびに三人そろって酒を酌み交わすことは、それから何年も何年も続いたのであった。

  • マサルノコト scene 22

    世の中は受験シーズン真っ盛りで合格祈願グッズやら食べ物で店は溢れかえっているが、当時のマサルや自分にも当然のことながら受験はやってきた訳であり、それはマサルとの付き合いが一番濃密で楽しかった中学校生活にも、そろそろ終わりに近づいてきたことを意味していた。

    中学校二年のときの担任とマサルのおかげですっかり更生して学力も向上し、テスト結果も上位に名を連ねるようになり、地元では成績優秀な生徒が集まる進学校への入学も不可能ではないことを教師から告げられていたが、自分は高校へ進学する気などさらさらなかった。

    ずっと絵を描くのが好きで絵の勉強をし、絵で生計を立てるのが目標であったのだが、絵を専門に教えてくれる高校など皆無であり、美術系の大学に進むためにも高校には行かなければならないなどという親の説得にはリアリティーを感じることができず、単に世間体を気にして 「高校だけは行ってくれ」 と言われているような気がしたので反抗心すら抱いていた。

    それでも担任の教師やら親やら、挙げ句の果てには叔母までもが進学せよと迫るので、仕方なく地元の工業高校の建築科を、単に電気課とか機械科よりも設計図を描く分だけ少しは絵に近いかもしれないという理由だけで受験することにした。

    自分としてはそれだけで 「どうだ!」 的な思いだったにも関わらず、一応は滑り止めも兼ねて少し離れた町にある、ちょっとランクの低い私立高校も受験しておくべきだなどと周りが勝手に騒ぎ出し、一校を受験するだけで十分だと思っていた自分は面倒だからと強硬に反対したのだが、あーもこーもなく周りの大人たちに押し切られるかたちで受験する羽目になってしまった。

    次の日、マサルにブツブツと文句を言うと 「俺もそこ受けるぞ」 と教えられ、まあ、それならそれで修学旅行気分になって楽しく受験するのも悪くないかもしれないと思い直していたのだが、入試日の前日になって高熱を発し、マサルや他のみんなと一緒に前日に現地入りすることができなかった。

    母親はオロオロし、心配するやら 「そんなに受験が嫌なのか!」 と怒り出すやら、熱で頭がボ~っとするやら体調が悪いのでイライラするやらで、家に居ても落ち着かなかったり大喧嘩に発展することは必至であるため、熱があるのにも関わらず父親に頼んで入試会場のある町まで送ってもらい、みんなと同様に前日から現地入りして一泊することにした。

    不思議なもので宿泊先に到着すると体調が悪いのも忘れて腹一杯に飯を喰らい、受験前日だというのにマクラ投げをしたり布団の上で暴れたりと、修学旅行と変わらぬ夜を過ごし、おまけに夜更かしまでしたものだから発熱との相乗効果でフラフラになりながら試験会場に向かった記憶がある。

    しかし、記憶しているのはそこまでであり、実際に受験する高校に着いた記憶も校内に入った記憶も試験を受けた記憶も、はたまたどんな問題がでたのかなどという記憶もすっかり抜け落ちており、それが終わった記憶も学校を出た記憶も何もなく、次に記憶が繋がるのは国鉄(現JR)の駅にみんなで集まり、帰るシーンになってからである。

    とにかく発熱で疲れ、前日の大騒ぎで疲れ切っており、フラフラの状態だったので記憶力も低下していたのだと思われるが、もしかしたら試験会場では入試問題を解かずに寝ていたのかもしれないと不安になるほど見事に記憶が飛んでしまっていて、だからといって何もする気にならないほどの疲労感でマサルと何か会話したのかすら覚えていなかった。

    電車に乗り込むと車内は溢れんばかりの人で座れる席などまったくなく、立ったまま 1時間以上の移動をしなければいけない状態だったが、とにかく疲れていた自分はマサルを誘ってグリーン車に行き、「車掌さんが来たら席を立つか追加料金を払えばいい」 と相談して空いている席に並んで座り、シートを少し倒したとたんに再び記憶を失った。

    それはマサルも同様で二人そろって一瞬にして眠りに落ち、そのまま爆睡してしまったらしく、次に記憶がよみがえったのは電車が自分の住む町に到着したところなのだが、果たして車掌さんは来なかったのか、実際は来たのに気持ち良さそうに眠っている二人の中学生を起こさなかったのか、入試の帰りだと分かっていて、あえて無視してくれたのか。

    結局、一応は志望した工業高校に合格したので滑り止めだった私立高校のことなどどうでも良いのだが、自分はまともに試験を受けたのか、果たして合格していたのか、当時は何の興味もなかったので合否を調べもしなかった自分も悪いが、その点についてはいまだに謎に包まれたままなのであった。