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  • 言葉の変遷

    このごろ気になることの一つとして、オバハンの語尾上げがある。 文章で表現するのは難しいが、「~ですか?」 のように、まるで質問しているみたいに語尾を上げて話すのだが、「お前は 20年前の女子大生か!」 と突っ込みたくなる。 確かに、いい歳をして語尾上げを使うのはバブル全盛期に女子大生だったオバハンが多いようだが、それから社会人を経験しても直らなかったのだろうか。

    「だから~。 ○○がぁ~。 ○○でぇ~。 ○○みたいなぁ~。」 と文章を細切れにして話すオバハンも気持ちが悪い。 第一、そんな話し方をされたら句点(『。』まる) のたびにうなずいたり 「ふんふん」 と相槌をうたなければならないので疲れる。 首根っこをつかまえ、「さっさと喋らんかー!!」 と耳元で怒鳴り散らしたい気分だ。

    以前は若者文化の発祥と言えば女子大生が中心だったが、今となってはその座を女子高生を中心としたコギャルに奪われてしまっているようだ。 ファッション、化粧品、食べ物の流行まで生み出すパワーを秘めるコギャルには、ある意味で敬服するものがあり、様々なメーカーまでがマーケティングの対象にしたりしている。

    年末に発表される流行語大賞には芸能、文化人などが選出されているが、本当の意味での流行語を創っているのは彼女達ではなかろうか。 流行り廃れも早く、オッサンである自分などが理解できるようになるころには、コギャル達の間では死語と化していることが圧倒的だ。

    10年以上も前に使われたチョベリグ(超ベリーグッド)/チョべリバ(超ベリーバッド)など、もう誰も使っていないだろうし、その後に生まれたチョバチョブ(超バッド超ブルー)も聞かなくなった。 数年前に使われていたチャケバ(ぶっちゃけ話)なども、すでに廃れているのだろう。

    コギャルなどという分類そのものが存在しなかった昔から、若者言葉が生まれては消えることを繰り返していたが、変な生き残り方をしている言葉もある。 その代表例が 『ハッスル』 とか 『フィーバー』 で、今では若者も含めてオッサン、オバハンまで滅多に使う言葉ではないのに、ニュース用語としてのみ、その存在を確認することができる。

    「若者のフィーバーぶりが・・・」 「大いにハッスルしていました」 など、「誰に伝えたいんだ?」 と問いたくなるようなニュース原稿を若いアナウンサーが読んでいるのが可笑しい。 原稿を作成しているのがオッサンなのか、取材をしたのがオッサンなのか、それとも本当にニュースの用語として定着しているのか、正確なところは分からないが、このまま将来も生き残る言葉なのだろうか。

    その他、日本語の使い方として間違っているものがそのまま定着してしまう場合もある。 今では誰も不思議に思わない 『意外と』 もそうだ。 もともとは芸能人が使い始めたようで、意外は形容動詞であるから、『意外に』 が正しい使い方なのだが、NHK のアナウンサーだろうと新聞の文字だろうと 「意外と美味しい」 などという使い方をしているので完全に市民権を得たようである。

    最近になって使われ始めたのが 「普通に美味しい」 という表現で、これは 「味が普通である」 という意味ではなく、「お世辞ではなく美味しい」 という誉め言葉に相当する。 その 『美味しい』 ですら変化しており、とっても美味しいことを 「ヤバイ」 と表現することが多くなってきたようだ。 これは 「ヤバイくらいに美味しい」 という感情表現を 「ヤバイ」 に凝縮したものだろう。

    『ヤバイ』 とは 『ヤバ』 が形容動詞化した口語であり、ヤバ(野馬)とはまだ調教されていない馬、つまり危険であるということなので、本来は良い意味を持たないが、長い時を経て、今、まさに、誉め言葉へと昇華しつつある歴史的瞬間に人類は遭遇しており・・・。 などと気楽なことを書いていて良いのだろうか。 このままでは日本語がどうなってしまうのだろう。

    「思ったよりも、お世辞ぬきで本当に美味しいですよ」 が 「意外と普通にヤバイ」 で通じる世の中になるのだろうか。 『意外と』 という使われ方のように市民権を得て、将来の標準語となってしまう時が来るのだろうか。 それとも、これらの使われ方は一過性のものであり、正常な状態に戻る日が来るのだろうか。

    色々と思うことはあるが、昔は自分も若者言葉を使い、親に注意され、社会人となって矯正されてきたものである。 中には定着し、正式な日本語となっていくものもあるだろう。 仮に江戸時代の人が現代にタイムスリップしてきたとしたら、きっと何を言っているのか理解できないに違いない。 数十年、数百年後の日本語は、現代人には理解できないくらいに変化しているのかもしれない。

  • 嗚呼日本人 9

    嗚呼日本人 ~目次~

    このタイトルを書くのも久々で、調べてみると約三年ぶりということになる。 その間にも 「日本人って・・・」 思うことは多々あったのだが、過去にこんなタイトルで雑感を書いたことすら忘れていた。 自分の場合は頭が良くないのに加え、年齢とともに記憶力も低下しつつあるので、何事も記憶の彼方へ飛んでいってしまうことは良くあるのだが、日本人そのものが忘れっぽい人種であったりするのかもしれないと思うことがある。

    25日、JR福知山線脱線事故から 2年が経過した。 被害者や遺族は JRから事故原因調査の報告をまだ受けられなかったり、補償交渉もまだ決着していないので事故は終わっていないのだろうが、当事者以外は年に一度だけ事故のことを思い出す程度になってしまっている。

    あの路線を利用している人も、当時は電車に乗るのが怖かっただろうが、今はそれを思い起こす人も少なくなっているだろう。 一般人、乗客は事故を忘れても仕方のないことだと思うが、JRと運転手にはそれを忘れてもらいたくないものである。

    この雑感にも何度か書いているが、1995年の阪神淡路大震災も風化しつつある。 我家でも当初は緊張の日々を送り、非常持ち出し用の荷物をまとめたりしていたが、月日の経過とともに荷物は解体されていた。 「こんなことではいけない!」 と気持を入れ直してあれこれと考え、『お買物日記』 担当者がまとめてくれたので今は復活しているが、これがいつまで続くか疑問である。

    2006年 6月 3日に死亡事故が発生して大騒ぎになったシンドラー社製のエレベーターに関しても多くの人が忘れていることだろう。 当時は、「あそこにもここにもシンドラー社のエレベーターがある」 とマスコミも大騒ぎし、乗らないようにと張り紙までしてある建物もあったが、今では誰も気に止めずにエレベーターを利用しているに違いない。

    その後、点検作業がどのように行われ、日本中のエレベーターの点検と必要な部品交換が行われたのか、それが完了したのか一切の情報がない。 そして日本人は事故のことをコロッと忘れ、今ではエレベーターのメーカーを気にする人すらいないだろう。

    過去の独り言にも書いたように、今となっては IT 企業の悪の巣窟に近い状態になってしまった感のある六本木ヒルズだが、一時期は事務所を構えたり、住んだりしている人たちをヒルズ族などと称してもてはやしていた。 すっかり観光名所ともなった六本木ヒルズだが、完成直後の 2004年 3月 26日に 6歳男児が正面入口の自動回転ドアに頭を挟まれ死亡した事故を覚えている人がいるだろうか。

    その回転ドアも取り払われ、今では違う種類の自動ドアになったこともあり、そこを通過する際に事故のことを思ったり手を合わせたりする人はいないだろう。 管理者の森ビルとメーカーの三和シャッターが罪のなすり付け合いをしていた記憶があるが、責任はどちらにあったのか、遺族への補償がどうなったのかは伝えられていない。

    最近の話しでは 2月 6日に自殺志願の女性を救おうとして急行電車にひかれ、亡くなってしまった宮本巡査部長の件がある。 残された家族には初七日だけでなく、四十九日も一周忌も毎年の命日もやってくるが、あれだけ市民に愛され、命がけで人命を救った立派な警察官のことが、すでに記憶の片隅に追いやられようとしている。

    大阪では桜のシーズンもすっかり終わってしまった。 木が葉で埋め尽くされると、その木が桜であって、つい先日まで綺麗な花を咲かせ、楽しませてくれたことなど忘れてしまうに違いない。 通勤、通学で通る道にある桜の木も、散歩中にある桜の木も誰も気に止めなくなるだろう。 そして、翌年になり、春が待ち遠しくなると思い出す。

    しかし、それが日本人なのかも知れない。 過去と決別しなくては前に進むことも難しい。 何かあると蜂の巣をつついたように騒ぎ立て、すぐに何事もなかったように忘れてしまう国民性は、一気に花開いて咲き誇り、そして見事なほどに散りゆく桜に類似性を見いだし、ことさらに愛でたくなるものなのかも知れない。

  • 一極集中

    社会問題、政治問題にもなっている中央と地方の格差。 とくに最近はその傾向が顕著に表れているように思う。 それは景気回復だったり地価上昇などという経済的側面のことではなく、自分程度の人間が感じるのはメディアに対してである。

    今月初めに行われた東京都知事の選挙にしてもそうだが、都民以外には大きく関係しない話題であるにも関わらず、石原閣下の独善ぶりとか、笑いを通り越して気持悪さ倍増の黒川紀章氏とか、ドラマチックに失敗した浅野史郎氏の顔が、テレビなどで毎日のように映し出される。

    日本の首都である東京の長が誰になるのか、国際都市東京の構築には誰が相応しいのか、そして世界に向けて日本の情報をどのように発信していくのか、それは地方にとっても大切なことではあるが、いかんせん投票権すらないのだから、結果だけ分かれば十分であり、事前の選挙戦など毎日のように見せられても何の興味も湧かない。

    現在、日本の総人口は約 1億 3千万人で、東京を中心とした首都圏の人口は 3千万人と、実に日本の人口の 23%を占めている。 したがって、テレビも首都圏を対象としておけば、ある程度の視聴率を稼げる訳なので、 「東京を中心に編成すれば良い」 という安易なものが目立つ。

    グルメ番組も都内の美味しい店、何らかの情報紹介も東京が中心。 東京に住む気などなく、ましてや遊びに行く気すらない人にとっては、まったく必要のない情報だ。 これで最近の視聴率の低迷を嘆く方がおかしい。 インターネットの普及やら娯楽性の多様化など、もっともらしい言い訳をあげつらうが、実際のところは多くの人が楽しめる番組を製作できない側に大きな問題があるように思う。

    地方に住んでいると、東京発信の情報よりも、住んでいる土地発信の情報の方が楽しいし、役に立つ。 六本木やら神楽坂やらの洒落た店の紹介よりも、安くて美味しく、腹一杯になる地元の店の情報が気になる。 主婦層をターゲットにしている昼間から夕方にかけてのローカル番組を一家団欒のゴールデンタイムに放送した方が視聴率が高いのではないかと思えるくらいだ。

    日本第二の都市であった大阪も、景気の良い名古屋に抜き去られ、底なしの地盤沈下を続けているように思うが、市や府、官僚は裏金を作ったり談合したりするのに忙しく、財政破綻寸前だというのに何の危機感も持っていないようだ。 大阪で大きくなった企業が本社を東京に移すのを指をくわえてみているだけで、必死に食い止めようとしたり、逆に誘致活動をして呼び込むことすらしない。

    吉本の芸人さんも下積み時代を大阪で過ごし、有名になって高額所得者になると東京に行ってしまう。 つまり、大阪からは人も企業も高額納税者が出て行き、東京の税収がどんどん増える構図だ。 九州や沖縄のように優遇税制を導入したり、通信、電気などで補助金を出したりして必死に誘致活動をしているところに経済規模や人口推移で負ける日も近いかもしれない。

    そういう観点からすると、東京の知事などどうでも良く、大阪府知事の方が重要であり、前の横山(エロ)ノック氏や、現在の太田(デメキン)房江女史なんぞに府政を任せてなどいられない件の方が府民にとって重要で、石原氏の激しいまばたきや黒川氏の気持悪い姿などテレビで観ている場合ではないのである。

    東京をロンドンやニューヨークのように世界に通用する都市にすることに異存はない。 しかし、政治の中心であるワシントン的都市や、いろいろな機能を持つ都市だって必要だろう。 人口が一極集中するのは避けられないとしても、金や情報までもが一極に集中し、地方が疲弊している現状が正しいことだとは思わない。

    そして、東京を中心としたテレビ番組など見たくもないので、地方のテレビ局には是非とも頑張っていただきたいと思っている。 しかし、制作費を補えるほどの大きなスポンサーが、東京にしかないという一極集中の現実が、ここにも厳然と存在したりするのではあるが・・・。

  • リアクション

    長いこと生きていると、リアクションに困る状況が少なからずおとずれるものである。 以前の雑感にも書いたが、電車の指定席がとれず、帰省先から帰れないというアホみたいな理由で会社を休んだ女子社員からの電話連絡を受けたときもそうだった。

    本来であればガツンと叱らなければいけないのだろうが、あまりにもアホらしく、馬鹿馬鹿しい理由を聞かされて唖然としてしまい、叱る気にもならなかったのは、文字通り ”開いた口がふさがらない” という状況に陥ってしまったためだ。

    その電話を横で聞いていたであろう彼女の親も、そんなことは仕事を休む理由にならないことを諭したりしないのであろうか。 可愛い我が娘が満員電車で立ったまま揺られて帰るのが忍びなく、「そこまでするくらいなら仕事を休んでもう一泊していきなさい」 とでも言ったのだろうか。

    これも以前の雑感に書いたことだが、嘘をついてまで自慢話をする男がいた。 その男を含めた数人で酒を飲んでいたとき、ヒゲを剃るのはカミソリ派か、シェーバー(電気ひげ剃り機) 派かという話題になり、自分はシェーバー派だと応えると、「シェーバーでまともに剃れる?」 と聞かれたので 「剃れるよ」 と答えた。 すると、その男は 「嘘だね~。前に途中で止まって剃れなかったの知ってるもんね~」 と勝ち誇ったように言い放つ。

    確かに、その男が家に来ていたとき、急な仕事の呼び出しがあったので慌ててヒゲを剃っていたところ、途中で充電が切れてしまい、あごヒゲを剃ることができなかったことがある。 しかし、それは電気ひげ剃り機なのだから、電気がなくなれば剃れなくなるのは当然のことであり、『まともに剃れるか』 という質問に対して 『剃れる』 と答えたことが嘘だという結果には繋がらないはずだ。

    その男の嘘を何度も指摘していたので、まるで鬼の首でも取ったかのように責めてくる姿を見て哀れに思い、少しリアクションに困っていると、その嬉々とした態度に拍車がかかり、まるで自分が罪人であるかのように責め立ててくる。 あまりにもしつこいので先に述べたように、電気がなくなれば剃れなくなるのは当然のことであると言ってやった。

    すると、一緒に飲んでいた仲間も同じように思っていたらしく、みんな一様に 「そうだ、そうだ」 と言い、それは嘘ではなく、当然のことであるという結論に至り、今度は今までギャーギャーと騒いでいた男がリアクションに困ってシュンとすることになった。

    ある日、知人の紹介で職場を訪ねてきた人と会ってみると、どうやら以前に会ったことのある人と知り合いみたいで、「お噂はかねがね・・・」 などと言う社交辞令的会話が開始され、そういうことが苦手な自分は 「いやいや」 とか 「まあまあ」 などと適当な返事をしていた。 そして 「あまり良い噂じゃないでしょうけど」 と返すと、「いえいえ良くキレる方だと・・・」 と言ってくる。

    それは、キレ者であるという、最大級の社交辞令的誉め言葉だったのだが、自分の脳は通常と異なる回路に接続してしまい、当時、社会問題化していた 『キレやすい子供たち』 に象徴される、”ぶちギレ” の意味の 『良くキレる』。 つまり、子供たちと同じく 『キレやすい』 と解釈してしまった。 確かに当時は出入り業者にクレームを言ったり、時には怒ったりする仕事上の立場だったのである。

    その言葉を受けての第一リアクションは 「いえいえ、そんなことは・・・」 だったので、一応はつじつまが合う。 しかし、次に 「いや、そうかもしれませんね」 などと答えてしまったものだから、その場の空気が変なものになってしまった。

    その人は 「は?」 と言ったまま固まっている。 きっと頭の中で (こいつ、ちょっと誉めたら認めやがった~!) と叫んでいたことだろう。 自分も 「え?」 と言ったまま固まっていた。 頭の中では (なんなのだ、どうしたというのだ) という疑問が次々に浮かんでは消える。

    何だか妙な雰囲気になってしまったその場は、お互いが 「あははは」 と力なく笑って取り繕い、そそくさと仕事の話を始めたりしたのであった。

  • 物の価値

    かなり以前の雑感にも価値観について書いたが、また同じようなことを考える機会があった。 やはり物の価値というのは主観的な要素で大きく変動するものであり、それが高いか安いかは人によって大きく感じ方が異なるものだ。

    何度も書いているように、自分はモスバーガーが好物であるが、マクドナルドと比較して売られている金額は高い。 しかし、それでもモスバーガーを選択するのは食後の満足感がマクドナルドより遥かに勝るからである。 味が好みではない人にとっては高い金額を払う価値などないだろうが、自分にとっては価値のある味だと思っているので、マクドナルドがデフレ期に 58円だの 100円だので販売していた時期も頑固にモスバーガーを食べ続けていた。

    逆に安いものに価値を見出して結果的に得をする場合もある。 マグロのトロは赤身に比べて何倍も何十倍も高価だが、自分は健康上の理由から油を避ける生活を続けているので、高い金額を支払ってまでトロを購入する必要性がない。 また、一切れや二切れ程度を食するのなら良いかも知れないが、あんな油まみれの身を何枚も食べたいとも思わない。

    それは肉類にも言えることで、霜降りも見事なフィレ肉などは食べても胸焼けするだけであるし、上と同じ理由で食べるのも避けているので、自分にとっては価値のないものである。 どうしても肉が食べたいときは鶏肉か、赤身の部分で十分だ。 大好物なのに高くて食べられないのなら我が身が哀れだが、食べたくもないものがどんなに高価であっても何の問題もない。

    つい先日、『納得!買っとく?メモっとく』 にも掲載していたデジタルカメラを購入した。 安く買ったとは言え、それはモスバーガーが 100個も買える金額だった。 旅に出る訳でもなく、写真が趣味な訳でもなく、さらに必要に迫られていた訳でもないのに、高い買い物をしたという感覚はない。 機能的にも性能的にも十分で、絶対的必要性はなかったものの、十分な満足感が得られたからである。

    最近は購入する頻度も費やす時間も減ってしまったが、自分がかつて業界に身を置いていたテレビゲームなどは、その価値が大きく問われるものだった。 そもそもゲームに興味のない人にとっては、本体に数万円も支払い、ソフトに数千円も金をかけること自体が価値のないことだろう。 ところがゲームに興味があったり、それが好きな人にとっては、その金額に値するものなのである。

    ただし、ソフトには当たり外れがあり、たとえば 5,000円だとしても、それだけの価値があるものと 「金を返せ!」 と言いたくなるものが存在する。 しかし、それとて個人差があり、仮に自分が楽しめなかったゲームにも十分に満足する人だっているかもしれないので、それが高価か否かは主観によって判断される側面が圧倒的だったりする。

    人それぞれ、自分にとって価値があるものに対して、それ相当の対価を支払えば十分なのではないかと思ったりしている今日この頃である。

  • マサルノコト scene 11

    マサルと友人関係になったのは中学二年生のときだが、一年生のときから一方的にマサルのことは知っていた。 不良仲間にアキラというのがおり、そこそこ喧嘩も強かったので仲間から一目置かれている奴だったのだが、マサルはそのアキラを掃除用具であるホウキを振り回して追いかけていた。

    廊下を歩いているとアキラが血相を変えて走ってくるので 「どうした?」 と声をかけたのだが、「あわわわ」 と訳の分からないことを言いながら一目散に逃げていく。 何ごとかと見ていると、後から走ってきたのは鬼のような形相をしたマサルだった。

    アキラは恐怖で足がすくんでしまったのか、よほど慌てていたのか、階段を駆け下りようとしてバランスを崩し、途中にある踊り場で転んでいる。 そこにホウキを手にしたマサルが追いつき、何事かをわめきながらアキラをめった打ちし、普段は喧嘩の強いアキラから 「ゴメン!ゴメン!俺が悪かったから!」 と謝罪の言葉を引き出していた。

    あのアキラがかなわないのだから、背が高く、体もごついその男は相当な奴なのだろうと思っていた。 そして二年生となり、近くの席にマサルの姿を見たとき、これはお近づきになっておいた方が良いのではないかという打算が働いたりもしたが、ニコニコしているエビス顔のマサルからは不良の持つ独特の雰囲気を感じない。 事実、マサルは ”超” が付くくらいの真面目人間であり、法律はおろか、校則すら厳守するような奴なのである。

    最初に交わした言葉など忘れてしまったが、席が近かったこともあってすぐに友人関係へと発展し、クラブ活動などしていなかった二人は下校時に途中まで一緒に帰るのが常となった。 たまには街の中心部にある本屋などに立ち寄ったりしたが、そんな時もマサルは 「一度帰ってから」 と言う。『下校時に寄り道しない』 という小学生並みの原則を中学二年生になっても頑なに守り続けているような奴だ。

    自分にはそんな考えなどさらさらないので、制服のままマサルの家まで一緒に行って着替えるのを待ち、それから街に繰り出したりしていた。 色々な店をブラついていると疲れるしノドも渇く。 そこで 「喫茶店に入ろう」 と誘うと、「喫茶店なんぞ不良の行くところだ」 などと言う。 それは制服のまま喫茶店に入ることなど平気なうえ、酒を出すような店にも普通に出入りしていた自分にとって衝撃的な一言だった。

    とりあえず、ここはマサルの意見を尊重しておいたが、ノドがカラカラに渇いてきたので店頭でソフトクリームやらジュース類やらを販売している店を見つけ、「何か買おう」 と誘った。 ところが、そこでもマサルは浮かない顔をして 「買い食いは・・・」 と躊躇している。 ここはもう一押しだと思い、「疲れたよなー」 「ノド渇いたよなー」 と耳元でささやきながらマサルの周りをぐるぐると回ってみた。

    「う~む」 と迷っているマサルに 「甘い物を摂ると疲れがとれるぞー」 と究極の台詞で誘ったりしてみたが、10分以上も悩んだ挙句に 「やっぱり買い食いはいけない」 と、その場からスタスタ立ち去ってしまった。 目の前が暗くなるとは、こういう時のことを指して言うのだろう。 一人だけ買ってノドを潤すのも気が引けるので、結局はマサルの後を追うことになってしまった。

    こんなクソ真面目な奴と、当時不良だった自分がどうして友人関係を保てたのか今でも不思議ではあるが、何となく気があったのだろう。 そして、それからも現在に至るまでも腐れ縁とも言うべき関係は、まだまだ継続していくのであった。

  • その後

    タミフルに関して 3/3 の雑感に厚生労働省を擁護することを書いたが、ここにきて異常行動の発症例が増え、新たな事実も加わり厚労省の分が悪い。 高熱による異常行動の発生率とタミフル服用後の異常行動発生率の差は 1.3%しかないという報告書があることを同日の雑感に書いているが、その調査は小学生以下が対象であり、つまりは幼児に対してのみ当てはまる内容だった。

    10代に関しては 「服用との因果関係が明確になっていない」 どころか、「調べていない」 というのが正確な表現であろう。 昨日になって 「因果関係の否定的見解を変更するかもしれない」 などと言い出したが、そもそも調査すらしていなかったのだから変更も何もあったものではない。

    幼児が高熱によって夢や幻覚にうなされたり異常行動を起こすケースは多数報告されているが、10代に関してはどうなのか。 タミフル服用後との差はどの程度なのか。 次のインフルエンザ流行期まで一年近くあるのだから、徹底的に調べていただきたいものである。 ただし、高熱による異常行動は確実に存在する訳だから、タミフルを悪と断定的に報道するのはいかがなものか。

    発症から 48時間以内でなければ効果がないタミフルを何日も処方する医者にも問題があるだろう。 単に薬価で利益を得ようとしているとしか思えない。 年間の処方量は全世界の 77%に相当する 800万人分であり、それはアメリカの 13倍にもなるという。 乱暴な計算をすれば 10代のうち 100万人が服用したことになる訳で、異常行動を起こした人が 1万人いたとしても、それは 1%にしか過ぎない。

    その 1%を因果関係と呼ぶことができるのか、はなはだ疑問である。 まして 1万人も異常行動を起こすのか疑問であり、それが 1000人だとすれば 0.1%にまで下がる訳だ。 10代の子を持つ親にとっては不安極まりないことだとは思うが、これは発売禁止にまで至らない案件なのではないかと思う。

    そして先週の雑感に書いたプロ野球の裏金問題に端を発するドラフト制度の見直しだが、これは 「来年から」 などという誠に中途半端な結論に至ってしまった。 どうやら 「改革を急がねば」 という問題意識が欠如しているらしい。 それも、ある特定の一球団が特にではあるが。

    アマチュア側も、プロ選手側も、大多数の球団も 『希望入団枠』 の撤廃を求めているのに、ジャイアンツ (天下の読売巨人軍) だけが難色を示し、話し合った 11球団中 10球団が賛成したのにも関わらず、ジャイアンツ 1球団の反対で今年のドラフトから希望入団枠を撤廃できなかったと言う、誠に非民主主義的な結論に落ち着いたところなんぞプロ野球の未来に深い影を落とす結果であり・・・。

    今年 9月のドラフトまで半年もあるというのに、早々に 「今年の制度変更なし」 と結論付けた裏には何があるのか。 どうして前向きに検討できないのか。 どう考えても今年の希望入団枠でジャイアンツを逆指名する選手は ”怪しい” と思わざるを得ない。 相当な金額が動いており、今年からやめたのでは金が無駄になってしまうということか。

    そして不二家である。 昨日から一部の店舗で生菓子の販売を再開したが、以前のように客足が回復するのはいつになるだろう。 3割程度の店舗しか営業再開していないようだし、廃業を決めた店舗も多くあると聞く。 『お買物日記』 担当者が踵 (かかと) が痛いにも関わらず、フォルテ摂津にある不二家を偵察したところ、店は営業再開していたらしい。

    ただし、商品数は圧倒的に少なく、半分くらいのケースに布がかけられたままだったらしい。 確かにそれはそうだろう。 張り切って商品を仕入れても客足が遠のいたままだと大量の売れ残りが発生し、店の経営に更なるダメージが加わってしまう。 2/3 の雑感は営業が再開したら 「売り上げに協力してあげよう」 と結んだが、残念ながら買う気にはなれないままだ。

    いつの日にか何か買おうとは思っているが、それがいつなのか定かではない。

  • 裏金問題

    西武ライオンズの裏金問題に揺れるプロ、アマ球界だが、そもそもの発端として、なぜそのような問題が発生したのか。「良い選手を自球団に入れたい」 というが結論だろうが、良い選手を獲得する目的は何か。 それに関しては 「チームを強くしたいから」 となるだろうが、なぜチームが強くなければならないのか。

    試合、勝負である以上は勝つに越したことはない。 チームのファンも勝てば喜んでくれるのは確かだが、それだけが結論でもないように思う。 数年前の阪神タイガースだって現在の東北楽天ゴールデンイーグルス (長い) だってチームが弱くてもファンはついていた。「強くなければファンから支持されない」 など、あまりにも短絡的な思考であり、ファンを馬鹿にしている。

    元プロ野球関係者が 『スカウトの実績』 として、「使える選手を獲らなければ球団から文句を言われる」 と言っていたが、スカウトマンの独断で動かすには大きすぎる金額だ。 組織の知らないところで千万単位の金を自由に動かせるはずがない。 従って、この問題は球団ぐるみであり、スカウトマンの暴走などではあり得ないだろう。

    最初の疑問に戻れば、なぜ球団ぐるみで裏金を渡してまで良い選手を獲得したいのか。 チームが強くなくても以前の雑感に書いた千葉ロッテマリーンズのようにファン至上主義を貫き、球場をファンで埋め尽くすことはできる。 そして声援が増えれば選手のモチベーションも上がり、結果的にチームが強くなることだってあるはずだ。

    選手が自由に球団を選べる希望入団枠の撤廃にプロ、アマ業界も世論も傾いているが、相変わらずそれに難色を示す球団があると言う。 この期に及んで良い顔をしないのは、自分の球団は人気があって選手が逆指名してくれることに相当な自信を持っているか、すでに金銭の授受があり、その金を無駄にしたくないかのどちらかだろう。

    その球団関係者は、現在は突出した人気を誇る球団などなくなったことを自覚していない。 あの日本テレビ (読売系) ですら、今年からプロ野球 (巨人) の延長放送はしないと結論付けたように、視聴率も惨憺たる結果であり、一番の人気球団だった過去など見る影も無い。 地元ファンに支えられていた中日ドラゴンズでさえ、休日のナイターはやらないように要請されている。 夜にテレビ中継しても視聴率を稼げないので、通常の番組を放映したいと言う地元メディアの方針だ。

    すでに裏金の授受があるとしても、もともとは業界の規律に違反する行為であるのだから、キッパリと諦めればよろしい。 遠い過去から現在に至るまで、金銭の授受など常態化しているという証言もあるのだから、この問題が表面化した先週まで金が飛びかっていたのだろう。

    そこで性格の悪い自分として気になるのは、早稲田大学に進学した 『ハンカチ王子』 こと斎藤佑樹選手のことだ。 野球の素質もスター性も一級品である彼を球団関係者が放って置くはずがない。 彼に対して黒い金は動いていないのか。 彼が早稲田に進学したのは本当に自分の意志だったのか。 高校野球からは希望入団枠ではなく、ドラフトでしかプロへの道はない。

    自分のように意地の悪い週刊誌の記者あたりが、今頃は周辺を嗅ぎ回っていることだろうが、怪しい臭いがするのかどうか。 世のオバチャン、オネエチャンのためにも彼には潔白であってほしいものだとは思っているが・・・。

    もう少しで今年もプロ野球のペナントレース (リーグ戦) が始まる。 冒頭から大きな問題で球界に影を落としてしまったが、今年も益々ファン離れが起きないか心配なところである。 自分としては、少し前の独り言に書いたように適度なヒマつぶしになるので、文句を言いながらも今年も野球中継を観ることになるだろう。

  • 標準語

    大阪に生活の基盤をおいて 13年目となり、当初は聞き取れないことも多かった大阪弁にもすっかり慣れた。 身近にネイティブ大阪弁の人が少ないので、自分で大阪弁を話すまでには至っていないが、アクセントやイントネーションは大阪に近くなってきているようである。

    最近でこそ全国放送のテレビでも関西弁は珍しくなくなったが、以前はタレントさんも言葉を標準語に矯正されていた。 一般に標準語とは東京の言葉と思われがちだが、厳密には違うらしい。 江戸の時代から地方出身者が多く集まり、それぞれの言葉が調和して平坦になったものが 『山の手』 言葉として存在し、生粋の東京人が使うものは江戸弁として存在していた。

    人の寄せ集めの街で自然形成された言葉が東京語であるため、地方出身者にも理解しやすかったのだという。 その東京語は過去に一度も固定化されたものがなく、時代や人と共に常に変化してきたものらしい。 では、なぜ固定化されてもいないものが標準語になったのかと言えば、当時の日本が軍国主義だったことが大きい。

    軍隊組織の中で方言が飛びかうと意思の疎通が図れず、任務遂行に大きな影響を与えかねないため、富国強兵策の一環として標準語普及の運動が大々的に進められたのだという。 その陰で方言撲滅運動が展開され、地方によっては小学校で方言の使用を禁止することさえあったらしい。

    寄せ集め言語のくせに 「東京語は全国の手本」 というこの運動は、地方への差別意識を強烈に助長し、それは戦後になっても根強く残ってしまった。 特に東北弁を軽視する傾向が強く、一時期は映画など外国ものの吹き替えで黒人が東北弁を話しているようなことが公然と行われていた。

    先に書いたように最近のテレビでは関西、広島、九州地方などの方言を聞くことが珍しくなくなったが、東北弁を聞く機会が少ないのは、当時のいわれのない差別が今でも尾を引いているものと推測される。 今でも少し人を馬鹿にしたような訛りを表現するときは東北系の言葉を使うことが多いのもその流れなのであろう。

    自分は東京に住んだことはないが、住みたいとも思わない。 まして東京語など何するものぞといった感じだ。 以前、石原裕次郎主演だっと思うが、かなり昔の映画を観ていて、気持悪くなったことがある。

    その時のシーン
    石原 : 「泣くのはおよし。さあ、笑ってごらん」
    女優 : (涙をこらえて笑う)
    石原 : 「ほら、できるじゃないか」
    ん、んな~にが 「できるじゃないか」 だ!! 尻のあたりがムズムズと痒くなり、気持悪くて一人でのた打ち回ったものである。

    テレビドラマや映画を観ていると、女性言葉の語尾に 「~だわ」 とか 「~かしら」 、「~なのよ」 と付くが、これは標準語だけではないだろうか。 言葉の語尾で男性、女性が明確に判別できる方言などないように思う。 これは、東京語の元である山の手言葉の時代から存在したものなのだろうか。 それとも、文章で表す際に男女の使い分けをしやすいように後に開発されたものなのか。

    今はテレビやインターネットの発達で中央も地方も同時に情報が共有できる時代である。 移り変わり、交じり合う東京語が方言を吸収し続け、それが電波や信号に乗って地方に発信されていく。 数十年後には 『お国訛り』 などなくなってしまい、日本全国が訛りの集合体である標準語に統一されている可能性も否定できない。

    それはそれで少し寂しい気がするのは自分だけだろうか。

  • 真性雑感

    真性雑感 ~目次~

    独り言にも書いたように今日は何を書いたら良いのか思いつかない。 第一、この雑感というのはタイトルだけで、内容と言えば思い出話やら空絵事だったりするので 『雑文』 というのが正確なタイトルだろう。 なぜ子供の頃の話やマサルのことなどを書かねばならないのか。 自分が勝手に書いているだけなので誰に文句を言っている訳でもないのだが・・・。

    ここまで書いて、ちょっと気になった。『空絵事』 と上述したが、その意味を正確に知らないので辞書で調べると載っていない。 YAHOOexcite の電子辞書でもウィキペディアにさえも載っていない。 確かに正しくは 『絵空事(えぞらごと)』 であるのは分かっているが、文字を入れ替えた 『空絵事』 という単語もあったはずだ。

    ためしに 『空絵事』 を Google で検索してみると、562件もヒットする。 自分の勘違いで 『空絵事』 などという単語がないのだとすると、約 500人もの人達が同じ間違いをしていることになる。 果たしてこの件に関する真相はどこにあるのか闇に包まれたままとなってしまった。

    それにしても、そのまんま東である。 宮崎県知事となった東国原 (ひがしこくばる) 英夫氏は、なんだかんだと言われながらも頑張っているではないか。 あちらこちらで発生したため国内にノウハウが蓄積されているとは言え、発生から 50日で鳥インフルエンザを押さえ込み、終息宣言にまでこぎつけたのは偉かった。 県職員なども迅速に行動したのだろうが、功績として評価できる。

    そしてタミフルである。 2/27の独り言に 『お買物日記』 担当者も書いているが、未成年者がタミフルを服用し、異常行動を起こした結果で死に至ってしまうケースが報告されている。 しかし、いくら何でもマスコミは騒ぎ過ぎだ。 もともとタミフルを服用しなくても子供が高熱を出して夢や幻覚にうなされたり異常行動を起こすケースは多数報告されている。

    「服用との因果関係が明確になっていない」 という厚生労働省の発表は的確である。 それなのに 「これだけ事故が起こっているのに」 とか 「何かあってからでは遅い」 だのと大騒ぎし、厚労省が耐えかねて注意を呼びかけると 「それみたことか」 と鬼の首でも取ったかのように騒ぎに拍車がかかる

    高熱による多数の異常行動が報告されている事実は 『インフルエンザ脳症ガイドライン』 に明記されているし、発熱による異常行動の確率は 10.6%でタミフルを服用した場合は 11.9%と、1.3%しか違わない。 それをあたかもタミフルが元凶であるかのように報道されたのでは、中外製薬もたまったものではないだろう。 新型インフルエンザの発生に備えて国が備蓄しているタミフルはどうなるのか。

    なんでもかんでも正義を振りかざして騒げば良いというものではない。 自分のような専門外の人間ですら高熱で異常行動を起こすことは知っていたし、ネットを利用して少し調べれば簡単に分かることでもある。 まともに調査してから報道する体制を構築していただきたいものである。

    それでも 10人に 1人の確率で異常行動を起こすのだから、子供が熱を出したときは目を離さず側についていることが大切なのは間違いない。 ただし、病院でタミフルを処方されたからと言って、必要以上に怯えることはない。 熱を出して苦しんでいる子供の側についていてあげることは親として当然のことでもある訳だから、それなりの行動をすれば良いのである。

    書くことが思いつかずに何だかんだと迷ったが、いつもの文章より雑感らしくまとまった。 これぞ真性の雑感であり、犬のことだのマサルのことだのばかり書いている場合ではないのである。