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  • ショウコトレイコノコト 5

    元気になって退院したショウコだが、以前とは若干の違いがある。

    どうやら記憶力が低下しているようだ。

    痴呆の症状は認められず年齢相応だと病院で言われてはいるが、以前までが年齢不相応の記憶力の持ち主だったので、急に衰えてしまった感が否めない。

    以前までであれば一度言えば覚えたことも、二度三度言わなければならなかったり、覚えたはずのことを翌日には忘れてしまうこともしばしばだ。

    それでも相変わらず数字には強く、支払いが必要だった 3百数十円のことも忘れず、日時に関しても割りと正確に記憶し、それを忘れることもないらしい。

    確かに呆けた訳ではなさそうだが、今までが今までだっただけに少し寂しい気がする。

    そして、レイコは相変わらずだ。

    少し耳が遠いのも相変わらずだが、いつまでもシャキシャキした婆さんである。

    ショウコが入院していた約二カ月間、本当にお世話になった。

    ショウコと 2歳しか違わない超高齢者なのに、雨の日以外は毎日かかさず病室を訪れ、洗濯したものを届けて汚れ物を持ち帰る。

    たまに実家に来て郵便物の整理をし、重要そうなものは病室に届けてくれた。

    そこまでやってもらっているにも関わらず、ショウコが女王様のように振る舞い、勝手なことを言うものだから、たまに細かなことでの言い争いになったりする。

    そんな衝突の絶えない姉妹だが、長年続いたその関係も近く終わりを告げることになった。

    そう、9月になればショウコは住み慣れたこの街を去り、自分達が暮らす町の施設に入る。

    今は互いに気にしていない風を装っており、レイコなどはせいせいすると強がったりしているが、それもまた本心であろうとも、半世紀を軽く越える時を共に過ごし、寄り添ったり大喧嘩したりしながら歩んできた道が二手に別れてしまうことを多少は寂しく思っているだろうし、時が経つにつれ実感がわいてくるに違いない。

    移動距離約 350km、車での移動は休憩なしで約 6時間。

    簡単に会いに行ける距離ではない。

    来月に迫った別れが、生きて会える最後の機会となってしまうものと思われる。

  • ショウコトレイコノコト

    我が母ショウコと叔母のレイコは相変わらず仲が良いのか悪いのか、互いが互いを敬遠しながらも付かず離れずの関係を保ちつつ、いざという時には支えあったりしている。

    いや、ショウコが一方的に頼っているだけであって、レイコがショウコを頼ることはない。

    自分が子供ころから『おばちゃん』と呼んでいるので、ショウコもつられて実の妹のことを『おばちゃん』と呼んでいるが、レイコは
    「私はあんたの叔母ではない」
    と怒りつつもショウコに何かがあれば駆けつけ、面倒を見てくれている。

    そんなレイコにすっかり甘えているのはショウコだけではなく、実は自分も頼りっきりにしている面があるのは否定できない。

    今回の入院に関しても、『ハハキトク・・・』と大騒ぎして腹立たしい思いをさせられたものの、もしレイコがいてくれなければもっと大変なことになっていただろうし、世によくあるパターンのように 『お買い物日記』 担当者が自分の故郷に行って付きっきりで看病したりする場面だってあったかもしれない。

    すぐには行けない自分たちに代わって入院の手続きから医師との打ち合わせ、入院に必要なものの運搬、毎日の見舞いなどもしてくれ、転院になった際も諸手続きなどすべてやってくれた。

    そんなレイコにはとても感謝している。

    とても感謝しているが、面と向かって話をしたり、電話で話すとついつい腹が立ってしまうこともしばしばだ。

    以前の雑感にも書いたようにレイコの話が回りくどく、イライラしてしまうのも要因の一つだが、なんでも決めつけて話を進めようとするのも困ったり腹が立ったりする原因なのである。

    今回の端緒であった『ハハキトク・・・』の件も、ショウコのろれつが回らないこと、動けなくなって発見されたこと、意識が混濁していることなどから医師の話を聞く前に勝手に重症の脳出血かクモ膜下出血、または脳塞栓に違いないと判断し、危篤状態になっていると思い込んでので大騒ぎになった。

    そして、今はショウコの今後に関して勝手に話を大きくしている。

    自分のことをいつまで経っても頼りのない、母親の面倒もろくに見ようとしない出来の悪い甥っ子だと思っているのが根本にあるのだろう。

    確かに積極的な態度も行動も見せてはいないが、それはショウコとの話し合いの末であって決してショウコのことを心配していない訳でも見捨てた訳でもない。

    入院当初は医師から一人暮らしはもう無理だと言われたが、幸いにしてショウコは人並外れた野獣的な回復力をみせており、みるみる元気になっていったので、その超人的回復力に驚いたり喜んだりしつつ、思ったより早めに退院できるようになった場合のことを考えて話をしておいたのである。

    ショウコはできるだけ早く家に帰りたいので頑張ってリハビリに励むということ、もし自分たちが暮らしている街の近郊に良い施設が見つからなければ、あとひと冬くらいであれば頑張って一人暮らしするので、できるだけ通いやすい施設を探してほしい旨を宣言した。

    施設探しには審査し直すことになった介護認定の結果が必要だ。

    現在の要支援より、要介護の方が受け入れる施設も多いので選択肢が広がるのだが、なによりその認定がなければ具体的な行動に移すことができない。

    レイコがあれやこれやと口出しするのでショウコもへそを曲げたのか、そんな細かなことを説明するのが面倒なのか、退院後はどうするのかという問いにハッキリとは答えなかったらしく、それは甥っ子である自分が何もしていないからだろうとレイコは考え、ショウコをどうするのかという電話をかけてよこした。

    その電話でもレイコの話は回りくどく、何日に伝えたことをショウコが覚えていなかった、先週伝えたことも忘れていた、3日前のことも覚えていないなどと長々とショウコの記憶力があやしくなってきているのではないかということをしゃべり、
    「それで退院したらお母さんのことどうするの」
    と、最後の最後になって聞いてくる。

    確かに寄る年波には勝てず、ショウコの記憶力が衰えてきているのは事実だが、生活に支障があるようなレベルではないし、必要なことは自分なんかより細かく記憶しているのでレイコが大騒ぎすることでもないと憤慨してしまったことと、退院後に関してはすでにショウコと話し合っているのでとやかく言われたくないという感情が入り交じったところに長話につき合わされた腹立たしさも加わってムカムカしてしまい、ついつい声を荒げて
    「そんなことは言われなくても分かってるっ!」
    と電話を切ってしまった。

    その後もショウコのリハビリは順調に進み、もう室内を歩く程度までは足の筋力も回復している。

    入院前から外出することもなく、キッチンやトイレまでしか歩いていなかったので、それはつまり以前と同等レベルまで回復しているということだ。

    それを医師やスタッフは知らないので、もう少し歩けるようにと病院から出て外を歩くリハビリに移行することとなり、ついては外に出るための靴と服を用意してほしいと医療相談員から連絡がきた。

    医療相談員の話では、思ったよりも順調な回復ぶりで、もしかするとあと 2-3週間で退院できるかもしれないとのことである。

    その電話の際、レイコがくどくどと言っていた記憶力に関して相談してみると、医師との面談や看護師との会話、リハビリ中の会話でも記憶障害や痴ほうの症状はみられないが、これからも気を付けて見守ってくれると言ってもらえた。

    やはり記憶の件に関してはレイコが気にし過ぎているのだろうが、問題は靴と服である。

    それを実家から病院に届けるためだけに帰省するのも面倒だし、早ければ 2-3週間後の退院の際には行かなければならないので何度も往復するのは体力的にもしんどい。

    で、ここはやはりレイコに頼むしかないと思われるし、よくよく考えてみれば冒頭に書いたようにレイコには散々お世話になっているにも関わらず、声を荒げて電話を切ってしまった反省から正確に状況を伝えるべきだろうと思い、昨日の午前中に電話をした。

    心配していた記憶の件を医療相談員に伝えたこと、今は心配なさそうだということ、周りが思うより順調に回復していること、退院も早そうだということを話し、そのために次の段階のリハビリに進むこと、ついては靴と服が必要なので家から持って行ってやってほしいとお願いすると、レイコは快諾してくれた。

    やはり持つべきものは面倒見の良い叔母である。

    そしてやはり、レイコが元気でショウコのそばにいてくれることを感謝しなければなるまい。

  • ショウコトレイコノコト 4

    まあ、今週はこの話題に触れない訳にはいかないだろう。

    雑感というより、どちらかと言えば『管理人の独り言』に書き散らかしたことのまとめになるが。

    レイコから『ハハキトクスグカエレ』の一報が届いたのは 06/01

    実はその前にショウコが救急搬送されたという知らせを受けており、正直なところ、
    「面倒なことになったな」
    とは思ったが、俗に言われる嫌な予感とか胸騒ぎもなく、それほど大事にはならないと思っていた。

    というのもショウコは超高齢者なので病院にかつぎ込まれるのは初めてのことではなく、骨折やら大腸炎やら何やらで年に一度くらいのペースで入院していたので、今までがそうであったように、今回も一週間程度の入院だろうと高をくくっていたのである。

    ところが、それから約一時間後に受けた知らせが『ハハキトク・・・』。

    さすがに頭の中が真っ白になり、ちょっと放心状態で受け答えしたのち電話を切り、『お買い物日記』 担当者に
    「危篤だって」
    と一言だけ告げた。

    それからの行動は実に早かった。

    いつも帰省する際にする荷造りに加え、仕事を長く休むことになる可能性があるので関係各所に事情の説明と休業をしらせるメールを一斉配信。

    実は当日の午前中に買い物に行ってきたばかりだったので、食パンやヨーグルト、レタスなど賞味/消費期限の短いものをとなりの店や義兄夫妻に貰ってもらうように手配。

    そして、普段は持たない喪服や数珠などの葬儀セット、遺産関連で必要になる可能性もあるので預金通帳や実印も準備。

    実は翌週の 8日は自分が通院する日で、毎日服用している処方薬の在庫が底をつきかけていたのに加え、予定の日に病院に行けない可能性も高いので、故郷の病院で診察、薬の処方をしてもらえるよう『お薬手帳』や血液の検査結果など一通りの書類も用意。

    どの乗り物を利用すれば最速で故郷に帰れるのかルート検索しまくり、いよいよ出発という段になって再び叔母からの電話。

    もしかすると、意識が戻らぬまま母は逝ってしまったのかという思いが頭をよぎり、覚悟を決めて電話にでると妙にのんびりした口調のレイコ。

    「あのねぇ、お母さん危篤じゃなかったわ」

    ・・・。

    腰が抜けそうな安堵感と一気に頭に血が上るような怒りとが入り混じったが、一気にメーターを振りきって沸点をも軽く超えてしまったので、口からは今まで出したことのない量のため息と呆れ笑いが溢れ出てきた。

    状況を整理すると、ショウコは前日から体調不良となって食べたものを嘔吐し、水も飲めないほど気分が悪くなっていたらしい。

    翌日になってもそれが治まらないため午後に病院を予約し、そこに向かうためタクシーの予約も済ませた。

    そこで気が抜けたのか、ソファーに横になったまま動けなくなったという。

    午後になってタクシーが到着し、指名して毎回お世話になっている運転手さんが家のチャイムを鳴らして迎えに来たが、中からショウコの反応がないためドアを開けてみるとカギはかかっておらず、呼びかけてみてもまともな返事がないため心配になって家に入ってみると、意識もうろうとなって動けずにいるショウコがいたらしい。

    その運転手さんの問いかけに対して応えるショウコはろれつが回っておらず、これは重症の脳出血かクモ膜下出血、または脳塞栓に違いないと判断した運転手さんが救急車を呼んでくれた。

    そして、レイコにも連絡してくれ、今から救急搬送されるので病院で待っていてほしいということと、ショウコのろれつが回っていないという症状を伝えたとのことだったので、レイコも同様に脳関連の重病と判断したものと思われる。

    救急搬送されたショウコがそのまま病室に向かわず、集中治療室に入ったのでレイコは『ハハキトク・・・』という情報を我が家にもたらしてくれたという訳だ。

    結果的にショウコは急性の腎盂腎炎だったとのことで、腎臓のウィルスが全身に回ったため言語(ろれつ)も怪しくなり、高熱を発したことと、運動機能も麻痺したため動けずにいたらしい。

    危篤が誤報だと分かったので、その日の移動はとりやめて翌日の早朝の高速バスに乗ることにした。

    そして、到着後すぐに病院に行ってみると、ショウコはまだろれつが怪しいものの、コロッと太って顔の血色も良い。

    少しするとレイコがやってきたが、口をきくと大喧嘩になってしまいそうだったので無視して病室を出てデイルームで本を読んだりスマホを使って時間をつぶした。

    その日はバツが悪そうにシュンとしていたレイコだが、数日後にはしゃべりの達者な憎たらしい婆さんに戻り、転院の際には私が手続きなどしておくとか、もう一人で置いておけないのだから即入居が可能な施設を探せだのと色々と指図してくる。

    『ハハキトク・・・』の大誤報を思い出し、はらわたが煮えくり返りそうになったものの、確かにレイコがいればこそ、ショウコのことを頼んで帰ってこれる訳なので怒りをぐっとこらえて丁重にお願いすることにした。

    それからのこと、ショウコの回復ぶりなどは 06/03以降の独り言に記した通りだ。

    必要以上に神経をすり減らし、もの凄く体力を消耗した今回の帰省。

    前日に心配した通り、翌日の自分の通院、血液検査の結果は惨憺たるもので担当医がおろおろするような数値を叩き出した。

    放っておけないほどの異常値も認められたので、処方薬を変更したうえで長い期間を置かず、24日に再び病院に行かなければならない。

    しかし、その前の 16日から 21日まで、再び『お買い物日記』 担当者の通院と帰省という強行日程を組んでいるので次回の血液検査もどうなるものやらといったところだ。

    ショウコは元気になる気満々だが、もう一人暮らしは困難だと思われる。

    早急に施設をさがし、年内には転居を完了させたい。

    やはり 2016年の後半は、とても忙しいことになりそうである。

  • ショウコトレイコノコト 3

    我が母ショウコが一人暮らしを続けることを断念したのは昨年10月のこと

    ついては施設を探してほしいとのことだった。

    この街の自治体に連絡し、窓口で説明を受けて地域包括支援センターの存在を知り、早々に連絡してみたところ、対象者、つまりショウコが現在どういう状態であるかを確定する必要があるとのことだった。

    その状態とは、支援が必要か、介護が必要か、そして必要な場合はどの程度かという、いわゆるランクのようなものである。

    数年前にショウコは『要支援 1』だと認定されているが、骨粗しょう症による背骨の圧迫骨折を機に右下半身の痛みで歩行に支障をきたし、行動範囲が狭まって運動不足におちいり、ますます筋力が低下するという負のスパイラルが続いていたので、ランクは上がっていると予想された。

    また、施設への受け入れは介護度が高い人ほど優先されるので、『要支援 1』では受け入れ先が極めて少ない。

    そこで昨年の 10月に故郷の自治体に連絡し、要介護認定の申請をして審査が実施されたのが 11月。

    結果がでるまで 3カ月程度と聞いていたので今年の 1月下旬か 2月になるだろと予想された。

    昨年末に帰省した際、結果は 1月中に届きそうか確認したところ、
    「もう来てるよ」
    などとツラっと言ってのけるショウコだ。

    あれだけ真剣に話し、ショウコの住む街の担当者ともやりとりしたのだから、結果が届いたなら何をおいても真っ先に知らせるのが筋というものではないだろうか。

    さすがに母子だけあって、自分と同じように合理主義的なところがあるショウコにしてみれば、どうせ年末になれば会って話せるのだから電話連絡する必要はないと思ったのかもしれないが、それにしても何か一言くらいあっても良いだろうなどと腸が煮えくり返るような思いを抑えつつ封筒から取り出した書類に記載されていたのは『要支援 2』の文字。

    以前と比較するとあれだけ弱っており、様々な病歴も増えてまともに歩けなくなってしまったので当然の事ながら『要介護』になるものと思っていただけに大きな戸惑いを覚えた。

    それだけ元気な証拠と喜ぶべきなのかもしれないが、一段階ランクが上がったとは言え『要支援』では受け入れてくれる施設が一箇所しかなく、昨年末に確認したところその施設は入居待ちが 26人という状況だ。

    それだけの順番を待つとなると間違いなく年単位の時間が必要となるだろう。

    もう一人暮らしはしたくないというショウコをいつまでも待たせる訳にはいかない。

    そうなると施設を予約しつつこの街に呼び寄せて入居できるまでの間、同居という選択肢はないのでサ高住と言われるサービス付き高齢者向け住宅にでも入居させるしかないものと思われる。

    しかし、そのサ高住ですら入居待ちになっている可能性が高いので不動産屋さんに問い合わせなければならない。

    その前に地域包括支援センターにショウコが『要支援 2』と認定されたことを伝え、ショウコの年収(年金受給額)などを加味した上で入居可能な施設を絞り込んでもらい、空き状況によっては順番待ちのリストに加えてもらうという作業も必要だ。

    頭では理解しているのだが、正月早々にやることでもあるまいと今週はずっと放置していたが、来週になったら少しずつでも行動しなければならないだろう。

    この話と関連するもう一つの懸案事項。

    帰省の際に叔母のレイコの家にも遊びに行き、ショウコが街を出た後のことについて話をしてきた。

    耳鳴りがひどくなってきたのか、会話をするには以前よりも大きな声をださなければならなくなってしまったが、それ以外に大きな問題もなく達者に暮らしている。

    股関節が痛いと言った時にはさすがに足に来たかと思ったが、実は数日前に屋根の雪下ろしを何時間もやったとのことで、相変わらずのスーパー婆さんぶりを発揮しているようだ。

    そして、いつものように一緒の街で暮らそうと言ってみたが、
    「私は人の世話をするのには慣れているけど、人の世話になるのには慣れていないのよ」
    などと言って首を縦に振らない。

    「嫌だったら世話なんかしてやらないから」
    と言おうと
    「とりあえずはすぐに会える距離に住んでくれたら安心なんだけど」
    と説得しても聞く耳をもたいレイコだ。

    それでも今回、同じ街に住むことを提案しているのが自分たちだけではないということを知り、少しだけ安心することができた。

    ショウコやレイコのきょうだいの息子や娘、つまりはレイコにとっての甥や姪が同じようにレイコを心配し、こっちに来ないかと声をかけているという。

    レイコと違う籍を持つ自分より、同じ籍を持つ甥や姪のほうが遠慮も少ないだろうし、レイコがそれを選ぶなら仕方がないとは思う。

    しかし、以前の雑感に何度となく書いたように、幼い頃から世話になったレイコにはひとかたならぬ恩義を感じているし、幾度となく自分を助けてくれたことに深く感謝している。

    できることであれば、この街でレイコが余生を過ごしてくれることを願ってやまないが、いったいどうなることだろう。

  • ショウコトレイコノコト 2

    とうとうこの日が来てしまった。

    我が母ショウコがついにギブアップしてしまったのである。

    まだまだ元気で見かけも気も若いと書いたのは昨年 9月のこと。

    まさかたった一年で、ここまで悪化するとは思わなかった。

    受けた白内障の手術は成功し、視力も問題なく回復したのだが、圧迫骨折が原因で右足に痛みが走り、まともに歩行できなくなったと連絡を受けたのは今年の2月のことだった。

    しかし、その時もまだまだ気力十分で、歩けないのは一時的なものだと本人も息子である自分も思っていたが、4月になっても 6月になっても 9月になっても足の痛みは良くならず、ただでさえ弱っているところだというのに今月の 1日、今度は血便が出たので病院に行くと大腸炎と診断され、そのまま緊急入院となってしまったという。

    本来であれば駆け付けなければならないところだろうが、その日から数日は北海道を爆弾低気圧が通過しており、各交通機関が運転を中止しているところだったので身動きがとれない。

    そして予定通りに10日後の退院となったのだが、その時は北海道を台風が通過中で帰省は難しかった。

    そこで、7月に大喧嘩をして3カ月間ほど冷戦状態とはなってはいるが、これを機に少しは雪解けになるかもしれないと叔母のレイコに退院手続きやら何やらを頼んだ。

    ショウコは10日間の入院生活で朝から晩までの点滴でベットに寝てばかりいたので、ただでさえ筋力が弱っていたのに輪をかけて弱まってしまい、部屋の中を移動するのにも時間がかかるようになってしまったという。

    そんなショウコの状態を見たレイコは、これ以上の一人暮らしは無理だろうと心配して電話をかけてきたが、当の本人がまだ生まれ育った街を離れる気になっていないので引き取るのは難しいということを伝えた。

    そして、その時が来たらレイコも一緒に来るようにと再度の申し出をしてみたが、相変わらず世話にはならないの一点張りだ。

    そんな会話をして間もない一週間後、レイコからの電話。

    ショウコのところに町内会費を集金に行った人が、歩行もままならない姿を見て
    「そんなことで生活していけるはずがない」
    「素直に息子さんの世話になったほうが良い」
    とショウコに言ったらしい。

    身内がどれだけ言っても聞く耳を持たなかったショウコも、他人の客観的な目にも自分は一人暮らしが無理な状態に映るのだと悟ったらしく、張り詰めていた緊張感、張っていた意地が一気に崩れ、大きな不安に襲われるようになったらしく、もうこれ以上は一人で暮らせないと言い出したという。

    翌日になって電話してみると、すっかり弱気になっており、もうこの冬を越す自信がないなどと言い出す。

    いちいち言うことが極端なのである。

    先月までは治る気満々で足が痛くなくなったらあれをするとかこれをするとか言っており、一緒の街で暮らそうと提案しても嫌だと言い張っていたのに、今になって急に弱音を吐かれても困ってしまう。

    それでもショウコには相変わらずドライな面があり、
    「一緒に暮らせないのは分かっているからそっちで施設を探してほしい」
    と淡々とした声で言ってのける。

    以前から一つ屋根の下で暮らすのは難しいとは伝えてあったのは確かだ。

    ショウコは夜の7時になればウトウトし始め、8時には就寝してしまう。

    7時といえば仕事がやっと終わる頃であり、8時は我が家にとって晩御飯の時間である。

    早寝したショウコは夜中の2時3時に目を覚まし、そのままラジオ放送など聞きながら夜が明けるのを待つという生活だが、やっと深い眠りについた時間にゴソゴソされ、ラジオの音まで聞こえてこようものなら目を覚ましてしまい、安眠できない日が続くのは火を見るより明らかだ。

    相手のあることなので、仕事を早い時間に終わらせて生活サイクルをショウコに合わせることは不可能だし、ショウコを深夜まで寝かせないのもいかがなものかと思う。

    つまりは一緒には暮らせないという結論なのだが、素直にそれに従って施設に入るというのだからこちらとしては助かる。

    そして、過去の雑感にも書いたとおり物に執着せず、あっさりと物を捨てて過去と決別してしまうのが自分とショウコの共通点であり、そうと決まったら行動が早いのも共通点だ。

    電話でレイコも心配していたが、こちらの受け入れ体制が整わないうちから勝手に家や家財道具の処分とか行政への事務手続きなど済ませてしまいそうな気配だったので、こっちの準備が整って “良し” と号令するまで一切動いてはならないと釘を差しておいた。

    そんなこんなで冒頭に書いたように我が母ショウコはついにギブアップ、とうとうこの日が来てしまった。

    そして、以前からの懸案事項であったレイコのことである。

    今回の話しが持ち上がった時点で再度レイコに一緒の街で暮らそうと言ってみた。

    答えは相変わらず世話にはならないの一点張り。

    子供の頃は札幌に住んでいて土地勘もあるので引っ越して一人で暮らすと言う。

    レイコの子ども時代など半世紀以上も前のことであり、その間に札幌は様変わりしてるので土地勘も何もあったものではない。

    おまけに除雪をしないで済む物件を探すと言っているが、雪深い札幌の場合はアパートなりマンションなりの住人が当番制で除雪をするのは常識であり、それが必要のない物件ともなれば高額家賃に決まっている。

    今は元気でいるが、ショウコのように何かのきっかけでガタガタと急激に弱ることも十分にあり得る訳で、そうなった場合に都会では施設の空きもなく不自由なまま何カ月も何年も順番待ちになる可能性が高い。

    面倒を見るとは言わないが、せめて近くに住んでいれば少しは助けになるのだから素直に引っ越してくれば良いのである。

    ショウコのことに関しては、もう事を進めるしかなくなった。

    残る問題はレイコのことである。

    あの頑固なスーパー婆さんを説得できるかどうか。

    我が家にとって、それが喫緊の課題なのである。

  • ショウコトレイコノコト

    帰省中に雑感を書くのは二度目のことだ。

    前回はタブレットでの入力だったにもかかわらず長文になってしまった

    今回はパソコンからの入力ではあるが、短文で終わらせようと思っている。

    実家といえば、当然のことながら主役は我が母ショウコだ。

    あれだけ元気なスーパー婆さんだったショウコも足の痛みには勝てず、今は横になっていることが多くなったので足腰は極端に弱り、まともに歩くことのできない状態になってしまっている。

    しかし、本人は治る気満々で、
    「足が治ったら亡くなった○○さんの所に香典を届けなきゃ」
    などと言っている。

    ショウコ自身が、いつ香典をもらってもおかしくない年齢になっており、今は寝たきりになりはしないかと周りに心配されているというのに本人にはまったく自覚がない。

    変に弱って心まで折れ、そばにいてほしいと言われるよりマシではあるが、もう少しは婆さんらしくできないものかと呆れてしまう。

    この街で唯一の身内であるレイコとは二か月ほど前に大喧嘩し、現在のところ冷戦状態が続いている。

    ショウコと同じように足が痛かった人がおり、その人が診てもらった医者は本来であれば足とは関係のないはずの頚椎が原因だということを突き止め、治療してもらったところ見事に回復して今では普通に生活できているという話しを聞いたショウコ。

    それはたまたま通っている病院の先生だったが、ショウコの担当医ではなかったため、次の診察の際には担当医を変更して欲しいと病院に申し出た。

    それを聞いたレイコは
    「なんたる無礼なことをするのかっ!」
    と怒った。

    以前にも書いたように定年まで病院勤めをしていたレイコの目には、担当医を変えるなど非常識極まりない行為であると映ったらしく、烈火のごとく怒ったのだろう。

    妹から叱られて面白くないのは理解できるが、そこで素直に痛いのが本当に辛いので人から聞いたどんなことでも試してみたい、どんな情報にも頼りたい、だから非常識を承知で担当医を変えてみたいと言えば良いものを、きっとショウコのことなのでレイコに食ってかかったか逆上して怒鳴り返したに違いない。

    大喧嘩へと発展した電話口でレイコは
    「もう二度とこっちからは連絡しないからねっ!」
    と言い放ったとのことだ。

    それから二か月、ショウコなりに反省しているのか、レイコに連絡してみようかと電話の前までは行くらしいのだが、何と言ったら良いのか分からず電話するのを躊躇する日々が続いているらしい。

    女子高生じゃあるまいし、モジモジしていないで
    「どうしてる?」
    と話しかけたら済むことなのに、自分から折れるのが嫌なのか、バツが悪いのか冷戦状態は続いたままだという。

    そもそも、いい歳をした婆さん姉妹が喧嘩などしなければ良いのである。

    そんな馬鹿らしいことに付き合う気はないので仲裁などしてやらずに放っておくつもりだ。

    あの超大国のアメリカとソ連ですら政治的、軍事的な駆け引きを乗り越えたことだし、ベルリンの壁が崩壊して東西ドイツも統一されたのだからショウコとレイコも放っておけば和解に至ることだろう。

    いつまでも意地の張り合いをしていて、どちらかに何かがあってから後悔しても遅いのである。

    もうそういう年齢であることを二人とも理解すべきだ。

    唯一の身内であるレイコと大喧嘩までした今回の一件だが、実はとんでもないオチがある。

    知り合いが勘違いしたのか、ショウコが聞き違えたのか、その痛みの原因を突き止めたという大先生の情報は正確さに欠いていた。

    知り合いが痛かったのは足や腰ではなく肩だったとのことで、肩であれば頚椎が原因だったというのも遠い話ではなく、普通の医者が普通に見つけられるものだったことだろう。

    つまり、ショウコは担当医を変える必要などなかったのである。

    だとすれば、ショウコとレイコはなぜ大喧嘩せねばならなかったのか。

    曖昧な情報に踊ったショウコが悪かったのか、愚かな姉を責めすぎたレイコの罪なのか。

    今回、連絡していないとのことなのでレイコとは会わずに明日の朝には帰路に着く。

    またこの街での肉親はショウコとレイコだけになる。

    この老姉妹の冷戦はいつまで続くことだろう。

  • レイコノコト 3

    今まで書いてきたようにレイコには身勝手な一面もあるが、上に男きょうだいが何人もいるのに高齢の母親を一人で見守り、入退院を繰り返したり、施設にも入ったりした経済的負担も一人で背負って最後の最後まで面倒を見続け、その愚痴や不満を一切口にしなかった実に立派な叔母なのである。

    超高齢となり、もう危ないからと運転免許証も返納した今でも雪が解ければ遠くまで自転車で出かけ、雪道をものともせず歩き回っているレイコだが、さすがに寄る年波には勝てず、最近は耳が聞こえづらくなってきたらしい。

    ただし、今回の帰省で初めて聞いたのだが、俗に言われる耳が遠くなるという症状ではなく、ひどい耳鳴りに悩まされているとのことだ。

    耳鳴りがして常に雑音が聞こえている状態なので周りの音が耳に届きにくい状態なので、補聴器をすれば良いとかそういうことではないらしい。

    いくら元気だと言っても超高齢者に変わりはないのだから、ここのところすっかり婆さんらしくなってしまった我が母と共に自分が今暮らしている街に移り住むように言ってはみたが、以前の雑感に書いたように別の家系なのだから世話にはなれないと言い張り聞く耳を持たない。

    母親も体が弱っているくせに、この街を離れたくないと言うので、ならば年老いた姉妹で仲良く暮らしていれば良いと放っておいたのだが、いつまで経っても母親の体は良くならないし、もし万が一、このまま寝たきりにでもなろうものなら移動すら困難になって同じ街に暮らすも何もあったものではなくなってしまう可能性も出てきたことから、やはり移住を検討すべきではないかと聞いてみたところ、知った人の居ないところで暮らすのは嫌だが話し相手になってくれる叔母が一緒なら考えないでもないとのことだ。

    そこで叔母に一緒に移住してきてはと問うてみたが、以前と同様に家系が違うからと言い出すので、
    「誰も面倒見てやるとは言っていない」
    「一人でいるより血族が近くにいる方が少しは安心できる」
    「札幌など雪が多いので除雪が大変だ」
    「今どき安い家賃で住めるところなど築2-30年の安普請だから光熱費がかかる」
    などなどと説得するも良い返事をしない。

    そこで、今回の帰省で設けられたタカノリ夫妻との会食の席で、この話題に触れておけばタカノリの賛同も得られる可能性があると判断し、話しが人生の終わらせ方に向かったのを機に一緒の街で暮らそうと言ってるのにレイコが言うことを聞かないと告げ口してやると、レイコは頭をプルプル振って「なにも聞こえな~い」などと言い出す。

    自分に都合の悪い話しになったからといって子どもみたいな態度をとるレイコの姿に自分も『お買い物日記』担当者も呆気に取られ、タカノリ夫妻もポカーンとしていた。

    食事中の会話は、もの凄く平均年齢の高い一団にふさわしく病気やら健康やらという内容が圧倒的で、当然のことながらショウコの骨折についても話題になる。

    しかし、その話題から派生した札幌に住む母親方の伯父のサトシの話しには驚かされた。

    転んだのか階段から落ちたのか、その原因は忘れてしまったがサトシはずっと右太ももあたりに痛みがあったので、毎日毎日ずっと市販薬のメンソレータムを塗り続けていたらしい。

    少しずつ良くはなっているものの、いつまで経っても痛みが治まらないので数カ月後に病院に行ってみたところ骨折していたことが判明した。

    しかし、その時にはすでに骨はくっついており、もうすぐ治るところだったという。

    レイコは、
    「あの人は骨が折れているのをメンソレータムだけで治したのよ」
    などと淡々と話すが、聞いているこちらは驚くやら可笑しいやらで笑いが止まらない。

    その骨折の話しから再び派生して今度はレイコ自身のことを語りだした。

    昼間が妙に暖かかった冬の夜、外出先から帰宅するレイコが夜の寒さで凍りついた路面を慎重に歩いていたところ、後ろから車のエンジン音が近づいてきたので邪魔にならぬよう道のできるだけ端を歩こうとした瞬間、鏡のようになった氷に足を取られて体が宙に浮き、ヒザから路面に落ちたと思ったら道路の反対側まで一気に滑っていってしまったらしい。

    あまりの痛さに身動きできず、そのままの姿勢で耐えていると打ち付けた足の感覚が薄れてシビレを感じるようになってきたという。

    前に書いたようにレントゲン技師として定年まで病院に勤めていたレイコは様々な経験から類推し、これは骨が折れたに違いないと判断した。

    動こうにも痛くて動けず、凍てつく寒さの中を道路に倒れたままのレイコ。

    田舎の夜道は人通りもなく、待てど暮らせど車すら通らない。

    このままでは凍死してしまうと焦るレイコ。

    何とか家まで帰るか、近くの電話ボックス(当時)まで辿り着ければ救急車を呼ぶことができると両手で上半身を起こし、恐る恐る足を動かしてみたところ何の問題もなく動く。

    骨折していたら動かせるはずがない思いつつ立ってみたところ立てる。

    もしやと思い、歩いてみたところ歩ける。

    なまじっか知識があるため勝手に骨折だと思い込んでしまったが、実は単なる打撲で骨には1ミクロンのヒビも入っていなかったらしい。

    その、あまりにも馬鹿馬鹿しい話しを大笑いしながら聞いてはいたが、冷静に考えれば危険と隣り合わせの喜劇でもある。

    話しの中の背後から近づいてきたという車がどうなってしまったのか分からなかったが、もし転倒したことで轢かれていたら・・・。

    骨折でなくて良かったが、もし骨折していて動くことすらできず、そのまま人が通らず何時間も経過してしまったら・・・。

    やはり年老いた叔母を一人にさせるのは心配だ。

    ここは長い時間をかけてでも説得し、母親と一緒に移住させなければと決意を新たにしている今日このごろである。

  • レイコノコト 2

    以前にも書いたようにレイコは我が母の二歳違いの妹だ。

    いつも帰省するたびに顔をあわせてはいるのだが、今回の帰省ではレイコの他に母親より五歳年下、九人きょうだいの末っ子である叔父のタカノリが遊びに来ていた。

    そもそも今回の件に関しては帰省するかなり以前からスッタモンダあり・・・。

    現在タカノリは東京に住んでいるが、仕事をとっくの昔にリタイアして自由人となり、日本全国を排気量1200ccの大型バイクにまたがって勝手気ままに旅するということを繰り返している。

    数年に一度はフェリーで北海道までやって来て、同窓会に出席するついでに我が母ショウコや叔母のレイコと会い、気ままに北海道内を旅して帰るということを繰り返していたのだが、いよいよみんな高齢となり、タカノリにも次があるのか分からないし、ショウコやレイコが次の機会まで元気でいるとは限らない。

    そこでタカノリの奥さんともどもショウコに会いたいと連絡があったものの、ショウコは現在骨折中でまともに歩けず、それが半年も続いているものだから満足に部屋の片付けもできていない状況なので家で会うのは丁重にお断りしたのだが、そこで簡単に折れないのがレイコだ。

    今度いつ会えるか分からない、今度まで生きているかも分からない、老人とはいえ可愛い弟が会いたいと言っているのになぜ拒否するとショウコを責めたて、強引にタカノリ夫妻と会う約束をさせてしまった。

    以前までの予定であれば、今回の帰省は6月初旬にするつもりだったが、せっかくだからお前たちもタカノリに会っておきなさいという、これまたレイコからの強要で6月後半に日程をずらした経緯もある。

    前回の帰省の際に、ショウコがキッチンの換気扇周りの汚れが気になると言っていたので今回は掃除するつもりでおり、それと同時にすでに使わなくなった鍋やフライパン、ヤカンなどをまとめて処分することも決めていたし、その他に洗面所の汚れは自分が気になっていたので洗面台周りの掃除も最初からするつもりでいた。

    実家に到着した18日は移動の疲れもあるので19日にすべて終わらせるつもりで朝から気合を入れているとレイコから悪魔のような電話があり、話しを聞くとリビングのレースのカーテンの汚れが目立つので洗濯せよとの指令だ。

    こちらにはすでに上述した予定があるし、馬鹿でかい窓にかけられたカーテンをはずしたり洗濯したり、またそれをかけ直すなど面倒だったので忙しいと伝えたのだが、何だかんだと理屈をこねて洗濯せよと迫ってくるわ、門柱の瀬戸物でできた表札が割れているから接着剤で修繕せよとか細かな指示が飛ぶ。

    そもそもは・・・、そもそもはである。

    部屋が綺麗ではなく、体も調子が悪いので遠慮したいというショウコの申し出を無視してゴリ押しで予定を組み、我が家にタカノリ夫妻を送り込むことを勝手に決めたくせに汚れが目立つから綺麗にせよとは何事か。

    あまりにも腹が立ったので不機嫌な声を全面に出して電話を切ってやったところ、数時間後に猫なで声で酒の肴に合う美味しい食べ物をあげるからという連絡があったが、そんな手に乗るかと不機嫌なまま対応してやった。

    そして、実際にタカノリと会う話しにしても、連絡を取り合っているうちに状況がコロコロ変わる。

    最初は奥さんを連れてくるなどと聞いていなかったし、当日が近づくにつれタカノリとは会わず、その奥さんと昼食を共にして、その後にショウコの待つ実家に出向くなどと言う。

    なぜタカノリが同席しないのか、なぜ限りなく初対面に近い奥さんとだけ会食せねばならないのか、また奥さんとショウコも過去に数度しか顔を合せたことがないのに会ったところで何を話せば良いのかなどなど、情報の錯綜と事態の混乱、それに対処できない感情で我が家は混迷を極め、一緒の食事がとてつもなく鬱陶しく思えてきた。

    そこで、昼食はタカノリの奥さんとレイコの二人でしてもらい、それが終わったころに合流して一緒にコーヒーでも飲み、その後に実家にお招きしようという作戦を思いついたのでレイコに電話したところ、何が何でも昼食に同席せよとえらい勢いで迫ってくる。

    仕方ないので渋々ながら承知し、あまり良い気分ではない時に上述したカーテンやら表札やらの話しがあったので怒りが爆発する寸前のところまでいったという訳だ。

    そして会食の当日、それまで同席しないと思っていたタカノリがひょっこり顔を出した。

    レイコはそれを素直に喜ばず、四人だから予約もしていなかったのに五人になると座るところがないとブツブツ文句を言う。

    何となくそんな気はしていたのだが、タカノリの奥さんから聞いた話しでは北海道に来る直前、タカノリとレイコは電話で大喧嘩したらしい。

    気の強いレイコの言葉にタカノリが我慢しきれなくなり、二度と会わないと宣言して絶交状態になったという。

    一昔前の平均寿命であれば、とっくにあの世に行っているほど超高齢になってきょうだい喧嘩するなど、いつまでも元気だと褒めるべきか、馬鹿馬鹿しいと呆れるべきか。

    そんなこんなでスッタモンダあり過ぎて、その直前まで面倒で鬱陶しくて仕方のなかった会食ではあったが、実際に始まってみると会話も楽しく、充実した時間を過ごすことができたので会っておいて正解だったと今は思う。

    食後にタカノリ夫妻と実家に行き、ショウコと再会させることもできた。

    自分と 『お買い物日記』 担当者は別室でくつろぎ、ショウコとタカノリ夫妻だけで話していたが、五分だけのはずが一時間以上も会話を楽しんでいたので、それだけ有意義な時間を過ごせたのだろう。

    レイコが言うように、これが最後の機会になってしまう可能性も十分にある。

    いや、ショウコとレイコというスーパー婆さん、今でも現役ライダーのスーパー爺さんのタカノリのことなので、これから先も十年くらいは元気でいるような気がしないでもないが。

  • レイコノコト

    叔母は母親の二歳違いの妹、その名をレイコという。

    そして、にわかには信じがたいことだが、レイコは漢字で冷子と書く。

    可愛い娘に冷たい子と名づけるとは何と言う親かと思うが、実は王に令の玲子と命名したのだが、役所に届ける際に父親の字があまりに達筆すぎたのか悪筆すぎたため『冷』となってしまったという。

    それにしても役所の人だって、よりによって我が子に冷子などと名づけるはずはないと常識的に考えれば分かりそうなものだが、昔の役所勤めしている人は特権意識が強く、一般市民を見下している人が多かったので、下々の者に正しい漢字を聞くのをためらったのかもしれない。

    結果的に冷子と受け付けられ、冷子と受理されてしまい、その後しばらくは住民票も戸籍抄本、謄本を必要としなかったため、親としても我が娘が冷子として世に存在しているなどと夢にも思ってもいなかったのだろう。

    たぶんその名が災いしたのだろうと思うが、レイコは結婚することなく生涯独身を貫くことになってしまった。

    自分が子どものころからレイコは変わらず、今も昔も行動的だ。

    為替が固定で 1ドル 360円もしたころに何度も海外旅行に行き、当時としては珍しい現地の食べ物や民芸品を買ってきてくれたりした。

    今のように格安パック旅行もなく、ドルが高かった時代に好き勝手に旅行できたのは、結婚しておらず身軽だったこともあるだろうがレントゲン技師として病院勤めをしていたので高給取りだったのではないかと思われる。

    病院で何かのライセンス取得の際に高卒の資格が必要になり、旧制度の学校しか出ていなかったレイコが通信教育で 4年をかけて高卒の資格を取得したのは 40歳を過ぎてからだ。

    この街がさびれ、交通網が狭まり不便になったといって自動車の運転免許を取得しようと自動車学校に通い始めたのは、もうすぐ 60歳にならんとする頃で、仮免や卒業検定で落ちまくった結果、普通の人の倍ほどの費用をつぎ込むことになってしまった。

    やっと免許を取得したレイコは中古の小さな車を買い、あちこち遠出をして楽しんでいたらしい。

    最近は耳が遠くなってきたものの、まだまだ元気で洒落た衣装に身を包んでスタスタと遠くまで歩き回っているし食欲も旺盛、言語も明瞭なスーパー婆さんだ。

    若い頃のレイコはとにかく行動的、活動的で理路整然とものを言い、どこかクールで簡単には人を寄せ付けない雰囲気の持ち主だった。

    楽しく遊んでくれる訳ではないのに、なぜかそんなレイコのことが好きで、小さな頃はよく病院に遊びに行ったり自宅に遊びに行ったりしていたものだ。

    幼稚園か小学校低学年の頃には N と M は怪しいながらも A~Z までアルファベットの読み書きはできるようになっていたし、Sunday から Saturday まで曜日を理解できるようになっていたのはレイコに教えてもらったからだ。

    毛糸編みの鈎針で鎖編みするところまで教えてくれたのもレイコだし、干支の十二支を暗記させてくれたのもレイコで、ナイフとフォークの使い方を教えてくれたのもレイコだった。

    そして、レントゲン技師らしく人間の骨の構造を教えてくれ、絵を描くのが好きだった自分は小学校 3年くらいの頃には頭のてっぺんから足の先までの人体骨格図をわりと正確に描けるようになっていたものである。

    海外旅行ばかりしていたので世界地図を広げて行った場所を教えてくれたりしていたため、多少はいびつだったものの世界地図も小学校時代に描けるようになった。

    骨や世界地図が描けるようになったからといって理科や地理の成績が良かったわけでもなく、アルファベットを早くに覚えたからといって英語が得意になったわけでもないので、教えたレイコとしては心底がっかりしたことだろう。

    レイコが小学校五年生の頃から母親のショウコと姉妹で同じ街で暮らし、高度成長期の波に乗って栄え、活気にあふれて人口も増加し、町から市へとなった発展を見続け、ショウコの結婚、出産をも見守ってきた。

    そして、生まれた自分の成長もずっと見てきてくれた。

    共稼ぎの親が研修だの何だので家を留守にするときはレイコの家に泊まったし、子どもの頃は母親と大喧嘩するたびにリュックに荷物を詰めてレイコの家までプチ家出したりしたものだ。

    そんなこんなで昔からの自分を知っているため、今でも口やかましく事あるごとに説教されたりしてしまう。

    目下のところ、レイコの心配の種はショウコの体調である。

    大阪に暮らしていた頃、冬道で転倒してショウコが骨折した時も電話してきて
    「年寄りの骨折は怖いんだからね」
    と開口一番に言い、
    「このまま寝たきりになる事だってあるんだから覚悟しておきなさい」
    と一気にまくし立てる。

    そして、いつまでも年寄りの一人暮らしをさせておく訳にはいかないのだから大阪に呼んだらどうかと言う。

    もちろん、そうしても構わないが、そうなれば今度は片田舎でレイコを一人にしてしまうことになり、子どもの頃から世話になっている自分としては心が痛む。

    そこで
    「一緒にこっちで暮らす?」
    と聞いてみたが、
    「あんたは○○家の人、私は△△家の人だから世話にはならない」
    と言い張る。

    その時はショウコも寝たきりにはならなかったので話は立ち消えたが、今度は北海道に帰ってきて最初の帰省の時だ。

    北海道に帰ってきた年は 『お買い物日記』 担当者の大病のため帰省しなかったが、翌年には化学療法も終わったので帰省ラッシュの盆を避けて 9月になってから実家に帰った。

    その際、食事の用意をしたからみんなで食べに来るようにというレイコからのお達しがあり、ショウコと自分、『お買い物日記』 担当者の三人で家に行き、それなりに楽しい食事をした後に待っていたのはレイコの説教だ。

    自分に向かってではなく、ショウコに向かって
    「あんただっていつまでも一人で暮らせる訳じゃないんだから」
    と言いはじめ、
    「あそこの施設に入るなら最低でもいくらが必要だ」
    とか
    「誰それさんが入っている施設は良いらしい」
    などと、ショウコに聞かせるふりをして母親をどうするつもりかと自分に問い詰めている。

    その時もショウコはそれほど弱っておらず、やはりショウコをこの街から連れ出せばレイコ一人になってしまうことが心に引っかかり、生返事をしながらレイコの言葉を聞き流していた。

    その後も何度か同じような話があり、そのたびに話を聞き流したりしていたが、ついに今回の骨折騒ぎである。

    今度は昼食の代わりに宅配ピザを頼んだなどと言いつつレイコは我が実家に乗り込んできた。

    そして、登場するや否やショウコに向かって
    「あんた!これから先どうするのっ!」
    と説教を始め、
    「もう一人で暮らすのなんか無理だからねっ」
    と強い口調で迫り、
    「私も一人で暮らすのが辛くなってきたから札幌に引っ越すよっ!」
    と切り札のように言ってのけた。

    その後、ピザが届いたので話題は途切れ、食後に世間話をしている時に、ショウコが今年は庭の改装と台所の窓の取替えをするつもりだと話すと、ショウコがまだこの家で一人で暮らす気でいることをレイコは悟ったようで、
    「それじゃあ札幌行きはまだ先にするかね」
    と言い残し、深いため息をつきながら帰っていった。

    9人きょうだいの下から二番目であるにも関わらず、それも女手ひとつで実母の面倒を最後の最後まで看たレイコ。

    姉を思う妹、老婆を心配するレイコ。

    レイコの目には年老いたショウコの姿が痛々しく映っているのだろう。

    ・・・。

    しかし、本人に自覚はないだろうが、冒頭に書いたようにレイコはショウコと二歳しか違わない超高齢者だったりするのであった。