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  • ショウコノコト 8

    ショウコがこの町にやってきたのは昨年の 9月10日のこと。

    それから 5カ月が経過し、すっかり環境に慣れたようだ。

    そして、年齢相応になってしまった記憶力は少しずつ元に戻りつつある。

    病気をしたり環境の激変がストレスとなって記憶力が低下し、認知症やアルツハイマー病を引き起こす場合があると聞いたことがあり、それと条件が合うこともあってショウコが認知症になってしまったと覚悟したこともあった。

    実は施設に入ってからのほうが物忘れが激しくなり、配達されたハガキを自分で片付けたのも忘れて清掃員の人が捨ててしまったと言ってみたり、新しく購入した電話機の使い方を何度説明しても覚えられず、次の日どころか数時間後に同じことを聞いてくる。

    これはもう以前のショウコに戻ることはないのだろうと。

    このままショウコの頭の中に花が咲き乱れ、花畑状態になってしまうかも知れないと覚悟したものだ。

    昨年 6月の入院から 9月くらいまで自分の記憶があやふやなことはショウコも自覚しているようで、
    「あの頃のことが思い出せない」
    「どうやって入院したか覚えていない」
    「転院したことも分からない」
    などと、今になって言い出したりしている。

    もっと言えば、故郷を出る際に仲良くしていただいていた近所の方々に挨拶をしに行ったこと以外は、自分と 『お買い物日記』 担当者が家具の廃棄の手配や土地と家の処分まで進めるために 2週間おきに帰省していたことも正確には把握できていないらしい。

    6月に救急搬送された病院に入院していたことも、自分たちが駆けつけたことも覚えていない。

    曖昧かつ断片的な記憶しかなく、故郷を出てこの町に来るまでの道中、
    「子どもたちはこんな長い距離を移動して来てくれてたんだなぁ」
    と、流れる車窓の風景を見ながら考えていたことは覚えていても、同乗してくれた介護師さん、運転手さんの名前も顔も、何を話したのかも覚えていないという。

    確かにあの頃はショウコの記憶力の低下に愕然とし、自分たちも大いに戸惑った。

    今までとは明らかに違う言動に右往左往させられ、あまりにも話しが通じないことに苛立ちを覚え、ついつい声を荒げてしまうことも少なからずあったのも事実だ。

    あまりにも伝えたことを覚えていないので、施設に入るまでにしなければいけないことをリストにして紙に書き、次に来るまでにやっておくようにと言い渡し、処理が済んだらチェックマークを付けるようにさせていた。

    医師は年齢相応の記憶力と言っていたが、それまでのショウコが記憶力も優れたスーパー婆さんだっただけに、その落差を見ると怒りとも悲しみとも言えぬ感情が湧いてしまったものだ。

    ところが、昨年の 10月後半か 11月頃から少しずつショウコの頭の中の霧が晴れてきたようで、伝えたこと、何かを置いた場所などを忘れずに覚えているようになってきた。

    以前のような記憶力は取り戻せないにせよ、普通に会話できるようにさえなれば良いと思っていたが、最近は前に会ったときの会話を覚えているし、何カ月も前に買った物の値段を 1円単位まで覚えていたりする。

    そして、ずっと覚えられなかった職員さんの名前も覚えたようだし、施設に備えられている洗濯機や乾燥機の使い方もマスターしたらしい。

    まだ微妙に話が噛み合わないこともないではないが、年齢以上の記憶力、以前のショウコに確実に近づきつつある。

    施設での生活にもすっかり慣れ、体も心も落ち着いたとは言え、超高齢者でありながら記憶力を回復させてしまうのだから、やっぱりショウコはスーパー婆さんなのであろう。

  • 雪にまつわるエトセトラ

    気象観測が始まって以来の低温、40年ぶりの降雪量などと、雪に慣れた道産子も早すぎる冬に戸惑いの色を隠せないでいるが、この町はたまにチラホラと降る程度で積もることなく解けてしまっている。

    そんな我が街にも間もなく雪が積もり、本格的に冬がやって来るが、9月に雪深い街から越してきたショウコは雪の少なさ、冬の短さに驚くことだろう。

    何せ故郷の年間降雪量は 884cmで、この町は 100cm以下、一番寒い 2月の平均気温も故郷の -9.4℃に対してこの町は -0.4℃と 10℃近くも暖かい。

    故郷が 11月から 4月の終わりまで 5カ月以上も雪に閉ざされるのに対し、この町は 12月の中旬から 3月中旬までの約 3カ月間なので 2カ月以上も短いことになる。

    ずっと北海道で暮らし、雪の多い札幌から大阪に転勤した最初の冬、クリスマスに雪がなくてちっともホワイトクリスマスにならなかったのに驚いたし、正月にも雪がないことに違和感を覚えて 2-3年は慣れなかった。

    きっとショウコもこれから 2-3年は、冬になるたびに妙な感覚を覚えることだろう。

    ショウコが一人暮らしを断念したのも故郷は冬が厳しいからだ。

    これで雪がなく温暖な土地であれば、まだまだ一人で生活していたと思われる。

    それほど北海道の豪雪地帯、極寒の地の冬は大変であり、ショウコでなくともこの歳になれば自分も暮らすのは躊躇してしまう。

    子供のころは夏も冬もなく、その季節ごとの環境で楽しく遊んでいた。

    冬はスキーにスケートはもちろん、日暮れが早くあたりが暗くなるまで雪まみれになって遊んでいたものである。

    ゴム長靴の中に雪がびっしりと詰まり、脱ごうにも脱げなくなってショウコの手を借りることなど毎度のことだ。

    最初は立って片足を上げ、靴を引っ張ってもらうのだがガッチリ固まった雪はびくともしない。

    腹ばいになって引っ張ってもらっても、小さな体なのでズリズリと引きずられてしまう。

    そこで、柱などに両手で必死につかまり、体が持っていかれないようにしながら引っ張ってもらい、やっとの思いで長靴が脱げるのだが、急にスポッと脱げるものだから体のバランスを崩してショウコがあお向けにひっくりかえり、それに腹を立ててこっぴどく叱られるというのが毎度のオチだ。

    そもそも、そんなに靴の中にびっしりと雪が入るのは深く降り積もった雪をかき分けて遊んだり、滑り落ちた雪と家の屋根がつながっているのでよじ登って高い所から飛び降りたりして遊ぶからである。

    最初は靴の中に雪が入れば出したりしているが、そのうちに面倒になったり遊びに夢中になって忘れてしまい、気づいた時にはガッチリ固まって脱げなくなってしまう。

    そんな状態なのに冷たさを感じなかったのは、暴れまわっているので体がポカポカしていたからなのだろうか。

    豪雪地帯の故郷では除雪のブルドーザーが道の両側に雪を積み上げていく。

    その高さは大人の背丈をゆうに超えるが、固い圧雪状態になっているので簡単には崩れず、小学校のころなどはその頂上をずっと歩きながら登下校したものだ。

    休みの日ともなれば大人が使う大きなスコップを使って穴を掘り、家の前から交差点まで続く長い除雪の山の中を掘り進んでいったこともある。

    今から考えると何百キロの重さにもなる圧雪が崩れたら生き埋めになってしまうと想像しただけで背筋がゾワゾワするが、怖いもの知らずの子供は危険など感じることもなく夢中で遊んでいた。

    そして、その穴が見つかって再びショウコからこっぴどく叱られる。

    親としては子供が危険なことをすれば怒るのも当然だが、子供にすれば何がどう危険なのかもピンときていないので無実の罪で罰せられているような気になり、ふくれっ面をしながら反抗して火に油を注ぐ結果っとなってしまう。

    子供だった自分、まだ若い母親だったショウコ。

    互いに年を取った親子は雪深い街を出て、今は過ごしやすい土地で暮らしている。

    ショウコが来て初めての冬。

    年老いた母親は何を想うだろうか。

  • ショウコノコト 7

    独り言にも書いたように我が母ショウコと同じ町に暮らし始めて一カ月が経過した。

    最初は右も左も分からないだろうし、施設で生活するにも色々と物入りで買い揃える必要があったし、住民票、銀行口座その他諸々の事務手続き等もあったので毎日のように会っていたが、最近は少しずつ間隔を空けるようにしている。

    ショウコも施設で話し友達ができたようだし、部屋に電話回線を引いてやったので故郷の友達や親戚などからの電話もあるようで毎日が忙しそうだ。

    叔母のレイコに対して女王様のように振る舞って迷惑をかけ、気に入らない人とは一切の付き合いをしないという我が強いショウコが、施設というある意味で団体生活に近い環境に馴染めるのか若干の心配があったが、そこはそれ、40年以上も営業職を勤めただけあって割とそつなく人付き合いして環境に順応している。

    朝食後は部屋に戻らずみんなが集まるエントランスで談笑し、9:30になればラジオ体操をしてまた談笑、昼食後は 3階の部屋に戻るようだが退屈になれば 1階のエントランスに行って誰かとペチャクチャ話をしているらしい。

    それでもまだ職員さんには遠慮があるようで、今月初めに処方された薬が合わずに体調を崩し、嘔吐して寝込んだりしたのだが、その際に部屋に備えられている職員を呼ぶスイッチを押さず、だたひたすら気分が悪いのを我慢していたという。

    今回は大事に至らずに済んだが、もしこれが急病で体調が悪化の一途をたどり、そのスイッチを押したくても押せないような事態になってしまったら生死に関わることだってあり得るのだから、次に体調が悪くなった際は必ず呼ぶように言い渡しておいた。

    ショウコは体調を崩して以降、朝食後はおしゃべりもせずに部屋に戻り、ラジオ体操にも参加せず、部屋に引きこもることが多くなった。

    施設に気に入らない人ができたのか、それとも友達の輪からはずれてしまったのかと心配したが、実はまだ体が本調子でなかったことに加え、こっちに来てからまだ一度も美容室に行っておらず、少し髪が伸びてきて白髪が目立つようになってきたので人前に出るのが嫌なのだと言う。

    80を過ぎた婆さんが何を言っているのかと呆れるやら腹が立つやらだし、おしゃれ番長だとは思っていたが、まさかそんなに人目を気にしていたとは思わなかった。

    とりあえずとなりの店の妹ちゃんにカットと毛染めの予約をし、タクシーも手配してやると意気揚々とやって来て、さっそうと店の中に入っていく。

    独り言に書いたのは、その帰りに我が家に寄ったときの話しである。

    いくら若く見えても寄る年波には勝てず、ましてや最近の環境の激変で年齢相応の記憶力になってしまったショウコだが、となりの店の妹ちゃんは見かけも若いし、話をしていても故郷からこの町に来るまでのことを事細かに話すので、実年齢より遥かに若く感じるという。

    ずっとショウコを見てきた自分と『お買い物日記』 担当者は、たった 1-2年前と今とでは雲泥の差があって記憶力の衰えに戸惑いすら覚えるが、普通の人から見ればまだ実年齢より若く、しっかりして見えるというのだから、それほど悲しんだり憐れんだりする必要はないのかも知れない。

    実際、今でも気持ちだけは若く、施設の隣室の女性のことを
    「隣のお婆ちゃん」
    などと呼んでいる。

    80を過ぎた婆さんに婆さん呼ばわりされるほどの高齢であろうはずもなかろうが、ショウコにすれば自分と比較して相手の方がはるかに年寄りだと判断しているのだろう。

    そして、エントランスでするおしゃべりにしても、
    「同じ話を何回もする人がいる」
    と言い、
    「でもね、何回聞いても初めて聞いたふりをしてあげるの」
    などと、偉そうなことをぬかす。

    同じ話を何度も聞かされ、耳にできたタコが肥大化して落ちそうになっている自分としては、ショウコの耳を思いっきり引っ張って
    「お前が言うなぁあああ!」
    と選挙カーのスピーカーを使って怒鳴ってやりたい気分だ。

    しかしまあ、急に老け込んで見た目も一気に婆さんになってしまうより、気持ちだけでも若い方がマシなのだろう。

    先月の 19日は敬老の日だった。

    本当は行く予定はなかったのだが、買い物のついでにショウコが好きそうなデザインのショルダーバッグを買ったので、敬老の日とかいう意識もなく施設に行くと、自分たちの姿を見たショウコの顔がパッと明るくなり、施設の人から
    「来てくれて良かったね~」
    と声をかけられていたとことみると、来ることを期待していたのかも知れない。

    遠く離れていれば、年に何度かあるイベントごとは適当に茶を濁すことができる。

    しかし近くに住むということは、こういうことなのだろう。

    母の日、敬老の日、12月のショウコの誕生日などなど、その都度何かすることを期待されるのか。

    ・・・。

    それを考えると、もの凄く鬱陶しくなってきた。

    こんなことなら、歩いて行ける距離の施設ではなく、微妙に遠い場所にある施設の方が良かったのではないかと若干の後悔を覚えたりしている今日この頃である。

  • ショウコノコト 6

    昨日の独り言にも書いたが、あれだけスーパー婆さんだったショウコが普通の婆さんになってしまった。

    誰でも歳はとるものなので、致し方ないことなのかもしれないが、ショウコの急激な変化に少し驚き、戸惑い、幾分かの悲しさも感じてしまう。

    6/1の緊急入院から現在に至るまで、あまりにも様々なことが起こり、環境の激変に脳の処理が追いついていないのか、このわずか 4カ月弱で急速にショウコの記憶力は衰えてきたようだ。

    緊急入院から数週間で別の病院に移ったのだが、最初に入院した病院の記憶が半分以上ないらしい。

    自分が救急搬送され、点滴を受けたまま寝たきりで 2日間を過ごしたこと、何人もの人が心配して病室を訪れたこと、そして、自分と 『お買い物日記』 担当者が慌てて駆けつけたことすら記憶に残っていないという。

    それは腎盂腎炎を引き起こしたウイルスが全身に回り、高熱を発して言語も怪しくなっていたくらいなので、ある程度は仕方のないことだとは思うが、それから先もショウコの記憶の曖昧さは続く。

    叔母のレイコに買い物を頼んでおきながら、いつも世話になっている販売店の外商さんにも注文してしまったり、受け取ったものを受け取っていないと言ってみたり、大切な証書の置き場所を何度教えても覚えられなかったりと、以前では考えられない行動や言動が見られるようになった。

    高齢者の場合、環境の激変が心や脳に大きなダメージを与えると聞いたことがある。

    6月の入院、数週間での転院、退院直後に施設入居を決定、それからわずか一カ月で様々な手続きをして引っ越し、右も左も分からない町に連れてこられ、見たこともない建物で暮らし始め、初めて会う人たちと人間関係を再構築せねばならないという激動の数か月間は、自分たちですら記憶が曖昧になるほど目まぐるしく状況が変化し、山積する課題を一つずつ解決していかなければならなかったのだから、超高齢者のショウコにとっては年寄りの冷や水状態というか、ただでさえ入院期間に混乱した意識と記憶が大きくかき乱されてしまったかもしれない。

    したがって、今は状況について来れていない脳も、落ち着きを取り戻せばまともになり、以前ほどではないにせよ少しは記憶力も戻って来はしないかと期待しているのだがどうだろう。

    9/10にショウコが来てからというもの、毎日のように施設に行っているが、来週から少しずつ距離を置こうと考えている。

    月末と月初は少なからず忙しいし、以前の独り言にも書いたように今月中に完成させなければならない Webページもあり、既存サイトのスマホ対応も次にやらなければならない。

    ゆえにショウコばかりかまっている場合ではないのである。

    ショウコには少しずつ慣れて落ち着いて、生活のペースをつかんで記憶力が戻ってほしい。

    そして、自分たちも生活のペースを戻して疲れ切った頭と体を元に戻したいと心から願ったりしているところである。

  • ショウコノコト 5

    ここのところショウコのことばかり書いているが、今は時期が時期なのでしかたがない。

    ショウコが施設に入ることになった発端から現在に至るまで、そのドライな性格に助けられたり驚かされたりし通しの毎日だ。

    昨年の秋に帰省した際、みずから施設に入りたいと言ってきたのがことの発端だが、その時も故郷に帰ってきてほしいとか、この家で一緒に暮らしてほしいと言わず、介護などで迷惑をかけるつもりはないので、そっちで施設を探してほしいと淡々とした調子で言ってきた。

    実はその裏では叔母のレイコが暗躍しており、
    「子どもたちがこの街に来ても仕事なんかない」
    「こんな冬の厳しいところで生活することはない」
    「老々介護など悲惨きわまりないから子どもたちの手を焼かせるな」
    「我々世代は年金が充実しているのだから世話にならなくても生きていける」
    などと言い含めおいてくれたらしく、ショウコもそれはそうだと納得し、長年住み慣れた街を出て自分たちの住む街で入居できる施設を探してほしいと言ってきたものと思われる。

    しかし、そこで変にゴネないで素直に施設に入る決断をするあたりはさすがと言えよう。

    こちらの町で施設を探し、候補が見つかったので申し込んだと報告すれば、さっさと家の処分のこととか話を進めようとするので慌てて自制するよう言い渡した。

    普通であれば 80年を超える生活の場であった町を離れるのは寂しいだろうし、半世紀以上も住み続けた家には愛着が湧き、離れがたい感情を持ちそうなものだが、そんなことは微塵も感じさせない行動には驚かされる。

    今年 6月の『ハハキトク事件』によって長期入院を余儀なくされたショウコはすっかり足の筋力を失い、まともに歩くことができなくなってしまったため、鷹揚と施設に空きが出るのを待っていられなくなり、以前から第二候補と考えていた施設にダメ元で電話してみたところ、何と偶然にも空きがあるという返事だったので急きょ仮押さえして実家に向かったのは今月 9日のこと。

    そういう施設というのは入居の意思を伝えてから一カ月以内に引っ越さなければならない。

    つまり、9月にはもう長年住み慣れた町を出て施設に入居しなければならないということである。

    あまりにも急なことなので、さすがのショウコも戸惑うのではないかと思いつつ、その件を 10日に退院したショウコに伝えると、これまたドライに入所を即決した

    それからというもの、短いスパンで帰省して様々な処理をしたりしているが、その要所要所でショウコのドライな性格が垣間見える。

    実家にはそこそこ大きな仏壇があるのだが、我が家の家系は自分の代で絶えることが決定しているので、今さら大移動をすることもなかろうという結論に至り、お寺さんにお願いして魂抜きをしてもらうことにした。

    その段取りをショウコに任せはした、確かに任せはしたが、8月23日に実家に到着すると
    「今朝終わったよ」
    などと涼しい顔をして言うではないか。

    普通、そういうことは家族がそろっている時とか、せめて長男と一緒にするように調整すると思うのだが、そんなことはお構いなしで、淡々と処理してしまう。

    そして、今度は父親の遺骨の話しになるが、やはり絶えることが決定している家系なので、今さら同宗派の寺に墓を建てるのも納骨堂に納まって新たな関係を築くのも面倒なので、多くの人の遺骨と合祀して同じ墓に入る永代供養墓に父親の遺骨を納め、ショウコも自分たちも後に続くというのはどうだろうと、さすがに気を悪くするかもしれないと恐る恐る聞いてみたところ、
    「へぇー、にぎやかでいいんじゃない?」
    と、いとも簡単に言ってのけた。

    翌 24日、わずかな荷物しか持って行かないショウコが家の中に残す全ての物を処分し、土地と家の売買まで一手に引き受けてくれる業者さんと打ち合わせした際も、長年住んだ家を手放す寂しさなど一切見せず、冬を越すと管理が大変だからなるべく早く売ってしまいたいなどと言い切る。

    以前に淡々とした作業で選別した衣服だが、それでも施設に持って行くには多すぎるので 25日に更に選別をする作業をした。

    今回もやはりソファーにどっかりと座ったショウコに一着ずつ見せ、要/不要の判断を仰ぐ。

    そして、やはり前回と同様、
    「着る」
    「着ない」
    に一瞬の迷いもなく、次から次に判断するのだが、あまりにも 『着ない』 のジャッジが多く、
    「施設にはそんなに持って行けないんだからね」
    と釘を刺しておいた手前、少々戸惑いながら
    「もう少し持って行っても大丈夫だよ」
    と言ってみたのだが、
    「どうせもう着ないと思う」
    「毎日どこかに出かける訳じゃないし」
    「いっぱい持って行ってもしかたない」
    などと言い、衣類の量を 1/10以下に絞り込んでしまった。

    タンスに眠っていた貴金属類を指し、
    「もう指輪もネックレスもイヤリングもしないから」
    と、『お買い物日記』 担当者に使えと言う。

    そして、
    「デザインも古いし気に入らなければ売っちゃえば?」
    などと言ってのける。

    実はこの貴金属、父親がせっせと購入してショウコにプレゼントしたものなのだが、そんなことは気にかけていない様子だ。

    別の棚を整理していると、若かりし頃の写真、同窓会で友達と集まった際の写真、きょうだいが集合した写真などが次々に見つかったのだが、どれを見せても
    「いらない」
    と言うショウコ。

    そんなこんなで、実家には大量の洋服、写真、受け取った手紙などが残され、業者によって廃棄される。

    夕方、家の周りの除雪などをお願いしていた業者さんが来てショウコと外で長話しをして行った。

    聞こえてくるのは
    「おばさん、元気で長生きしてね」
    「本当に何から何までお世話になって・・・」
    という会話で、さすがにしんみりしていると思ったら、部屋に帰ってきたショウコは
    「よし、一件かたずいた」
    などと超事務的に言い、
    「あの人はとっても良い人なんだけど話が長くて・・・」
    などとのたまう。

    その日の夜、以前からの知り合いに電話して
    「実は町を出ることになって」
    「本当にお世話になって」
    「今まで本当にありがとうね」
    などという会話をして電話を切ると、
    「うん、この件もかたずいた」
    と言いながらメモを見ている。

    いったいどこまでドライな性格なのだろう。

    まだ数回しか故郷を訪れたことのない『お買い物日記』 担当者でさえ、家がなくなるのは寂しいとか最後に町を出るときは泣いてしまうに違いないとか言っているのに、ショウコはいったいどういう神経をしているのだろう。

    あの調子だと、最後に家を出て町を離れるときも
    「じゃぁねぇ~」
    とニコニコしながら手を振りながら出てくるのではないだろうか。

    まあ、メソメソ、ジメジメされたのではたまらないし、そのほうがショウコらしいのではあるが・・・。

  • ショウコノコト 4

    契約が完了した。

    午前中、ショウコが入る施設に行き、様々な説明を受けた上で契約書に署名捺印してきたので、もう安心である。

    これで施設に入れることが 100%確定した訳であり、ショウコの気が変わらない限りは同じ町で暮らせるということで、故郷を失ってしまうのは少し寂しいが、年に何度かの帰省で体力を極端に消耗することもなくなる訳だ。

    ただし、ショウコの移動が完了し、実家の処分が終わるまで、まだ何度か行かなければならないだろう。

    とりあえず来週は帰省、翌週は家にいるが、次の週はまた帰省し、いよいよショウコが故郷を離れることになる。

    来週の帰省では不用品の処分から土地と建物の売却まで任せる業者と打ち合わせしたり、引っ越し業者と打ち合わせして見積りしてもらわなければならない。

    そして、タイミングを見て荷物を移動してもらってこちらの町で受け取り、もういつでも出入り可能になった施設の部屋で荷ほどきして受け入れ態勢を整える。

    実家にある仏壇は移動できないので、お寺さんに魂抜きをしてもらって位牌などだけ移動できるように手はずを整えておく。

    ショウコの移動手段をあらかじめ確保しておき、家の中の何を持って行かれても困らない状態にした後に家の売却をお願いする業者にカギを渡して町を出る。

    それ以外にも寺の納骨堂にある父親の遺骨をどのタイミングで移動すべきかとか、家の売却が決まったら諸手続きのために行かなければならないが、その際にはもう実家に寝泊まりする訳にはいかないのでどうするかなどなど、やらなければならないことが山積みだ。

    確かに言った。

    自分たちが様々なことを処理するからショウコは何もしなくて良いと。

    確かにそう言ったが、
    「はいはい」
    と素直過ぎる態度で鷹揚に構えていられると若干の腹立たしさを覚えないでもない。

    しかし、年齢相応の記憶力になってしまったショウコに日程の調整やら引っ越しの段取り、細かな打ち合わせなどは困難だと思われるので仕方がないか。

    前回の帰省の際、近所に住むショウコの友達が遊びに来た。

    そもそもは、電話で退院を伝えようとしたのだが先方の電話機の調子が悪く、会話にならなかったため話を聞きに来てくれたのだが、その会話の内容をまともに聞いていると疲れてしまう。

    まずはその電話機の調子が悪いという話、次にショウコが入院するに至った理由、その二点が延々と繰り返される。

    互いに高齢化に伴う記憶力の低下から、同じ話を何度も繰り返すし、何度でも同じ話を聞いては
    「あら、そう」
    とか
    「大変だったねぇ」
    と、そのたびに新鮮なリアクションを示す。

    二人の会話は 2時間近く続いたが、大まかにはその二点と、最後に歳をとると記憶力が悪くなるということしか話していなかったのではないだろうか。

    そのおぞましい会話からも分かるように、今更ショウコに事務処理だのスケジューリングなどさせようと思っても無理だと諦めているので、実家を処分して施設に移り住む手はずや段取り、契約関係から本籍や住民票の移動から何から何までやってやらなければならないのである。

    色々なことを考えて頭が爆発しそうになっていたが、今日の契約で一段落だ。

    かなり肩の荷が下りて気分も楽になった。

    しかし、安心して気が緩んでしまったのか、あちらこちらで冷房の風に当たったからか、鼻がグシュグシュし始め風邪のウイルスが体内で繁殖しているような気がする。

    今夜はひとまずの祝杯をあげ、早めに寝ることにしようと思う。

  • ショウコトレイコノコト 5

    元気になって退院したショウコだが、以前とは若干の違いがある。

    どうやら記憶力が低下しているようだ。

    痴呆の症状は認められず年齢相応だと病院で言われてはいるが、以前までが年齢不相応の記憶力の持ち主だったので、急に衰えてしまった感が否めない。

    以前までであれば一度言えば覚えたことも、二度三度言わなければならなかったり、覚えたはずのことを翌日には忘れてしまうこともしばしばだ。

    それでも相変わらず数字には強く、支払いが必要だった 3百数十円のことも忘れず、日時に関しても割りと正確に記憶し、それを忘れることもないらしい。

    確かに呆けた訳ではなさそうだが、今までが今までだっただけに少し寂しい気がする。

    そして、レイコは相変わらずだ。

    少し耳が遠いのも相変わらずだが、いつまでもシャキシャキした婆さんである。

    ショウコが入院していた約二カ月間、本当にお世話になった。

    ショウコと 2歳しか違わない超高齢者なのに、雨の日以外は毎日かかさず病室を訪れ、洗濯したものを届けて汚れ物を持ち帰る。

    たまに実家に来て郵便物の整理をし、重要そうなものは病室に届けてくれた。

    そこまでやってもらっているにも関わらず、ショウコが女王様のように振る舞い、勝手なことを言うものだから、たまに細かなことでの言い争いになったりする。

    そんな衝突の絶えない姉妹だが、長年続いたその関係も近く終わりを告げることになった。

    そう、9月になればショウコは住み慣れたこの街を去り、自分達が暮らす町の施設に入る。

    今は互いに気にしていない風を装っており、レイコなどはせいせいすると強がったりしているが、それもまた本心であろうとも、半世紀を軽く越える時を共に過ごし、寄り添ったり大喧嘩したりしながら歩んできた道が二手に別れてしまうことを多少は寂しく思っているだろうし、時が経つにつれ実感がわいてくるに違いない。

    移動距離約 350km、車での移動は休憩なしで約 6時間。

    簡単に会いに行ける距離ではない。

    来月に迫った別れが、生きて会える最後の機会となってしまうものと思われる。

  • ショウコトレイコノコト

    我が母ショウコと叔母のレイコは相変わらず仲が良いのか悪いのか、互いが互いを敬遠しながらも付かず離れずの関係を保ちつつ、いざという時には支えあったりしている。

    いや、ショウコが一方的に頼っているだけであって、レイコがショウコを頼ることはない。

    自分が子供ころから『おばちゃん』と呼んでいるので、ショウコもつられて実の妹のことを『おばちゃん』と呼んでいるが、レイコは
    「私はあんたの叔母ではない」
    と怒りつつもショウコに何かがあれば駆けつけ、面倒を見てくれている。

    そんなレイコにすっかり甘えているのはショウコだけではなく、実は自分も頼りっきりにしている面があるのは否定できない。

    今回の入院に関しても、『ハハキトク・・・』と大騒ぎして腹立たしい思いをさせられたものの、もしレイコがいてくれなければもっと大変なことになっていただろうし、世によくあるパターンのように 『お買い物日記』 担当者が自分の故郷に行って付きっきりで看病したりする場面だってあったかもしれない。

    すぐには行けない自分たちに代わって入院の手続きから医師との打ち合わせ、入院に必要なものの運搬、毎日の見舞いなどもしてくれ、転院になった際も諸手続きなどすべてやってくれた。

    そんなレイコにはとても感謝している。

    とても感謝しているが、面と向かって話をしたり、電話で話すとついつい腹が立ってしまうこともしばしばだ。

    以前の雑感にも書いたようにレイコの話が回りくどく、イライラしてしまうのも要因の一つだが、なんでも決めつけて話を進めようとするのも困ったり腹が立ったりする原因なのである。

    今回の端緒であった『ハハキトク・・・』の件も、ショウコのろれつが回らないこと、動けなくなって発見されたこと、意識が混濁していることなどから医師の話を聞く前に勝手に重症の脳出血かクモ膜下出血、または脳塞栓に違いないと判断し、危篤状態になっていると思い込んでので大騒ぎになった。

    そして、今はショウコの今後に関して勝手に話を大きくしている。

    自分のことをいつまで経っても頼りのない、母親の面倒もろくに見ようとしない出来の悪い甥っ子だと思っているのが根本にあるのだろう。

    確かに積極的な態度も行動も見せてはいないが、それはショウコとの話し合いの末であって決してショウコのことを心配していない訳でも見捨てた訳でもない。

    入院当初は医師から一人暮らしはもう無理だと言われたが、幸いにしてショウコは人並外れた野獣的な回復力をみせており、みるみる元気になっていったので、その超人的回復力に驚いたり喜んだりしつつ、思ったより早めに退院できるようになった場合のことを考えて話をしておいたのである。

    ショウコはできるだけ早く家に帰りたいので頑張ってリハビリに励むということ、もし自分たちが暮らしている街の近郊に良い施設が見つからなければ、あとひと冬くらいであれば頑張って一人暮らしするので、できるだけ通いやすい施設を探してほしい旨を宣言した。

    施設探しには審査し直すことになった介護認定の結果が必要だ。

    現在の要支援より、要介護の方が受け入れる施設も多いので選択肢が広がるのだが、なによりその認定がなければ具体的な行動に移すことができない。

    レイコがあれやこれやと口出しするのでショウコもへそを曲げたのか、そんな細かなことを説明するのが面倒なのか、退院後はどうするのかという問いにハッキリとは答えなかったらしく、それは甥っ子である自分が何もしていないからだろうとレイコは考え、ショウコをどうするのかという電話をかけてよこした。

    その電話でもレイコの話は回りくどく、何日に伝えたことをショウコが覚えていなかった、先週伝えたことも忘れていた、3日前のことも覚えていないなどと長々とショウコの記憶力があやしくなってきているのではないかということをしゃべり、
    「それで退院したらお母さんのことどうするの」
    と、最後の最後になって聞いてくる。

    確かに寄る年波には勝てず、ショウコの記憶力が衰えてきているのは事実だが、生活に支障があるようなレベルではないし、必要なことは自分なんかより細かく記憶しているのでレイコが大騒ぎすることでもないと憤慨してしまったことと、退院後に関してはすでにショウコと話し合っているのでとやかく言われたくないという感情が入り交じったところに長話につき合わされた腹立たしさも加わってムカムカしてしまい、ついつい声を荒げて
    「そんなことは言われなくても分かってるっ!」
    と電話を切ってしまった。

    その後もショウコのリハビリは順調に進み、もう室内を歩く程度までは足の筋力も回復している。

    入院前から外出することもなく、キッチンやトイレまでしか歩いていなかったので、それはつまり以前と同等レベルまで回復しているということだ。

    それを医師やスタッフは知らないので、もう少し歩けるようにと病院から出て外を歩くリハビリに移行することとなり、ついては外に出るための靴と服を用意してほしいと医療相談員から連絡がきた。

    医療相談員の話では、思ったよりも順調な回復ぶりで、もしかするとあと 2-3週間で退院できるかもしれないとのことである。

    その電話の際、レイコがくどくどと言っていた記憶力に関して相談してみると、医師との面談や看護師との会話、リハビリ中の会話でも記憶障害や痴ほうの症状はみられないが、これからも気を付けて見守ってくれると言ってもらえた。

    やはり記憶の件に関してはレイコが気にし過ぎているのだろうが、問題は靴と服である。

    それを実家から病院に届けるためだけに帰省するのも面倒だし、早ければ 2-3週間後の退院の際には行かなければならないので何度も往復するのは体力的にもしんどい。

    で、ここはやはりレイコに頼むしかないと思われるし、よくよく考えてみれば冒頭に書いたようにレイコには散々お世話になっているにも関わらず、声を荒げて電話を切ってしまった反省から正確に状況を伝えるべきだろうと思い、昨日の午前中に電話をした。

    心配していた記憶の件を医療相談員に伝えたこと、今は心配なさそうだということ、周りが思うより順調に回復していること、退院も早そうだということを話し、そのために次の段階のリハビリに進むこと、ついては靴と服が必要なので家から持って行ってやってほしいとお願いすると、レイコは快諾してくれた。

    やはり持つべきものは面倒見の良い叔母である。

    そしてやはり、レイコが元気でショウコのそばにいてくれることを感謝しなければなるまい。

  • ショウコノコト 3

    6月1日に『ハハキトクスグカエレ』の知らせから始まった今回の大騒動だが、誰も予想し得なかった大団円を迎えようとしている。

    ショウコは危篤ではなかったものの重篤な状態で救急搬送され、医者から今後の一人暮らしは無理という判断を下され、医療ソーシャルワーカーからも早い時期に入ることのできる施設を探すべきと促され、これはもう施設の空きをただ待っている状態ではなくなったと覚悟を決め、年内に入居可能な所を探さなければならいと行動する準備にかかっていた。

    ところが・・・ところがである。

    ショウコは獣なみの回復力をみせ、2-3日後には病状も落ち着いて怪しくなっていたろれつも回るようになり、普段と変わらぬ食欲も取り戻してしまったではないか。

    それでもさすがに今回のことがこたえたとみえ、次の冬を一人で越す自信がないと言うので、やはり施設探しはしなければならないと思っていた。

    そのためには変更になるであろう介護認定の審査結果を待たなければならない。

    今は要支援2というランクだが、2日間もベッドで寝たきりだったため足の筋力がすっかり弱ってしまい、一人で歩くことができなくなっているので要介護の認定になるものと思われる。

    要支援と要介護では入れる施設の幅が異なり、選択肢がぐっと広がるため今まで探していたり入居待ちになっている施設以外も対象になり、早く入れる場所が見つかりやすくなるかもしれない。

    逆に言えば、その審査結果と認定を待たなければ施設探しはできないということなので、行動できないまま今月二度目の帰省をする日になった。

    15日に転院したのでリハビリの歩行訓練も中断となり、また歩けなくなっているのではないかと心配したが、なんと自力で起き上がってベッドから降り、歩行器を使ってではあるものの、病棟の端にあるトイレまで行って帰ってこれられるようになっているではないか。

    足の筋力までも年齢の割には鬼のような回復力をみせているショウコだ。

    前の病院には医療ソーシャルワーカーがいてくれたが、それは市立病院だからであって転院した個人病院ではどうなってしまうのかと少し戸惑った。

    しかし、今は介護保険によって制度が充実したのか、個人病院にも地域医療福祉連携室の医療相談員という人がおり、前の病院の医療ソーシャルワーカーとの打ち合わせも完璧になされているし、地域包括支援センターとの連携も見事に引き継がれている。

    リハビリの進み具合や退院の目処などが知りたくても携帯電話を持たないショウコとは日常の連絡が容易ではないため、叔母のレイコに聞くしか手段がないと思っていたが、医療相談員がいてくれるなら安心だし、連絡すれば状況を説明してくれるという。

    サラリーマン時代、介護保険制度が始まって給料から天引きされるようになった時にブーブー文句を言ったものだが、今はこれほどありがたい制度はないと実感している。

    その医療相談員と医師、看護師が協議したところによると、以前の病院では一人暮らしの継続は困難と通告されたが、一人暮らしは可能であろうし、その時期も思ったより早いだろうとの結論に至ったという。

    ・・・やはりショウコはスーパー婆さんである。

    今回の審査で要介護の認定を受けるだろうが、それは一時的なものであってすぐに以前と同様の暮らしができるようになるに違いない。

    当初はショウコも精神的にも弱っていたので、次の冬を越す自信がないと言っていたが、日に日に調子が良くなってきたものだから、次の冬くらいなら一人でも大丈夫かもしれないと言うようになった。

    今住んでいるこの街で施設を探してショウコを呼び寄せる計画だが、顔を見に行くのに通いやすい方が良い。

    もう一人暮らしが困難なのであればバスや電車で 30分圏内まで範囲を広げようか、1時間圏内で妥協しようか、どうしても見つからなかったら札幌でもどこでも、とにかくすぐに入れる施設を探さなければならないと覚悟していたが、本人が大丈夫だというなら年内、いや、雪が降るまでに決めなければと思っていた施設探しにも時間的余裕が生まれる。

    前回の雑感では、とても忙しい2016年の後半になりそうだと書いたが、のんびりはしていられないものの少しだけ精神的ゆとりを持って行動し、過ごすことができそうだ。

    それもこれもショウコが奇跡的な回復力をみせているからであり、超高齢者のわりには目も耳も、そして脳もしっかりしていてくれるからこそであろう。

    そんなスーパー婆さんに、少しは感謝しなければなるまい。

  • ショウコトレイコノコト 4

    まあ、今週はこの話題に触れない訳にはいかないだろう。

    雑感というより、どちらかと言えば『管理人の独り言』に書き散らかしたことのまとめになるが。

    レイコから『ハハキトクスグカエレ』の一報が届いたのは 06/01

    実はその前にショウコが救急搬送されたという知らせを受けており、正直なところ、
    「面倒なことになったな」
    とは思ったが、俗に言われる嫌な予感とか胸騒ぎもなく、それほど大事にはならないと思っていた。

    というのもショウコは超高齢者なので病院にかつぎ込まれるのは初めてのことではなく、骨折やら大腸炎やら何やらで年に一度くらいのペースで入院していたので、今までがそうであったように、今回も一週間程度の入院だろうと高をくくっていたのである。

    ところが、それから約一時間後に受けた知らせが『ハハキトク・・・』。

    さすがに頭の中が真っ白になり、ちょっと放心状態で受け答えしたのち電話を切り、『お買い物日記』 担当者に
    「危篤だって」
    と一言だけ告げた。

    それからの行動は実に早かった。

    いつも帰省する際にする荷造りに加え、仕事を長く休むことになる可能性があるので関係各所に事情の説明と休業をしらせるメールを一斉配信。

    実は当日の午前中に買い物に行ってきたばかりだったので、食パンやヨーグルト、レタスなど賞味/消費期限の短いものをとなりの店や義兄夫妻に貰ってもらうように手配。

    そして、普段は持たない喪服や数珠などの葬儀セット、遺産関連で必要になる可能性もあるので預金通帳や実印も準備。

    実は翌週の 8日は自分が通院する日で、毎日服用している処方薬の在庫が底をつきかけていたのに加え、予定の日に病院に行けない可能性も高いので、故郷の病院で診察、薬の処方をしてもらえるよう『お薬手帳』や血液の検査結果など一通りの書類も用意。

    どの乗り物を利用すれば最速で故郷に帰れるのかルート検索しまくり、いよいよ出発という段になって再び叔母からの電話。

    もしかすると、意識が戻らぬまま母は逝ってしまったのかという思いが頭をよぎり、覚悟を決めて電話にでると妙にのんびりした口調のレイコ。

    「あのねぇ、お母さん危篤じゃなかったわ」

    ・・・。

    腰が抜けそうな安堵感と一気に頭に血が上るような怒りとが入り混じったが、一気にメーターを振りきって沸点をも軽く超えてしまったので、口からは今まで出したことのない量のため息と呆れ笑いが溢れ出てきた。

    状況を整理すると、ショウコは前日から体調不良となって食べたものを嘔吐し、水も飲めないほど気分が悪くなっていたらしい。

    翌日になってもそれが治まらないため午後に病院を予約し、そこに向かうためタクシーの予約も済ませた。

    そこで気が抜けたのか、ソファーに横になったまま動けなくなったという。

    午後になってタクシーが到着し、指名して毎回お世話になっている運転手さんが家のチャイムを鳴らして迎えに来たが、中からショウコの反応がないためドアを開けてみるとカギはかかっておらず、呼びかけてみてもまともな返事がないため心配になって家に入ってみると、意識もうろうとなって動けずにいるショウコがいたらしい。

    その運転手さんの問いかけに対して応えるショウコはろれつが回っておらず、これは重症の脳出血かクモ膜下出血、または脳塞栓に違いないと判断した運転手さんが救急車を呼んでくれた。

    そして、レイコにも連絡してくれ、今から救急搬送されるので病院で待っていてほしいということと、ショウコのろれつが回っていないという症状を伝えたとのことだったので、レイコも同様に脳関連の重病と判断したものと思われる。

    救急搬送されたショウコがそのまま病室に向かわず、集中治療室に入ったのでレイコは『ハハキトク・・・』という情報を我が家にもたらしてくれたという訳だ。

    結果的にショウコは急性の腎盂腎炎だったとのことで、腎臓のウィルスが全身に回ったため言語(ろれつ)も怪しくなり、高熱を発したことと、運動機能も麻痺したため動けずにいたらしい。

    危篤が誤報だと分かったので、その日の移動はとりやめて翌日の早朝の高速バスに乗ることにした。

    そして、到着後すぐに病院に行ってみると、ショウコはまだろれつが怪しいものの、コロッと太って顔の血色も良い。

    少しするとレイコがやってきたが、口をきくと大喧嘩になってしまいそうだったので無視して病室を出てデイルームで本を読んだりスマホを使って時間をつぶした。

    その日はバツが悪そうにシュンとしていたレイコだが、数日後にはしゃべりの達者な憎たらしい婆さんに戻り、転院の際には私が手続きなどしておくとか、もう一人で置いておけないのだから即入居が可能な施設を探せだのと色々と指図してくる。

    『ハハキトク・・・』の大誤報を思い出し、はらわたが煮えくり返りそうになったものの、確かにレイコがいればこそ、ショウコのことを頼んで帰ってこれる訳なので怒りをぐっとこらえて丁重にお願いすることにした。

    それからのこと、ショウコの回復ぶりなどは 06/03以降の独り言に記した通りだ。

    必要以上に神経をすり減らし、もの凄く体力を消耗した今回の帰省。

    前日に心配した通り、翌日の自分の通院、血液検査の結果は惨憺たるもので担当医がおろおろするような数値を叩き出した。

    放っておけないほどの異常値も認められたので、処方薬を変更したうえで長い期間を置かず、24日に再び病院に行かなければならない。

    しかし、その前の 16日から 21日まで、再び『お買い物日記』 担当者の通院と帰省という強行日程を組んでいるので次回の血液検査もどうなるものやらといったところだ。

    ショウコは元気になる気満々だが、もう一人暮らしは困難だと思われる。

    早急に施設をさがし、年内には転居を完了させたい。

    やはり 2016年の後半は、とても忙しいことになりそうである。