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  • 嗚呼日本人 13

    嗚呼日本人 ~目次~

    世界から日本を訪れる観光客が大幅に増加し、昨年(2016)は約 2,500万人、今年は現時点ですでに 2,000万人を突破しており、年間を通じては 2,800万人を超えると予想されている。

    この 10年で観光客が 3倍以上となっている背景には、観光立国を『国家百年の計』として重要な国家戦略の一つに位置づけ、政府が観光立国推進基本法を成立させてまで観光客誘致に力を入れてきたこともあるだろうが、アニメ、マンガ、ゲーム、音楽、ファッションなどの日本カルチャーが世界中で受け入れられるようになったことと、世界中で和食ブームとなっているという神風が吹いたのも大きいだろう。

    今となっては日本に憧れ、日本文化を愛し、一度は日本に行ってみたい、なんなら日本に住んでみたいという外国人が急増している。

    それは日本の文化が世界的に見ても独特であり、また、その価値観が認められたということだ。

    しかし、これまた日本人独特の感性ではあるが、にわかにはそれを信じず、なかなか受け入れられない多くの人がいる。

    日本の街、観光地はゴミもなくて綺麗だと褒められても、完璧主義の日本人はタバコの吸殻 1本、空き缶がひとつでもあれば、それを理由に決して綺麗ではないと否定してしまう。

    しかし、他の国の観光地や町中と比べればゴミは 1/10、いや、1/100しかないのではないだろうか。

    夜の繁華街を女性が独り歩きしても犯罪に巻き込まれることがないほど安全だと褒められれば、いやいや最近は治安が悪いなどと言ってしまう。

    飛行機も他国から比べれば定刻に発着するし、電車などの乗り物は時間に正確だと褒められても、雪や風ですぐ止まるなどと言って肯定しない。

    寿司が美味しいと褒められても、単に海が近くて魚が新鮮だからと答えたりする。

    それは、取りも直さず日本人の育ち方や文化が特殊だからではないだろうか。

    陶芸で少しでも色ムラがあったり歪みがあれば、地面に叩きつけて作品を壊してしまう日本人、ちょっとのキズや曲がりがあれば野菜や果物を規格外品としてしまう日本人、ちょっとでも気に入らない部分があればクソゲーとランク付けしてしまう日本人、とにかくラフな部分が少なく完璧を求めてしまう。

    そして、日本人は謙虚であり、自画自賛しないで抑制的なのである。

    たとえ個人が褒められても「周りにはもっとすごい人がいるので自分なんかはまだまだです。」と言うのが日本人だ。

    いかに自分が優れているか、そうなるためにどれだけの努力をしてきたかを堂々と話す個人主義な国とは違い、徒弟制度だった時代が長く、職人気質で完璧主義な日本人は死ぬまで勉強、人生が終わるまで修行中という意識が強い人が多い。

    時代は変わって国民性、個人の考えも変わりつつあるが、謙虚な人はまだまだ多くいるし、謙譲の美徳(謙遜し、へりくだることこそ褒めるべき心のあり方)を地で行く人こそが本物であると見られる傾向も根強く残っている。

    バリバリ昭和生まれの自分も、どちらかと言えばそういう人が好きだし、自分もそうありたいと思っている一人だ。

    これからオリンピック・イヤーである 2020年まで外国人観光客は増え続けることだろう。

    富士山周辺や京都、奈良など、いかにも日本的な地域だけではなく、これから日本国内のアチコチに外国人が足を踏み入れると思われる。

    「こんな田舎に来て何が楽しいんだろう」
    「こんな所に来たって見るものなんかないのに」
    「ここに来ても名物の食べ物もないし」
    などなど、自信を持てない地方の町が圧倒的だが、映画のロケ地、マンガやアニメの舞台などになって一気に観光客が押し寄せる可能性だって否定できない。

    何もなく、名物などなくてもその土地の素朴な料理を食べ、ゆっくりと過ごしたいという需要も決して少なくはないのだから、無理をせずに来る者を拒まなければ良いのである。

    そして、日本人は世界がカルチャーや文化を認め、憧れまで抱いている人もいるということに、もう少しだけ自信を持って良いのではないだろうか。

  • 嗚呼日本人 12

    嗚呼日本人 ~目次~

    九州では初めてという大きな地震が発生し、余震は今でも続いている。

    本震と同等クラスの余震が続くなどという事態にあっては、さぞかし不安も大きいことだろう。

    『生きた心地がしない』というのは、こういう時に使う言葉なのだと思い知らされる。

    阪神淡路大震災を経験した身としては、NHKのアナウンサーが繰り返していた
    「お互いに声を掛け合って・・・」
    「具合がわるい時は無理をせず・・・」
    「この難局を、この災害を乗りきりましょう」
    という言葉に胸が熱くなる。

    こんな非常時でも日本人は実に規律的だ。

    店で棚から商品が落ちたりしている映像も数多くあるが、誰もそれを盗もうとしない。

    これが海外だとあっという間に商品は略奪され、店はもぬけの殻になってしまうことだろう。

    みんな避難所に指定されている場所に行って静かに救援を待つ。

    ペットを連れた男性が
    「これ(犬)がいると迷惑になるから」
    と言って外で夜を明かす。

    泣き声が迷惑になってはいけないと、赤ちゃんを抱いた若いお母さんが避難所の廊下にたたずむ。

    給水車が来ても我先にと争うことなく整然と列をつくる。

    子どもや高齢者を優先して支給された食べ物を配って歩く。

    これこそが日本人の真の姿、世界から賞賛される国民性だ。

    だからこそ、警察、消防、自衛隊は治安の悪化を心配することなく、暴動の鎮圧などに手を焼くこともなく、不明者の捜索や被災者の救出に専念することができる。

    それらのことを伝えてくれるマスコミもある程度は重要だと思うが、ここの避難所では何が不足しているとか、あっちの避難所には何が足りないとか現状を把握しているのであれば、熊本城の瓦が落ちたとか山が崩れているとか上空からヘリコプターで撮影しているヒマがあったら不足している物資の一つも運べないものだろうか。

    全局が同じような放送をしていないで、避難している人の要望を聞いて物資を調達するリアルタイム・ドキュメントでも放送したらどうだろう。

    それはさておき、NHKでも繰り返して呼びかけていたように、せっかく命があって避難できたのだから、体調が少しでも悪ければ周りの人に助けを求めたり、赤ちゃんが泣きやまなければ経験豊富な先輩ママやお年寄りに助けてもらったりしながら互いに協力しあってこの難局を乗り切っていただきたいと切に願う。

  • 嗚呼日本人 11

    嗚呼日本人 ~目次~

    最近も休日にはゴロゴロしながら海外ドラマを見たりしていることが多い。

    いつも思うのだが、アメリカというのは思い切りの良い国だと関心してしまう。

    多くの場合、制作されるドラマや映画の中ではアメリカの敵として国名、宗教名、テロ組織が実名で扱われる。

    冷戦時代にはソ連(現ロシア)を名指しで敵として扱っているものが実に多かった。

    歴史的事実に基づいて描かれている作品なら実名で当然だが、それがフィクションであろうとSFであろうと敵はソ連であってアメリカの正義、価値観によって相手を悪とみなす。

    最近のドラマを見るとタリバンやアルカイダなどの組織も実名、イランやイラクなど国名、イスラム教など宗教名も実名で登場させてアメリカが正義の鉄槌を下す。

    そんなことをして抗議を受けたり恨みを買ってしまったりしないのだろうかと心配になるほどだ。

    日本のドラマだと、たとえそれがオウム真理教がモデルになっていようと、仮想敵国が北朝鮮だろうと中国だろうと実名を出すことはなく、架空の団体名だったり架空の国名で登場させる。

    事を荒立てないように、揉め事は避けたい、抗議などまっぴらゴメンという逃げもあるだろうが、それは日本的な気配り、配慮だったりもするのだろう。

    中東を中心に多発するテロはイスラム過激派によるものが圧倒的だが、日本のテレビや映画がイスラム教徒を悪役に仕立てることはない。

    それゆえに日本国内では他国のようにイスラム教を弾圧したりイスラム教徒を差別したりする人は極めて少ないものと思われる。

    どんな宗教でも文化でも寛容に受け入れるのは昔からのことではあるが・・・。

    クリスマスなど最たる例で、キリスト教徒ではなくバリバリの仏教徒だろうと何だろうと妙に浮かれて大騒ぎし、鶏肉やケーキなんか食べたりしながら酒を飲み、子どもたちはサンタクロースを待ちつつ眠りにつく。

    今となっては一年で最も盛り上がり、年末ということもあって日本人のボルテージが最高潮に達する日でもあるかもしれない。

    最近はハロウィンという古代ケルト人が起源と考えられている祭りまで定着してきた。

    秋の収穫を祝うのはどんな民族でも同じだろうし、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いはほとんどなくなっているらしいので日本人が祝っても不思議でもなければおかしくもないが、急激な勢いで根付かれても頭の硬いオッサンは戸惑うばかりだ。

    ここ数年、イースター(復活祭)というキリスト教の行事までも取り入れようとする動きがある。

    しかし、イースターの日は毎年変わる移動祝日で日程が固定しないことと、それが3月下旬から4月上旬にかけてのことであるため卒園、卒業、新入学、新生活などに関連した商業イベントが目白押しなことが原因でイマイチ盛り上がってはいない。

    それでもイースター・エッグになぞらえ、卵業界、卵を使用した菓子やスイーツなどを販売する業者は虎視眈々と機会を伺っているかもしれないし、どんなことにも首を突っ込んでくる寿司業界も太巻きには卵が入っているだのといって乱入してくる可能性もある。

    何でも受け入れる日本人なので、これから深く静かにジワジワと広まり、数年後には一大イベントとなっている可能性も否定はできない。

    変化を好まない人種と言われつつ、これほど多様な文化を受け入れる寛容さも持ち合わせた不思議の国の住人であればこそ、外部との無用な摩擦を避けるために名指しすることを良しとしないのだろう。

    海外では当然の比較広告も極めて少ないのは消費者庁のガイドラインが厳しすぎるのもあるだろうが、それ以前によそ様の悪口を言うことを日本人は好まない傾向にある。

    陰口やうわさ話は大好きなくせに、堂々と他と比較して自分のほうが優れているとか、こっちの方が勝っているなどと発言すると、自慢だとか高慢だとか、おごり、うぬぼれだとか言って嫌悪することが多い。

    慎ましやかに、波風立てず、表面上は笑顔で外部と付き合うことに重きを置く日本人。

    喧嘩している訳ではなく、自分の意見を主張しあっているだけなのに作り笑顔で間に立って
    「まあまあ」
    と双方をなだめたりして感謝されるどころか呆れられる日本人。

    八方美人で主義主張がなく、世界から小馬鹿にされる日本人。

    ネイティブな英語を学び、確固たる信念を持ち、主義主張の異なる相手に堂々と意見を言える世代が日本を引っ張っていく時代になれば、各国が日本を見直す日も来るだろうか。

    いや、その前に、その世代がリーダーになる頃には日本国内における世界観も大きく変化しているかもしれない。

    バリバリの昭和生まれで、大きな変化を好まないバリバリ保守的なオッサンとしては、世の中が激変するのは自分が死んでからにしてほしいと心の中で小さな声で主張してみたりしてみる。

  • 嗚呼日本人 10

    嗚呼日本人 ~目次~

    いつから日本人は身勝手な人種になってしまったのだろう。

    サッカーのサポーターが試合会場を後にする前にゴミ拾いをするとか、大地震、津波、原発事故の大災害で被災して家や財産を失っても略奪や暴動がおこらないなど、良い意味で世界を震撼させたりする国民性は誇れるものの、昔のゆずり合い精神は失われつつあるように思う。

    赤ちゃんか老人かの天秤がそうだ。

    何とか少子化を食い止める、待機児童解消、子育て支援、女性の働きやすい環境など次々に対策を打ち出しているものの少子化に歯止めがかからず日本の人口は減る一方であり、このままだと 2050年には総人口が約 9700万人に減少すると 国土交通省が発表している。

    少子化が進めば高齢化が進むのは当たり前の話だ。

    医療の高度化により日本人の平均寿命は倍ほどになったので、昔であればとっくに死んでいる年令になっても現役バリバリで働いたりしている。

    そしてリタイアして年金受給者になっても簡単には死なないので国の支払額はかさむばかりとなっているし、死なないまでも若い頃より体のあちこちにガタがきているものだから病院通いが増え、医療福祉の額も膨大になったりしているのが現状だ。

    もちろん、年金は必要なので安易に減額したりすべきではないとは思うが、医療費負担の増額をとんでもない話だと言って跳ねつけたりするのもどうかと思う。

    日本に金がない、借金漬けであることは誰もが知っていることだ。

    だれかが我慢しなければいけないのであれば、子どもを優先して高齢者は耐えるべきではないだろうか。

    高齢者の負担額を一般と同様に 3割にすることで、その分を減税するとか子育て支援に充てるのが国益にかなうと思う。

    こんなことを言えばお年寄りに叱られるかもしれないが、自分もすでに折り返し点を過ぎて遠くない将来には年金受給者となる身だ。

    そうなったら色々と気に入らないことも腹の立つこともあろうかと思うが、日本の将来のため、子どもたちの未来のために我慢せよと言われれば、おのれの意見は引っ込めて申し入れを甘受することだろう。

    お金があるに越したことはないし、生活が楽なのに越したこともないのは分かっているが、先のことを思えば自分など死なない程度に食べられたらそれで良い。

    我を張り、利己主義的に振る舞うのは美しくないと思っている。

    強欲とは無縁の無欲でありたい。

    根本としては、国の無策、政治の無策が引き起こしたことであるから
    「責任者でてこ~いっ!」
    と声を大にして言いたくもなるだろう。

    しかし、残念ながら年金運用で投資に失敗しても、事業の失敗で年金保険料 1,953億円を投じたグリーンピアを総額わずか約48億円で売却する結果になっても誰一人として責任を取らないのが官僚や政治家であるし、それを問題視して最後まで責任追及しない国民性である以上は、みんなで頑張って借金を返済するしかないのだろう。

    だとすれば、景気を良くして歳入を増やす以外に国民ができること、それすなわち節約しかないのである。

    景気悪化の要因となる恐れがあるため家計の引き締め、節約はよろしくないので、ここはひとつ、最も財政健全化の近道であると思われる医療費削減をみんなで取り組むのがよろしいのではないだろうか。

    あっちが痛いとかこっちが痛いなどと言って、病院に治療に行っているのか知人と無駄話をしに遊びに行っているのか分からないようなことは控える必要があるだろう。

    そして、そもそもあちこちが痛くならないように予防し、健康管理に努めることこそが医療費削減、国庫負担の軽減、財政健全化への最短ルートだと思われる。

    これだけ健康に関心があり、朝から晩までテレビでは健康食品や栄養補助食品の CMが流れ、通販番組ばかり放送されている現在においては、
    「そんなことは言われんでも分かってるっ!」
    と文句を言われそうな気がしないでもないが・・・。

    とにかく、昔と違って現代の日本人は身勝手な人種になってしまったと思う。

    そしてやはり、誰に叱られようと、老人よりも子どもを優先すべきだと思えてならない。

  • 嗚呼日本人 9

    嗚呼日本人 ~目次~

    このタイトルを書くのも久々で、調べてみると約三年ぶりということになる。 その間にも 「日本人って・・・」 思うことは多々あったのだが、過去にこんなタイトルで雑感を書いたことすら忘れていた。 自分の場合は頭が良くないのに加え、年齢とともに記憶力も低下しつつあるので、何事も記憶の彼方へ飛んでいってしまうことは良くあるのだが、日本人そのものが忘れっぽい人種であったりするのかもしれないと思うことがある。

    25日、JR福知山線脱線事故から 2年が経過した。 被害者や遺族は JRから事故原因調査の報告をまだ受けられなかったり、補償交渉もまだ決着していないので事故は終わっていないのだろうが、当事者以外は年に一度だけ事故のことを思い出す程度になってしまっている。

    あの路線を利用している人も、当時は電車に乗るのが怖かっただろうが、今はそれを思い起こす人も少なくなっているだろう。 一般人、乗客は事故を忘れても仕方のないことだと思うが、JRと運転手にはそれを忘れてもらいたくないものである。

    この雑感にも何度か書いているが、1995年の阪神淡路大震災も風化しつつある。 我家でも当初は緊張の日々を送り、非常持ち出し用の荷物をまとめたりしていたが、月日の経過とともに荷物は解体されていた。 「こんなことではいけない!」 と気持を入れ直してあれこれと考え、『お買物日記』 担当者がまとめてくれたので今は復活しているが、これがいつまで続くか疑問である。

    2006年 6月 3日に死亡事故が発生して大騒ぎになったシンドラー社製のエレベーターに関しても多くの人が忘れていることだろう。 当時は、「あそこにもここにもシンドラー社のエレベーターがある」 とマスコミも大騒ぎし、乗らないようにと張り紙までしてある建物もあったが、今では誰も気に止めずにエレベーターを利用しているに違いない。

    その後、点検作業がどのように行われ、日本中のエレベーターの点検と必要な部品交換が行われたのか、それが完了したのか一切の情報がない。 そして日本人は事故のことをコロッと忘れ、今ではエレベーターのメーカーを気にする人すらいないだろう。

    過去の独り言にも書いたように、今となっては IT 企業の悪の巣窟に近い状態になってしまった感のある六本木ヒルズだが、一時期は事務所を構えたり、住んだりしている人たちをヒルズ族などと称してもてはやしていた。 すっかり観光名所ともなった六本木ヒルズだが、完成直後の 2004年 3月 26日に 6歳男児が正面入口の自動回転ドアに頭を挟まれ死亡した事故を覚えている人がいるだろうか。

    その回転ドアも取り払われ、今では違う種類の自動ドアになったこともあり、そこを通過する際に事故のことを思ったり手を合わせたりする人はいないだろう。 管理者の森ビルとメーカーの三和シャッターが罪のなすり付け合いをしていた記憶があるが、責任はどちらにあったのか、遺族への補償がどうなったのかは伝えられていない。

    最近の話しでは 2月 6日に自殺志願の女性を救おうとして急行電車にひかれ、亡くなってしまった宮本巡査部長の件がある。 残された家族には初七日だけでなく、四十九日も一周忌も毎年の命日もやってくるが、あれだけ市民に愛され、命がけで人命を救った立派な警察官のことが、すでに記憶の片隅に追いやられようとしている。

    大阪では桜のシーズンもすっかり終わってしまった。 木が葉で埋め尽くされると、その木が桜であって、つい先日まで綺麗な花を咲かせ、楽しませてくれたことなど忘れてしまうに違いない。 通勤、通学で通る道にある桜の木も、散歩中にある桜の木も誰も気に止めなくなるだろう。 そして、翌年になり、春が待ち遠しくなると思い出す。

    しかし、それが日本人なのかも知れない。 過去と決別しなくては前に進むことも難しい。 何かあると蜂の巣をつついたように騒ぎ立て、すぐに何事もなかったように忘れてしまう国民性は、一気に花開いて咲き誇り、そして見事なほどに散りゆく桜に類似性を見いだし、ことさらに愛でたくなるものなのかも知れない。

  • 嗚呼日本人 8

    嗚呼日本人 ~目次~

      一気に 1 リーグ制に移行すると思われたプロ野球だったが、ここにきて 2 リーグ制維持の機運が高まっている。 これが野球ファンのことを思ってのことであれば素直に称賛するのだが、どうやらセ・リーグ球団の収益が悪化する懸念があるというのが主な理由であるらしい。 バブル期以前のメーカーにユーザー不在の理論がまかり通っていたのと同様に、プロ野球はファン不在のまま物事が進行している。

      ジャイアンツ中心に球界が回っているようだが、いつまでもジャイアンツ人気に頼っている場合ではないだろう。 第一、そのジャイアンツですら圧倒的な人気を誇っていた過去を忘れられずにいる。 テレビの視聴率も 20%以上を獲得していた時代は過ぎ去り、今では巨人 vs. 阪神で 20%にやっと届く程度で、その他のチームとの試合は 10%を割り込むことも珍しくないというのに。

      そんなチームに依存しているばかりではなく、メジャー・リーグやサッカーのようにファンを大切にする改革を進めなければ、プロ野球は衰退の一途を辿ることになりはしないだろうか。 バブル崩壊後の日本企業が 「景気循環でそのうち良くなる」 と安閑としていて改革が遅れ、傷を大きくしてしまったのと同様に、プロ野球も改革を急がなければ手遅れになってしまうような気がする。

      変化を好まず、危機的状況にならなければ重い腰を上げないのは日本人らしいが、熱しやすく冷めやすいのも日本人である。 プロ野球ファンが一気に冷めてしまったら立て直すのに長い年月を要するだろう。 今がプロ野球という機構そのものを改革するチャンスと、前向きにとらえて、より良い方向に進むことを願わずにはいられない。

      しかし、2 リーグ制を維持することになった場合、近鉄はどうするのだろう。 買収を申し出たライブドアのことを無視したり鼻であしらったりしたのだから、今さら 「いやぁ〜ありがたい話で・・・」 などとは言えまい。 いや、そこは日本人であるから手の平を返したようにコロっと態度を変えるかもしれない。 このまま 2 リーグ制の維持が決定し、近鉄がどう動くのか見てみたいような気がする。

      今回の一連の騒ぎでマスコミは傍観的な立場を装って事の成り行きを伝えているが、ジャイアンツ中心の報道を続けてパ・リーグの結果など小さくしか扱わなかったのだから、責任の一端はあるだろう。 それを棚に上げて偉そうな解説はしてほしくない。 権力や勢力のあるものには反抗しないで、がまんして従っていた方が得だという、『長い物には巻かれろ』 的発想も日本人らしいのではあるが。

      在阪球団の危機だというのにマヌケなことしか言えない太田房江知事にも腹が立つ。 近鉄存続の危機が伝えられたとき、彼女はこう言った 「大阪はせっかく景気が回復してきたのに ”こんなことで” 腰を折ってほしくない」 と。 ”こんなこと” とは何事か。 近鉄ファンに失礼であろう。”こんなこと” と言っておきながらオリックスとの合併後は拠点を大阪に移してほしいと要請してみたり支離滅裂である。

      ライブドアが買収を持ちかけ、「本社を大阪に移しても良い」 とコメントしたときも、「まず大阪に本社を移す気構えをみせてほしい」 などという馬鹿なことを言っていたが、本社を大阪に移せば近鉄を買収できる保証を ”彼女” はできるのだろうか。 いったい何を考えて発言しているのか分からないが、まがりなりにも知事であるのだから、もう少し頭を使ってからしゃべって頂きたいものである。

      特定の宗教団体が圧倒的な力を発揮したとはいえ、彼女のような人が知事として選任されてしまうことを許してしまうのも日本人らしいと言えば日本人らしいのではあるが・・・。

  • 嗚呼日本人 7

    嗚呼日本人 ~目次~

      ここのところ、ずっと日本人の国民性を話題にしているが、難しい問題だけではなく、ごくごく身近にも日本人特有のことが多くある。 本で読んだのだが、海外から届いた郵便物に貼ってある切手がベタベタと適当に貼ってあり、中には明後日(あさって)の方を向いているものもあったと書いてあり、日本人であれば受け取る人に失礼のないように真っ直ぐに貼るだろうと文章は結ばれていた。

      確かに自分も複数枚の切手を貼る時は綺麗に並べて貼る習慣になっているし、切手が曲がって貼ってある郵便物を受け取ったこともない。「切手は真っ直ぐ貼りなさい」 と、親からも仕事の先輩からも教育を受けたことはないのだが、大多数の日本人は適当な貼り方をしないだろう。 切手などは取り扱い料金を間違いなく払っている証明でしかないのだから、どんな貼り方をしていても問題はないはずだ。 それでも曲がった貼り方を自他共に許さないのは実に日本人らしい。

      同じように、お金 (紙幣) をクチャクチャに丸めて出す人にも滅多にお目にかかれない。 若い頃、お客さん相手のバイトをしていて、延べ何千人、何万人という人からお金を受け取ったが、適当に丸められた紙幣を出した人は 2-3人しかいなかったように思う。 ものが通貨だけに粗末に扱う人は少ないのだろうが、洋画を観ているとポケットからクチャクチャになった紙幣を出すシーンを観ることが多い。 やはり国民性の違いなのだろうか。

      さらに洋画でよく観るのが受け取ったプレゼントの包装紙をビリビリに破いてしまうシーンである。 日本人でああいう開け方をする人はいないだろう。 貼ってあるテープを爪でコリコリしながら慎重にはがし、包装紙を破らないようにゆっくりと開いていく。 途中でピリッとでも裂けようものなら、親から叱られたものである。 親はその包装紙を綺麗に折りたたんで保管していた。

      「いつ必要になるか分からない」 というのが理由だったが、保管場所となっている引出しには包装紙があふれ、結局は使われることなく、まとめて捨てられる運命にある。 最後に捨ててしまうのであれば、開封の時にビリビリに破いてその場で捨てても同じことなのだが、特に人前ではそういうことができない。 考えようによっては一刻も早く中を見たいという感情がストレートに表現されているように思うので、プレゼントをくれた人の前でビリビリと包装紙を破くのも悪くはないと思うのだが。

      それに近い状況としてブランド物の紙袋の存在がある。 街で良く見かけるのは CHANEL(シャネル) とか GUCCI(グッチ)、COMME CA DU MODE(コムサデモード) などの小さな紙袋を持って、澄まし顔で歩いている女の子である。 本人はそれで満足しているのかもしれないが、その袋が使い回されているのは一目瞭然だ。 すでにヨレヨレになった紙袋を持って澄まして歩いていても情けないだけである。

      それでも 『同じ持つならブランド物』 という見栄があるのか、明らかに 『何度も使ってます』 というのが見え見えの紙袋を持って歩く感覚は、親世代が有名百貨店の包装紙を大切に保管して、何かの時に使おうとしていた感覚と変わらないではないか。 そういう意味では、親の行為を見て 「せこい」 などと、一方的に非難することはできないように思う。

      現在の日本にはモノがあふれ、不自由を感じずに生活することが可能になったが、日本人の DNA はこれからも確実に受け継がれていくのであろう。

  • 嗚呼日本人 6

    嗚呼日本人 ~目次~

      先週の雑感に日本人が過剰品質を要求する国民であるということを書き、それが日本人であるとも書いたが、正直なところ 「ちょっと異常だな〜」 と思ってしまうこともある。 どれくらい前からか分からないが、日本人はやけに清潔な民族になってしまったようだ。 不潔にしておくよりは清潔な方が良いのは当然であるが、あまり過剰に反応するのもいかがなものか。

      身だしなみは清潔なのに越したことはないが、やれ顔にダニがいるだの、口の中(舌)に雑菌が繁殖しているだのと、心理的に人を追い詰めて商品を買わせようとするのもいかがなものか。 たとえ雑菌が繁殖していたとしても自分の体内の話である。 他人を病気にしてしまうならまだしも、多くの場合は自分自身にすら大きな影響を与えない。”菌” という言葉で不安をあおるのはやめていただきたい。

      いったい何の菌が繁殖するのを前提にしているのか分からないが、やたらと抗菌加工した商品も多い。 浴室のカビを防ぐとか、ある程度は納得できるものもあるが、中には抗菌ソックスだの抗菌タオル、抗菌スーツ、抗菌ストッキング、ボールペン、鉛筆、消しゴムなどなど 「どうだ!!」 と言わんばかりの勢いである。 そんなものに抗菌加工して何になるのだろうと不思議に思ってしまう。

      次から次へと商品化されるところをみると、それなりに売れているのだろうが、そんなに菌を排除したら抵抗力がなくなってしまわないか心配である。 子供の頃から清潔で雑菌のない環境で育てられると、ちょっとした菌にすら抵抗できなくなってしまうのではないだろうか。

      食品でも賞味期限の表示が義務付けられ、それを過ぎると捨ててしまう人も多いだろうが、賞味期限が過ぎたからといって食品が腐るわけではない。 あくまでも風味を損なわず、美味しく食べるための目安でしかない。 ゆえに捨てる必要などないのである。 日本では食べ残しなどによる食物の廃棄が 40%に達しているという。 多くの食物を輸入に頼り、その 40%を廃棄しているのだから訳が分からない。

      自分が子供の頃は、年寄りに育てられたこともあって、食パンにカビが生えた程度では捨てることはなかった。「カビた部分を取れば食べられる」 とか 「焼けば菌は死ぬ」 とか、しまいには 「青カビはペニシリンの材料だ」 などと言いくるめられて、仕方なしにボソボソと食べたものだが、確かにそれが原因でお腹をこわしたことなどなかった。

      今はさすがにカビの生えたパンを食べることはなくなったが、それが果たして良いことなのかは分からない。 廃棄される 40%の食物には、家庭から廃棄されるものもあれば、外食産業から出るものもあるが、コンビニの弁当類が特に多いと聞く。 コンビニでは鮮度を売り物にするため、店舗に陳列して一定以上の時間が経過すると廃棄処分となる。

      世界のあちらこちらで飢餓に苦しんでいる人がいるのに、こんなことで良いのだろうか。 日本の食物の自給率は 40%くらいで、それ以外は輸入しているのだが、そんなに大量に廃棄しているのであれば輸入量を減らして自給率を高めることくらいできそうなものである。 何でも輸入に頼っていると BSE(狂牛病) 問題で牛肉が輸入できなくなったり、残留農薬やら衛生面の問題でアジアからの食品が輸入できなくなったら大問題である。

      いろいろと不安ながらも、深刻な事態にならなければ行動を起こさないのも、日本人らしいと言えば日本人らしいのではあるが。

  • 嗚呼日本人 5

    嗚呼日本人 ~目次~

      まだまだ続くと覚悟していた暑さも一段落したようで、ここのところ涼しい日が多くなってきた。ここで油断していると急に気温が上がってグッタリしてしまうのだろうが、失いかけていた食欲も復活しつつあるようで、なんでも美味しく食べられるようになってきた。

      ただし、問題なのは調子にのって食べ過ぎてしまうことである。三度の食事はもちろんなのだが、昼食から夕食までの間や夕食から就寝までの間にも何かを口にしたくなってしまう。もともと間食をする方ではないのだが、この季節はどうしても口が卑しくなってしまうようだ。この夏の間に 2kgほど落ちた体重も復活していくのであろうが、体形を気にする年齢でもないので自然にまかせることにしている。

      何を食べても美味しい季節にはなったものの、日本国内は相変わらず食の安全に対する信頼が崩壊したままである。雪印の食中毒事件に始まり、BSE(狂牛病)問題、鶏肉問題、無認可の添加物問題、残留農薬問題などなど挙げればきりがない。生産段階や製造段階でのトラブルだけではなく流通や小売の段階でもラベルの偽装などがあるため、何を信じて購入すればよいのか解らなくなってしまった。

      それにしても、いつから日本人はこうなってしまったのだろう。以前の雑感にも書いたとおり昔の日本社会は性善説で成り立っていたはずである。悪いことやズルイことをするはずがないという信頼関係があり、売っているものの賞味期限がごまかされているとか、産地が偽装されているなどと考えたことすらなかった。何の疑いもなく売っているものを購入し、口に入れていたのは間違いだったのだろうか。

      造ったり売ったりする側のモラルが低下しているのと同時に消費者側の考えにも変化が現れはじめた。以前であれば消費者の立場が弱く、購入した商品にトラブルがあっても泣き寝入りすることが多かったが、最近では使ってみて気に入らなければ返品したり、その商品が原因で事故が起こった場合はメーカを訴えたりしている。それは当然のことなのだが消費者が保護されるようになったのは最近のことである。

      そして、もうひとつの変化は不祥事を起したメーカの商品が一斉に撤去されることだと思う。毒性のあるものが混入していたのであれば商品撤去は当然だが、雪印や日本ハムが輸入肉を国産とごまかしていた事件のように食品の安全性とは直接的に関係のない場合でも商品は撤去される。主体となっているのが販売店ではあるが、店頭に商品が並んでいても購入しない消費者は多いと思われる。これは ”不買運動” に近いもので、以前の日本では考えられないことだった。

      アメリカとかであれば商品そのものに問題はなくてもメーカの不祥事や体質までも問題視して不買運動が起こることがある。日本では人気の衰えないメーカのひとつにスポーツ用品などを販売する NIKE(ナイキ)があるが、1997年にナイキが委託するベトナムなど東南アジアの下請工場で、強制労働、児童労働、セクハラなどの問題があることが暴露されたとたんに、アメリカでは反対キャンペーンが起きて、ナイキ製品の不買運動、訴訟問題にまで発展した。

      それに比べると日本人は 「まあまあ」 と言ってウヤムヤにしてしまうことが多かったのだが最近は様子が違う。不祥事を起す会社のものは安心して消費者に提供できないという考えから取引を中止するところが多い。今回の日本ハムの件で、身近なところでは 『ケンタッキー・フライド・チキン』 や 『牛角』 が仕入先の変更を検討しているし、学校給食からも外されそうな勢いだ。

      日本ハムが食肉流通の営業を再開できたとしても以前のような売上げは不可能だと思われる。雪印が消費者離れを食い止められずに解体に追い込まれたのと同様に日本ハムも無傷ではいられないだろう。最近になって ”顧客重視” や ”消費者重視” の目標を掲げる企業が増えてきたのは、消費者が怒るとどれだけ大変な目にあうかということが身にしみて実感した結果だと思う。

      「最近の日本人(消費者)は強くなったんだな〜」 と思う反面、不祥事を起してしまう企業を見ても 「やっぱり日本人なんだな〜」 と思ってしまう。BSEでは先進国であるイギリスでも国による買取り制度がある。そして、やはりインチキをして金を騙し取る事件も発生している。しかし、日本と決定的に違うのは事件を起すのが企業ではなく個人だということだ。

      個人の利益のために個人が犯罪を犯すのは許されない事ではあるものの、ある程度は理解することができるらしいのだが、個人には何の利益もないのに会社のために犯罪を犯す日本人をイギリスでは理解できないらしい。アメリカにしてもヨーロッパにしても個人主義であるわけだから 「そんなことをして何の得があるんだ?」 ということが先にきてしまうのだろう。

      いままでの日本は終身雇用、年功序列が前提となっており、経営者を頂点に擬似的な家族関係が形成されることが多かった。会社を守ることが生涯に渡って自分の身を守ることにも繋がった。会社(家族)を守るためなら犯罪にも手を染め、身代わりに逮捕されるのも厭わなかったのだろう。しかし、終身雇用制や年功序列が前提ではなくなってきた今、そしてこれからは会社を命がけで守ろうとする日本人は確実に減っていくことであろう。

  • 嗚呼日本人 4

    嗚呼日本人 ~目次~

    ワールドカップでは日本も健闘したが惜しくもトルコに敗れてしまった。いかにも日本的だったのは 「よく頑張った」 「夢をありがとう」 など賛辞の言葉ばかりで敗戦の理由を冷静に分析することを忘れている。問題点というのは明らかにするから解決できるのであって、放っておけば解決できない。よく頑張った日本代表チームを称えるのは当然として、何がいけなかったのかも分析してほしかった。

      ゴルフの試合で一打目をミスショットし、そのホールをボギーとしてしまったにも関わらずギャラリーから 「ナイス・ボギー」 という声援があがったのを外国人選手が不思議な顔をして聞いていたという話がある。ギャラリーからすると 「あれだけのミスをよくカバーしてボギーで終わらせたね」 という意味の 「ナイス・ボギー」 だったのだろうが、そんな浪花節的な発想では更に上を目指すことは難しいのではないかと思う。

      かと言って、何度も書いているように自分はサッカーに詳しいわけではないので敗戦の理由を分析することなどできない。したがって、「よく頑張ったね」 とか 「次回(2006年)に向けての重要な経験ができたね」 などと典型的な日本人思考になってしまう。結果的に偉そうなことは言えないのである。

      スポーツの世界で ”たら” とか ”れば” を使ってはいけないそうだが、もう少しだけ頑張ってい ”たら” もう少し長く夢を見られたのに・・・。あの時のトルコ戦で日本が勝ってい ”れば” 今日(06/22(土))は大阪での試合だったのに・・・。ワールドカップに気を取られていて気が付けば阪神はズルズルと順位を下げているし、大阪府民のテンションは下がりっぱなしである。

      この雑感で予想した通り、にわかファンが溢れ出てきたことと、熱しやすく冷めやすいのは何とも日本人らしい。にわかにサッカーファンとなり、熱病にでもおかされたように騒いでいたくせに日本が敗退すると急に冷めてしまったようだ。日本が負けてしまったことで 、にわかサッカーファンの 70%は冷めてしまったのではないだろうか。そして ”ベッカム様” 率いるイングランドが負けたことで更に 20%程度の人が冷めてしまい、これからもサッカーという競技そのものを楽しむ人は 10%程度ではないだろうか。

      勝手な推測で申し訳ないが、その 10%の人で Jリーグの試合会場に足を運ぶ人は何人いるだろうか。世界の中でもレベルの高い試合を見たあとで Jリーグの試合を見て満足できる人が何人いるだろうか。そしてこれからもサッカーという競技そのものを楽しむ人はどの程度いるのであろう。サッカー人口が増えて Jリーグの組織やチームの運営が楽になると良いのだが、大きな効果は期待できないような気がする。

      日本人らしいといえば、イングランドのキャンプ地だった淡路島の津名町では小学生がベッカムから貰ったサインを津名町教育委員会が取り上げてしまったらしい。単純に「サインが貰えない子供がかわいそう」 ということなのだろうが、なんでもかんでも公平にすれば良いというものでもなかろう。もらえる人もいれば、もらえない人もいる。勝つ人もいれば負ける人もいる。

      最近の小学校では運動会の時もみんなが手をつないで一緒にゴールさせたりしているらしい。それも 「負けた子がかわいそうだから」というのが理由なのだろうが、そんなことをして何になるのだろう。スポーツに限らず何にでも勝ち負けがある。勝者の陰には何人もの敗者がいる。小さな頃から負け方もきちんと学習しておかなければ、ロクな大人になれないと思う。

      なんでも公平に平均的にしていると、少しでも平均から外れたり負けそうになった時の対処法が身に付かないではないか。このままだと人が持っているものを自分が持っていないなど、ちょっとした理由で ”キレる” 人間や何かに負けた時に過剰に精神が反応してしまい、人を傷つけたりする人間が増えてしまうのではないだろうか。大人はバカなことばかりしていないで勝者を尊敬したり勝者に敬意を払うことを子供に教えるべきだと思う。

      人と競わないのであれば競技ではなくなってしまう。自分の子供が敗者になることを嫌って一緒にゴールさせたりするくせに勉強や進学先は平気で競い合わせている。どこか矛盾していることに気がつかないのだろうか。津名町の件は結果的には生徒達にサインを返すことで落ち着いたらしいが、過保護にするのはいいかげんにして、これから先の人生にも無数の勝敗が待ち受けていることを教えてやった方が良いと思う。

      今回のワールドカップでは日本人の恥ずかしい部分も見えてしまった。6月14日、日本が決勝トーナメント進出を決めた夜。共催国である韓国も決勝トーナメント進出を決めた。TVには日本と韓国両方のサポーターが喜ぶ姿が映し出されていた。インタビューを受けた韓国人サポーターの多くが 「日本と一緒に決勝トーナメントに出られて嬉しい」 と答えていたが、日本人サポーターで 「韓国と一緒に・・・」 と答えた人を見なかった。

      韓国人サポーター達が集まって昼間におこなわれた日本の試合を TVを観ながら応援している姿があったが、その夜の韓国の試合を応援する日本人サポーターの姿は見ることができなかった。実際には 「韓国と一緒に・・・」 と答えた人や夜の試合で韓国を応援していた日本人サポーターもいたと思いたいが、それが TVに映し出されることはなかった。

      6月18日、日本がトルコに敗れたその日の夜、韓国が無理と言われていたイタリアに勝利した。しかし、それを喜び、素晴らしい試合をした韓国に敬意を払う日本人サポーターの数は極少数だった。東京にあるリトルコーリア(韓国料理の店が建ち並ぶ地域)では韓国の人が熱心に自国の応援をしていた。そこに日本代表ユニフォームを身に付けて韓国を応援する日本人サポーターがいたことに少しだけ救われた思いがしたが、その数はあまりにも少なすぎた。

      もちろん韓国人が嫌いな人もいるだろう、アメリカ人が嫌いな人もドイツ人が嫌いな人もいるだろう。しかし、韓国人に特別な感情がない人は共催国でもあるのだから、もう少し韓国の応援をしても良いのではないかと感じてしまった。”あの” イタリアに勝利したのだからもっと韓国チームを尊敬しても良いのではないだろうか。日本が負けたあとの一番の関心事はベッカム率いるイングランドに移ってしまったのが悲しかった。

      考え方は人それぞれだろうが、自国のこととアイドル的有名選手にしか感心を示さない日本人はあまりにも心が狭く 「やっぱり島国根性しか持ち合わせていないのか」 と、とても残念に思えてしまった一週間だった。そして・・・。韓国がスペインに勝った今日(6/22)、我家では日本戦より控え目ながらも小さくパチパチと拍手なんぞしたりしているのであった。