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  • 我家あるある

    生活をしていると何らかのパターンというか、身の回りで起こりがちなことというものがある。

    そこで、今回は我が家のあるあるネタをいくつか。

    あるある1. 芸能人の話をすると、1-2週間以内にテレビに登場する。

    これは以前の雑感にも書いたような気がするが、『お買い物日記』 担当者と芸能人や文化人、スポーツ選手の話をすると、1-2週間以内にテレビで見る確率が異常に高い。

    よく見る芸能人ならまだしも、
    「そう言えば何年も見てないねぇ」
    とか、
    「あの人は芸能界を引退したんだっけ?」
    など、久しく姿を見ていないどころか世間の話題にもなっていないような人の話をしても、ほぼ間違いなく画面で見ることになる。

    今となっては誰かの話をしたあとで
    「こうやって話題になったっていうことは近いうちにテレビで見るね」
    などと二人で言い、そしてやはり何日か後にテレビに現れ、
    「やっぱりね」
    ということになるのだ。

    もしかすると、『お買い物日記』 担当者か自分のどちらかが予知能力を授かったのかと思ったりしないこともないが、残念ながら自分たちの先のこともわからないので単なる偶然なのかも知れない。

    あるある2. もうダメかと諦めると復活する。

    使っているものが壊れたり、そろそろ寿命かと思って買い替えを検討したりすると復活することが多い。

    ショウコが一昨年から入退院を繰り返したため何度も帰省したが、その際に大活躍したのがキャスター付きの旅行カバンだ。

    持ち手がスライド式で伸び縮みするのだが、ある日の移動中に調子が悪くなり、伸ばした状態でカチッと固定できなくなってしまった。

    10年以上も使い続けたものなのでいよいよ壊れてしまったのかと思い、故郷や札幌で時間がある時に旅行カバンを物色したりして買い替えの準備を進めていたところ、
    「だいじょうぶ、だいじょうぶ、壊れてなんかないもんねぇ~」
    と、慌てて気を取り直したように持ち手からカチッと音がして固定できるようになったのである。

    それは一度だけではなく何カ月後かにも再び同じ症状となり、今度こそ壊れてしまったのだろうと買い替える旅行カバンを物色すると、再びカチッと元気を取り戻す。

    それから症状は現れていないようだが、ショウコがこちらに来たのでもう帰省する必要はなくなり、カバンそのものを使っていないので実際のところは分からない。

    もしかすると油断して、また固定できなくなっているのではないだろうか。

    最近、2013年に購入したタブレット端末でも同じようなことがあった。

    何度も充電を繰り返しているためのメモリー効果で、いわゆる電池持ちが悪くなってきたのは仕方のないことだが、いくら充電しても 67%以上にならないという症状が発生したのは先月の中旬のこと。

    充電を開始して数時間で 100%になっていたのに半日が経過しても一日経っても 67%のままだ。

    その後も充電ケーブルを繋ぎっぱなしにしておいたところ 72%にまではなったが、どう頑張ってもそれ以上にはならなかった。

    いよいよ買い替えの時期かと家電量販店の新聞折込チラシやネット通販サイトで各製品の価格や性能を調べて機種選定を始めたりしていると、
    「だいじょうぶ、だいじょうぶ、まだ頑張るもんねぇ~」
    と、慌てて気を取り直したように 100%まで充電できるように復活した。

    それ以来、タブレットは元気に動いているので今は買い替えを検討してもいない。

    あるある3. ピーマンの種が後で必ず出てくる。

    料理をしていてピーマンを切り、種をとっても後で必ず 1個は出てくるのが不思議だ。

    いや、それだけの話しである。

    あるある4. 一日に一度は『お買い物日記』 担当者がくしゃみを10連発する。

    最初の頃は風邪でもひいたのではないかと心配したが、それが毎日のことなので今は気にならなくなった。

    ほぼ間違いなく毎日、夕方のパソコンに向かっている時間、あるいは食後のどちらかにそれは始まる。

    その原因は不明で本人にも理由はわからないらしい。

  • ふところ

    懐(ふところ)が広いとは、心が広く、包容力があるという意味だが、相撲では腕と胸のつくる空間が大きく、相手になかなか回しを取らせないという意味もある。

    懐が深いとは、度量が広く、包容力があることで、相撲では上記と同じ意味を持つ。

    もう何年も前から海外ドラマを多く見ているが、これは 『お買い物日記』 担当者の兄の影響だ。

    何がきっかけだったのかは忘れてしまったが、義兄が撮り溜めていた海外ドラマの DVDを貸してもらったのが始まりで見るようになり、最初は DVDを借りるだけだったものの、それを堺に日本のドラマをはじめとしたテレビ番組を見る気が失せてしまい、ついには CS放送のスカパー!に加入して海外ドラマ漬けの日々となった訳である。

    スカパー!と契約したのが 2010年の終わり。

    それから丸 6年が経過したが、視聴したドラマのタイトル数は 200を超えた。

    最初だけ見てみたものの、つまらなかったり気に入らなかったりして 2話目にすら進まなかったものも多いのだが、シーズン2、3と続いて中には 10を超えるものも珍しくなく、それを 1タイトルとしてしか換算していないのでドラマを見るのに費やした時間は膨大なものになるだろう。

    それだけのドラマを見てきて思うのが、海外の視聴者の懐の広さである。

    敵とみなす国を実名で挙げたり、アルカイダなどのテロ組織名、イスラム教など宗教名も実名でドラマの中に登場させて弾圧したり攻撃を加えたりするのは以前の雑感にも書いた通りで、その筋からの抗議や反撃を意に介さないのか無頓着なのか、はたまた無神経なのか分からないが、とにかくそれは数多くの海外ドラマ、特にアメリカのドラマに見られる特徴だ。

    そんな内容のドラマにもアメリカ人は、アメリカに住むイスラム教の人は抗議したりしないのだろうか。

    イスラム教のモスク、キリスト教で言えば教会のような場所での暴力シーンや殺害シーンも数々あるが、それに対して嫌悪感や反感を持つイスラム系の人はいないのかと不思議に思う。

    そう言えばキリスト教の教会でも数々の犯罪が描かれている。

    教会内で麻薬の売買をしたり、犯人が教会に逃げ込んで信者を人質にとったり、その中で殺人が起こったり、しまいには牧師が犯人だったり異常性癖者だったりするストーリーもあるので、イスラム系ばかりを悪く描いている訳ではないようだ。

    それにしても、そんなシーンが許されたり撮影を許可して教会などが場を提供するのだから、やはりアメリカ人は懐が広いのだろうか。

    墓地でも死体が掘り起こされたり死者がよみがえってゾンビになったり、身を隠すところがないので狙撃場所になったりと、色々な事件が起こるが、そんな場所ですら撮影が許されるのだからすごい。

    日本の墓地、神社や寺で犯罪シーンを撮影したり、ましてや神主や住職が犯人だったり異常性癖者で幼い子どもに対する性犯罪者だったなどというストーリーを見たことがない。

    そんなドラマを放送したら不謹慎だと抗議が殺到するだろうし、そもそも撮影許可などおりないような気がする。

    今は見ることがなくなった時代劇などでは神社の境内での立ち回りがあったりしたが、それとて必ず正義の味方が現れて惨状になる前に悪党が尻尾を巻いて逃げていくというのがオチだ。

    今の日本では性描写も極端に控えめだが、それは激しく生々しいシーンを放送すると家族で見ることができないなどとクレームの雨あられとなってしまうからだろう。

    海外ドラマの場合はその点も寛容で、イギリスの国営放送である BBC、日本で言えば NHKと極めて近い立場にある放送局が制作したドラマでさえ日本とは比べ物にならないほど濃厚な性描写があったりする。

    きっと夜中の深い時間帯に放送されているドラマなのだろうが、日本であればそれが何時に放送されるドラマであっても許されないに違いない。

    自分が若い頃、子供の頃はそれなりに過激な番組もあったのに、いつから日本のテレビはこんなことになってしまったのだろう。

    夜中に子供がテレビを見ている方がおかしいと、毅然とした態度で反論できるテレビ局、組織がないのも嘆かわしい。

    司法に対して、または政治に対しては表現の自由だの何だのと息巻くマスコミ、放送局だが、視聴者に対しては極端なまでに神経を使い、表現の自由や言論の自由を奪われている事実をどう思っているのか。

    ひるがえって海外ドラマ、特にアメリカのドラマだが、予算も違えば人材の層の厚さも違うとは言え、これほどまで自由に表現でき、自由に映像化できるのは、やはり見る側の懐も広いからなのではないかと思う。

    日本人などとは異なり、それだけ度量が広く、包容力がある。

    つまりは懐が深い人種なのだと思う。

    ・・・。

    ・・・が、第 45代アメリカ合衆国大統領に就任したドナルド・トランプの言動を見ていると、そうでもないような気がしてきた。

    彼の大統領就任によって保護主義が広まり、個人主義が顕著になれば自分の気に入らないものを排除したり攻撃する人が増えるのではないだろうか。

    いつかアメリカのドラマ、テレビ番組も自由度が狭まり、ギスギスした感じになってしまわないか心配である。

  • 忘れていたこと

    まずは先週の雑感で、気になっていた重箱の隅をつつくような細かいことの最後のひとつを思い出した。

    それは『施行』の読みについてである。

    世間を騒がせている電通関連のニュースを見ていると政治家が
    「労働基準法施行規則の規定に基づき」
    の『施行』を『せこう』と読むことに強い違和感を覚えた。

    『せこう』するのは建築の『施工』であって、法を『施行』するのは『しこう』だろうと画面に向かって突っ込んだりしていたのだが、調べてみると『しこう』と読んでも『せこう』と読んでも間違いではないらしい。

    ただし、テレビ各局とも原稿を読む際は『しこう』に統一しているとのことである。

    それはやはり工事の『施工』と区別するためらしいが、その『施工』も『せこう』とも『しこう』とも読め、どちらも誤りではないという。

    つまり日本語とは、かくもあやふやなものである訳だ。

    そして、自分はごく一般的な読みに固執していたため政治家の読み方に突っ込みを入れてしまったが、それが間違いではないということなので、ここは素直に諸先生がたにお詫び申し上げることにしようと思う。

    次に過去に作成したWebページでコードを変更しなければならない部分があったのを最近になって思い出した。

    それは Googleの仕様変更に伴う作業で、現状のままでも大きな支障はないのだが、Googleが提供している地図情報などを快適に使おうと思えば最新の仕様に合わせておかなければならない。

    自分が運用しているサイトであれば多少の不便には目をつぶるが、お客さんのサイトを無視することはできないので少しずつ修正を加えているところだ。

    そして今日で禁煙生活 3100日、タバコのことなど忘れていたのに数日前の夕方、急に喫煙欲求が沸いてきた。

    それはガーッと集中してプログラミングしていた先週のことで、一段落、一息ついたときに現れた感覚である。

    もう長くタバコを吸っておらず、夢も見なくなったと独り言に書いたのは 2015年のこと。

    それなのに何かの拍子に喫煙の欲求が頭をもたげるのだから恐ろしい。

    平常心を 100として、ドーパミンの分泌レベルは美味しいものを食べた時が 150%、ニコチン摂取時は 220%とのことだ。

    ドーパミンとは意欲やモチベーションを高めたり、やる気・動機づけ、集中力、生産性を上げる鍵となる神経伝達物質なので、何かに取り組む前にタバコを吸いたくなったのも納得できる。

    逆に一息ついた時、次の行動に移るためにモチベーションを高めたり動機づけする必要があり、ニコチンを摂取したくなったのだろう。

    そのドーパミン分泌レベルだが、ニコチン 220%に対して覚せい剤は 1000%以上なのだそうだ。

    タバコでさえなかなか抜け切らないのだから、覚醒剤を断つのは本当に難しいのが分かる。

    最後に最近は登場回数がめっきり減って忘れかけていた『いつも夢の中に登場する町』だが、2-3日前に見た夢の中で相変わらず自分はそこで生活していた。

    そして、見覚えのある駅構内で仕事場に向かう電車を待っている。

    当時の雑感にも書いたが、その町のどこに職場や自宅があるのかは今をもって不明なままだ。

    忘れかけていた夢の中の町、それが再び現れたのは何かのお告げ、予兆だったりするのだろうか。

  • 重箱の隅

    重箱の隅をつつくような実に細かなことで恐縮ではあるが、気になって仕方のないことをいくつか。

    まずはペットショップの広告やペット関連のイベントのCMなどで良く見聞きする
    『ワンちゃんネコちゃん大集合!』
    という文言だが、犬をワンちゃんと言うなら猫はニャンちゃんではないのか。

    どうしてもネコちゃんと言いたいのならイヌちゃんネコちゃんとすべきだ。

    どちらも二文字なのでゴロだってそれほど悪くはない。

    ワンちゃんニャンちゃんだって、それほど言い難くはないではないか。

    それなのに、なぜ、なにゆえに、どの広告も判で押したようにワンちゃんネコちゃんなのだろう。

    ワンコであればニャンコ、犬であれば猫、それぞれ統一していただきたいものである。

    次に自殺の種類についてというか、そのネーミングについて。

    いじめを苦にした自殺、過労によるうつ病からの自殺など、昨年末から暗くて辛いニュースが続いているが、その方法を伝える際の「首吊り自殺」というワードに違和感を覚えた。

    自殺にも様々な方法があるが、首吊り自殺だけネーミングが生々しくないだろうか。

    ガス自殺は有毒成分による中毒とか酸欠にって死に至るので文字通りだし、電気ショックによって死に至る感電自殺もまあ、文字通りではある。

    高いところから飛び降りるのは投身自殺、川や海に身投げするのは入水自殺、自身の体に火をつけるのは焼身自殺、薬物を大量に飲むのは服薬自殺、毒を飲めば服毒自殺、日本では極めて少ないが、ピストルなどで自身を撃つのは拳銃自殺だ。

    それぞれの行為を二字熟語にして自殺を付け加えたのが一般的なのに、どうして首吊り自殺だけ生々しいそのままの表現なのかと感じたのが違和感となったのだろう。

    実は首吊り自殺には縊頸自殺という名前もあるらしいのだが、縊頸(いけい)など漢字が難しすぎる上に読める人もそうはいないに違いない。

    後ろの『頸(けい)』はクビとも読むのでそのままだし、首の骨の一部を頚椎(けいつい)というので少しは分かるが、問題は最初の『縊(い)』である。

    この漢字は糸へんに益(の旧字体)を書くが、その益には二股に分かれたものの末端をくくるという意味があり、糸へんがつくことで糸をくくりつけるという意味を持つらしい。

    そこで首と同意語の『頸』と合わさって首をくくるということなるということだ。

    ・・・。

    いやいや、そうではない。

    そんなことを調べていたのではなく、なぜ首吊り自殺だけ生々しいネーミングなのかという件である。

    縊頸自殺が難しすぎるのであれば、もっと簡単な二字熟語にすれば良いではないか。

    いや送り仮名を抜いて『首吊自殺』と書き、『しゅちょうじさつ』と読ませるのはどうだろう。

    ・・・。

    こんな細かなことを気にしているのは自分くらいなものなので、いくら主張しても意味はないだろうが。

    もうひとつ気になっていたことがあったのだが、メモらずに文章を書き始めてしまったので忘れてしまった。

    きっと忘れてしまうくらい細かな、取るに足らないことだったのだろう。

  • 真性雑感 第二十四版

    真性雑感 ~目次~

    ■ 保護主義

    トランプ次期大統領の登場で、アメリカが極端な保護主義に向かうのではないかと懸念されている。

    ヨーロッパでも移民の受け入れに反対する勢力が支持され、保護主義的な考え方が広がりつつあるらしい。

    世界は今、他国のことなど考えている場合ではなく自国のことで精一杯なのか。

    アメリカ、ヨーロッパ、そして中国も所詮は個人主義の国、そういう人種である。

    個人主義とは、

    国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重することを主張する立場。
    共同体や国家、民族、家の重要性の根拠を個人の尊厳に求め、その権利と義務の発生原理を説く思想。
    Wikipedia

    なのであり、もの凄く大雑把かつ乱暴に言い換えれば自分第一、自分優先、もっと極端に悪く言えば自分さえ良ければそれで良いということだ。

    そんな個人主義の人が集まれば自国第一、自国優先、自分の住む国さえ良ければ他がどうなっても知ったこっちゃないと、保護主義、右傾化するのは、ある意味当然のことかも知れない。

    そもそも、そんな人種が世界秩序を守り、自由貿易をして世界が繁栄し、全人類が平等で平和な暮らしをしていくことなど難しいのではないだろうか。

    自国の利益優先、自己の利益を優先させれば必ず争いが起こる。

    アメリカをはじめ、ヨーロッパ各国も無理をしていただけであって、保護主義の広まり、うねりは本音が噴出している状態なのかもしれない。

    昔はなかなか開国せず、海外企業の参入障壁も高かった日本は世界から保護主義的だと言われ続けてきたが、実は日本人の性質そのものは全体主義で、個を捨てて全体に従属することを得意とする。

    以前から日本人ははっきりとした意見を述べず、玉虫色、曖昧だと世界から言われてきたが、こんな時こそ
    「まあ、まあ、そう言わずに」
    と曖昧な笑顔で調整役を果たし、世界の秩序維持、調和に奔走すべきなのではないだろうか。

    ■ トランプ次期大統領

    そのトランプ氏はツイッターで

    トヨタはアメリカ向けのカローラを生産するため、メキシコに新しい工場を作るという。
    ありえない!アメリカ国内に工場を作らないなら、高い関税を払え。

    と、恫喝とも言える警告を発した。

    これまでにもフォード社などに対して警告し、メキシコ工場計画を撤回させてもいる。

    アメリカ政府内では
    「ツイッターに投稿し、重要政策を詳しい説明もなく一方的に伝える手法は混乱を招く」
    と批判が強まってもいるらしい。

    ・・・。

    重要政策をツイッター・・・?

    ヒラリー・クリントン氏が国務長官在任中の公務に私的な電子メールアカウントを使っていたことを批判し、それは犯罪だとまで言っていたトランプ氏である。

    重要政策をツイッターに投稿するなど私的メールアカウントどころの騒ぎではない。

    メールは不正に入手するか、のぞき見でもしなければ内容を知られることはないが、ツイッターに投稿すれば何千万、何十億人の人が誰でも自由に見ることができる。

    自分がやっていることが彼には分かっているのだろうか。

    ■ 従軍慰安婦問題

    日本と韓国の間では慰安婦問題が『最終的かつ不可逆的に解決され確認する』としていたはずである。

    しかし、釜山の日本総領事館前に慰安婦を象徴する少女像を設置した問題で韓国政府は具体的な動きを見せていない。

    朴槿恵(パク・クネ)大統領が弾劾訴追されて職務停止状態にあり、韓国は政治が機能していないこともあるだろうが、事実上の黙認と受け取られても仕方のない状態だ。

    従軍慰安婦が単なる組織売春だったのか、日本が力ずくで行った行為なのかという議論が残るにせよ、確かに日本が行った行為は愚かなことではあるが、それは解決済みの一件である。

    世界に発信された約束事を反故にして韓国民は恥ずかしくないのだろうか。

    日本政府は対抗措置として駐韓大使の一時帰国させる決定をしたが、そんなことをしたところで韓国は痛くも痒くもない。

    そんなことをするより、サムスン、LGエレクトロニクスなどに対して日本の電子部品、液晶素材、製造装置の供給をストップしてやれば良いのである。

    あるいは日本の商社、三菱商事、三井物産、住友商事、伊藤忠、丸紅などすべてを経由させ、それぞれ粗利をとって販売価格を 5-6倍にしてやれば良い。

    日本人がいつまでもニコニコと曖昧な笑顔を振りまいている訳ではないと思い知らせるべきだ。

  • 2016年の終わりに

    何と今年の大晦日は土曜日であるため、雑感の更新をしなければならないではないか。

    とりあえず簡単に済ませようとは思うが、今年を振り返ると兎にも角にもショウコ一色である。

    たぶん故郷で最後の正月になるという予感がしたので 2015年の終わりに帰省し、約20年ぶりに迎えた実家での元旦

    その始まりが今年のすべてだったようだ。

    一人暮らしを断念したショウコをこの町に迎え入れるべく施設探しを始め、候補が見つかったので申し込むことにした 2月

    叔母のレイコの早とちりだった 『ハハキトクスグカエレ事件』 が起きたのは 6月。

    その入院でショウコがすっかり一人暮らしを続ける自信を失ってしまったため、急きょ問い合わせた第二候補の施設に空きがあることが判明し、一気に事態が動き出した 8月

    施設のことを告げ、ショウコが入所を決意したのはその一週間後となる 08/10。

    それからというもの、怒涛のような日々を過ごすこととなる。

    約二週間後の 08/23に再び帰省、また約二週間後の 09/06にまたまた帰省

    その直後にショウコは町にやって来た

    その後も実家の仏壇を処分したため、こちらで新たに小さなものを購入したり、その仏壇に納めるため位牌や遺影をミニサイズにしたり、ショウコの許可を得て父親の遺骨を合祀堂に納めることに決めてお寺さんにお願いしたり何かと忙しい日々を過ごす。

    衣類と布団しか持参しなかったショウコのために施設で使う棚やら冷蔵庫やら何やらと買い揃え、あまりにも勢いよく捨ててしまって不足気味になった洋服を買い足したり、金融機関の住所変更やら新規口座開設やらと生活の環境を整えるのにもそれなりの時間を要する。

    ショウコが施設での生活にも慣れ、やっと落ち着いたと思ったらもう大晦日だ。

    先日、レイコからの届け物があったので礼を言うため昨日の夕方に電話をしたところ、相変わらず元気な声で近況など話し、最後にショウコはどうしているかと聞いてきたので施設にも人にも慣れて達者に暮らしていると告げると安心した様子だった。

    それにしても、本当に 2016年はショウコで始まりショウコで終わる。

    正月三箇日を放っておく訳にもいかないので、いずれかの日を選んで会って来ようと思っているので 2017年もショウコで始まったりするのではあるが・・・。

    そして、毎年同じことを書いてきた、例のホテルでのバイキング形式の昼食である。

    なんと、なんと、ついにその昼食を・・・。

    食べる前にサービスが終了してしまった。

    その事実は事前に知っていたのだが、結局は出かけるのが面倒になってとうとう行かずじまいである。

    行ってみようかと言い出したのは北海道に帰って来てすぐの 2008年、グズグズしているうちにサービス自体が終わってしまった。

    それから 8年も経過しているのでグズグズするにも程があるというものだが。

    仕事に関しては今年も相変わらずである。

    少なからずお客さんは増えたが、自分のスキルアップも含めて亀の歩みのようなものだ。

    それでも目新しい技術を使ってみたり、以前より難しいプログラムを書いてみたりと超スローペースではあるものの確実に進歩はしているものと思われる。

    明日から始まる来年も、少しずつでも良いから歩みを止めないようにしようと思ったりしているところだ。

  • 自分解体新書 - 27 -

    自分解体新書 ~目次~

    ■ 背中

    数日前、背中から破滅の音が聞こえた。

    何のことはない、仕事中に疲れを感じ、両手を天に突き上げて思いっきり伸びをしただけのことである。

    その際に背中からパリパリっと嫌な音が聞こえたのだが、本当にそんなことがあるのかと思って検索してみると、肉離れなどを起こした場合に不快な音がきこえるのは良くある話らしい。

    と言うことは、以前から我が家で『破滅の音』と表現していたのもあながち間違いではないらしい。

    さらに言うのなら、たまに背中の筋肉が痛くなり、2-3日は寝返りをするのも辛いという経験を過去に何度もしたが、それはつまり背筋の肉離れを起こしていたのだろうかと思い、さらに検索してみるとどうやらその推測は当たっているようだ。

    背筋 肉離れ』で検索してみると自分がこれまで経験してきたのと同じような症状、症例が見つかった。

    つまり、この痛みのことを『ぎっくり背中』などと間抜けなネーミングで呼称していたが、今後は『背筋断裂』と呼ぶことにしようと思う。

    ■ 首

    11/18(金)に倒れた際に強打した肩から首にかけてがまだ痛い。

    後頭部の痛みはなくなり、シャンプーの際にも問題なく頭皮をガシガシできるようになったが、首を左右に倒すとまだ両側の首、そして肩から背中にかけての鈍痛が残っている。

    実は単に床に倒れただけではなく、真後ろにある電子レンジやトースターを置いている台に頭から突っ込んでしまい、台の棚にあったものまで破壊する勢いで打ち付けてしまった。

    もしその台そのものが壊れて上に乗せている電子レンジが頭の上に落ちていたらと想像すると、脇腹あたりがゾワゾワとしてしまう。

    それだけの衝撃を受けたのだから、打ち所が悪ければ頭がい骨骨折や頭蓋内出血を起こしたかも知れず、こんな時は自分の石頭をありがたく思わなければなるまい。

    あれから一カ月強、まだ若干の痛みが首などに残ってはいるが、大事に至らなかったことに感謝するとともに今後はクラッとした際の防御姿勢などに磨きをかけようと思っている。

    ■ 指 その6

    今月の初めに再発してしまった指先に集中する手荒れだが、ここのところ快方に向かっている。

    あの時、マウスの指を置く部分にマスキングテープを貼るという対策を施したが、それが思ったよりも効果があり、改善に向かわないまでも悪化は食い止めることができた。

    それならば、もっと厚みを持たせてみたらどうかとマスキングテープの上からさらにビニールテープを貼ってみたところ、手荒れが大きく改善して皮膚が固くなったり皮がむけたりする症状が消え、今はあと少しで完全治癒という状態だ。

    このことからも、やはりマウスに使われている塗料に皮膚が反応したものと思われる。

    原因の特定ができず、ずっと悩んできた手荒れから解放される日も間近だ。

    ネットで検索すると、同じような悩みを抱える人も多いようだが、こういう対処法もあるということを伝えようにもその手段がないので発表の場をどうしたものかと思ったりしていることろである。

  • ゲーム

    最近、ゲームをしている時間が無駄なんじゃなかろうかと思うようになってきた。

    家庭用ゲーム機、パソコン、スマホと様々な機器を通して30年以上もゲームをしてきたが、そろそろ卒業しても良いころだろうか。

    思い起こせば1978年に爆発的ブームとなったゲーム、『スペースインベーダー』が発端だった。

    いや、その前に温泉旅館などに設置されていたビデオゲームのテニス。

    それをエポック社が世界初の家庭用ゲーム機『テレビテニス』として発売したのをちょっと裕福な家庭に生まれた友達が持っていたので、何度も何度も遊ばせてもらったのがゲームの世界への導入口だったかも知れない。

    スペースインベーダーを発端としてテレビゲームが世に広まり、町のあちらこちらにゲームセンターができた。

    喫茶店にもテーブル型のゲーム機が導入されて飲食代以上の売り上げを誇った時代もあり、その際には店内のテーブルのすべてがゲーム機となった店もあったほどだ。

    その頃の自分は御多分にもれずゲーム三昧の毎日を過ごしていて、24時間営業のゲームセンターで夜を明かしたり行きつけの喫茶店が閉店時間になった後も店の鍵を借りて朝までゲームを続けたりしていた。

    開催されたゲーム大会で優勝し、賞品として自動車をゲットしたが免許を持っていないので速攻で売却し、得た資金をまたゲームにつぎ込むという訳の分からないことをして中古自動車に乗っていた友達から鬼のような勢いで責められたこともある。

    1983年に発売されたファミリーコンピュータ、俗称ファミコンを購入してからは、いつでも好きな時に 100円硬貨を投入しなくてもゲームができるので益々没頭した。

    そしてついに、ゲーム好きが高じてゲームを開発する会社に勤めることになる。

    それがコンピュータ業界に入ったきっかけであり、今もそれを生業としているのだから人生というものは分からないものだ。

    過去の雑感に何度か書いたように、当時の業界におけるプログラマーを含む使用人への扱いはひどいもので、低賃金で長時間労働。

    今はちょっと待遇が悪いくらいですぐにブラック企業とかブラックバイトなどと言われるが、あの頃は労働基準法もなにもあったものではない過酷な労働環境で月に 100や 200時間の残業など当たり前、それも残業代などまったく支払われず、出勤時のタイムカードは自分で打刻するが退勤はすでに終業時間に限りなく近い時間で打刻されているという、奴隷のような生活を送っていた。

    そんな環境について行けずに辞めることになっても退職金など支払われず、ボーナスの基準も当時は花形だったエレクトロニクス産業を参考にするのではなく、すでに斜陽産業だった炭鉱労連を基準にするという実にに不可解な賃金体系。

    一発当てれば億の単位の利益が得られるゲーム業界だったため、創業から数年で自社ビルを建てるまでに会社は成長したが社員たちの会社生活は酸鼻を極めた。

    完成した自社ビルに初めて足を踏み入れた時、
    「この柱は俺たちの血と肉、汗と涙でできている」
    などと言ったものだ。

    そんなひどい状況の中でも会社を辞めなかったのは、ひとえにゲームが好きだったからだろう。

    当時の自分はプログラミンをするのではなく、ゲームに登場するキャラクターをデザインしたりゲームの中の景色や背景を描いたりしていた。

    子供のころからずっと絵を描くのが大好きでゲームをするのも作るのも好き。

    大好きなことをやりながら給料をもらっているのだから今から思えば理不尽なことも理不尽だと思わず、低賃金なのも長時間労働なのも気にならなかった。

    若くて体力もあったので、深夜 23:00くらいに帰宅してもまだ家でゲームをしたりしていたし、人気ゲームの新作が発売になると行列に並んで手に入れ、カフェインなど摂取しながら徹夜で遊んだものである。

    任天堂のファミコン、スーパーファミコンに始まりセガサターン、ドリームキャスト、NECのPCエンジンから SONYのプレイステーションまで、ありとあらゆる家庭用ゲーム機を保有していた時期もあったくらいのゲーム好きで、ゲームソフトの保有数も 100を軽く超えていたのではないだろうか。

    それほどゲームが好きだった訳で、まさに天職だと思っていたが、年齢とともに徹夜での作業など無理がきかなくなってきたことと、会社への不満、不信感などから転職を決意した。

    その後は同じコンピューター業界であるもののゲームとは無関係な道にすすむことになる。

    しかし、ゲーム好きは相変わらずで家庭用ゲーム機、パソコンでのゲームなどで遊んでいたが、スマートフォンが近年になって登場すると、その手軽さからゲーム機やパソコンでのゲームをすることはなくなった。

    そして現在もスマホでゲームを楽しんでいるが寄る年波には勝てず、1-2時間もやると目は疲れるし腕は痛くなるし、なにより集中力が続かない。

    以前のようにどっしり腰を落ち着け、気構えてゲームをすることはなくなったが、簡単に始められるのでついついスマホに手が伸びてしまう。

    それでも、冒頭に書いたように最近は時間の無駄だと思えてきた。

    今は暇つぶしにゲームをしてると言いたいところだが、そもそも自分には潰さなければならないほどの暇があるのか。

    録画している海外ドラマは在庫が積みあがる一方だし、運営している各種Webサイトのスマホ対応だって終わっていない。

    そして、ゲームをしているせいで寝るのが遅くなったりするが、睡眠時間を削ってまでやることなのか。

    急に止めることはないと思われるが、少しずつ時間を減らそうかという気にはなっている。

    いや、ボケ防止のために一定時間のゲームはむしろ続けるべきか。

    いやいや、止めることなどできず、死ぬまで遊び続けたりするかもしれない。

    果たして 5年後、10年後の自分はどうなっていることだろう。

  • 過剰演出

    どうも演出が過剰なものが好きになれない。

    テレビや映画を見ていて
    「何もそこまでやらんでも」
    とつぶやいてしまうこともしばしばだ。

    それは特に日本のドラマや映画に多く、別れのシーン、再会のシーンなどで必要以上の時間をかけ、必要以上のセリフを言わせ、必要以上の量の涙を流し、もの悲しい音楽を流し、見ている側を泣かせよう、泣かせようと必死である。

    そんな過剰な演出を見せられた時、ひねくれ者の自分などは興ざめしてしまって感情移入もできず、感動の度合いも半減してしまう。

    その点、海外のドラマは実にあっさりしたものだ。

    しかし、あっさりとしているのに十分に悲しかったり寂しかったり、逆に再会のシーンでは嬉しかったりするので演出のテクニック、シナリオが優れているのだろう。

    テレビCMでたまに見かけるのが細菌などを可視化した映像だ。

    食器用洗剤の CMでは除菌効果を謳うため、CGで可視化した菌が汚れた食器からスポンジへ、そのスポンジから別の食器へと移動し、菌が付着したコップで水を飲む笑顔の子供が映し出されたりする。

    浴槽洗剤では浴槽の汚れからお湯に菌が浮かび、そのお湯で顔を洗う子供に菌が移る様を映し出す。

    空気洗浄機では部屋の空気中に菌がウヨウヨしている様子が映し出され、これまた子供がそれに襲われているシーンが強調される。

    布団用掃除機では繊維の奥にひそむダニの死骸や卵などを映し、またまた子供が登場して布団で寝ている様子を映す。

    菌が付着したりするのは何も子供だけではなく、おっさんにだって菌は寄って来るのに子を思う親心を突き、消費者心理に恐怖を植え付ける過剰な演出がそこかしこに見られる。

    世の中には意図して人工的に作り出した密閉空間でもない限りは無菌状態などあり得ず、ごく一般的に菌は付着していたり浮遊していたりするもので、それを目の敵にしたところで意味はない。

    それなのに CGを駆使して気持ちの悪い映像を作成し、恐怖心をあおるような CMを流す企業の方を菌よりも嫌悪してしまう。

    そのような CMを見せられると、むしろその製品は買いたいとは思えなくなる自分はやはりひねくれているのだろうか。

    過剰演出とは異なるかもしれないが、無添加、オーガニック食品の安全性の主張の仕方にも疑問が残る。

    確かに発がん性が認められた物質が入っていたら危険だろうが、その他の一般的な添加物が入っていたら、その食品は危険なのか。

    合成甘味料、合成着色料など入っているのが当たり前で、それを口にしたからと言って死ぬわけでも病気になる訳でもない。

    農薬にしても添加物にしても世界一厳しい安全基準の範囲内で使用していて、検査体制だって世界一厳しく、完全に機能しているのだから人体に影響があるはずがなかろう。

    ここでもまた、だしにされるのは子供で、
    「将来のある子供たちに安全、安心な食品を」
    などと訴えているケースを多く見かけるが、もう爺さんになりかけている自分にだって子供の頃はあったし、その頃は今よりもはるかにゆるい規制で製造された製品を思いっきり食べてきた。

    体の 1/3は添加物でできているのではないかと思われるが、今のところ大病はしていないし訳の分からない牙も角も生えたりしてきていない。

    売り文句として安心、安全は訴求力があるのだろうが、普通に売られている食品が不安、危険であるかのような過剰な宣伝はやめていただきたいものである。

    とにかく、大げさな表現、大げさな宣伝文句、過剰な演出は好きになれない。

    世の中で過剰なくらいで丁度良いのは演劇やミュージカルの舞台とプロレスくらいなものだろう。

  • 昨日という一日

    12月02日の昨日は本当に色々なことがあり、ついに仕事をすることができなかった。

    できなかったというより、前の日から明日は仕事にならないと諦めたりしていたが・・・。

    まずは朝イチで定期通院のため病院に行ってきた。

    診てもらっている担当医は、やさしいと言うか、威厳に欠けると言うべきか、これはこうすべきであるとか、ここはこの方針で進めるといった感じで断言してくれることがない。

    今年の 6月、腎臓の数値が急激に悪化した。

    ずっと処方されていて問題のなかった薬の副作用かも知れないと、その時に処方薬を変えたのだが、今度はその薬の効きが今ひとつで別の数値を抑えきれていないことが発覚。

    以前の薬で腎臓の数値が悪化したのは一度だけであるし、その 6月といえば叔母のレイコを震源とする『ハハキトク事件』が発生した月であり、体力的にズタボロ状態だったため、どこの数値が異常であってもおかしくない状況だったので、あの時の腎臓の数値のことは忘れて薬を元に戻そうかという話になった。

    しかし、担当医は自分で薬を決めてくれず、
    「どうしましょうかねぇ」
    などと言う。

    たぶん腎臓の数値に関してはあの時だけのような気がするし、薬を変えて別の数値をもっと抑えた方が良いのであればそうした方が良いのではないかと進言すると、
    「そうですよね、そうしましょうか」
    と、患者に決めさせるのである。

    ちょっと頼りないような気がしないでもないが、自分の性格だと頭ごなしに言われると反発したくなるので、こういう医師に診てもらうのが良いのかも知れない。

    病院を出て薬局に行き、処方薬が出されるのを待っていると隣の人の会話が耳に入ってきた。

    それは 70代と 80代の女性なのだが、70代の女性が病院まで自転車で来ていると言うと、80代の女性が
    「あんな遠くから?」
    と言い、〇〇町からだとずいぶん時間がかかるだろうと驚いている。

    70代の女性が
    「違う、私の家はびっくりドンキーの近くだから」
    と、病院からそれほど遠くない店の名前を教えた。

    80代の女性が
    「びっくりドンキー、びっくりドンキー」
    と連呼し、
    「歳だから何の店かパッと浮かばない」
    と言うと、70代の女性が
    「ならナイジェリアに行ったらいい」
    と言い出す。
    「どうして?」
    と、80代の女性。
    「パッとナイジェリアっていうから」

    ・・・。

    ・・・それは『さいでりあ』だ。

    すでに倒産した新興産業の外壁材のCMソングで、小林亜星氏が手掛けた『パッ!とさいでりあ』を勘違いして覚えているのだろう。

    その時点で可笑しくて可笑しくてたまらず、自分は笑いをこらえていた。

    70代女性が処方薬を受け取り、帰ろうとすると自転車の鍵がないことに気づき、バッグの中をゴソゴソ探し始めたが見つからず、受け取った処方薬の袋の中もガサゴソと探し始める。

    80代女性がそれを見かね、自分のポケットに手を入れてジェスチャーしながら
    「ポケットにあるんじゃないの?」
    と言ったと思ったら、
    「あっ!あった!」
    と、自分で探していたメモを見つけたその直後、70代女性も
    「あった!」
    と、座っていたイスの上に置いてあった鍵を見つけた。

    その訳の分からないやりとりを見せられ、ついに耐え切れなくなった自分はトイレに駆け込み
    「どわっはっは」
    と一人で大笑いしてしまったのは言うまでもない。

    午後からはショウコが暮らす施設に行き、小一時間ほど過ごした後に買い物などして帰宅。

    その足でとなりの店に行って髪を切ってもらったのだが、店に通い始めて約 9年、初めて美容室に男のお客さんが来ているのを見た。

    その男性はそこそこ髪が長く伸びており、邪魔になるのか後ろで束ねた状態で来店。

    その長さは芥川賞作家でもあるお笑い芸人、ピースの又吉氏ほどあり、かなりの毛量なので毛先がぼわっと広がっている。

    束ねた髪をほどき、どっかとイスに座った男性は
    「かりあげにして」
    と言い放つ。

    そんなに思い切るのかと驚いたのだが、美容室担当の妹ちゃんはそれほどのリアクションを示さず、
    「バッサリやるね」
    などと言っている。
    「いっそのこと坊主の五厘刈りでもいいんだけど」
    「最後に切ったのいつだっけ?」
    「えーとね、一昨年の4月くらい」

    ・・・。

    どうやら1年8カ月ぶりの来店らしい。

    思い切り短くして、また髪が邪魔になたら束ね、我慢できなくなったら切りに来るのだろう。

    2016年12月02日、本当に色々なことがあった。

    そして、なんだかとっても疲れてしまった昨日という一日だったのである。